【文芸社】
『傷痍』
− 仕組まれた日本兵 −

源高志著 



 日本がかつて第二次世界大戦において、すでに時代遅れとなりつつあった植民地主義を押し進めるための侵略戦争をつづけ、世界じゅうを敵にまわしたあげく、結果的には無条件降伏という形の完全敗北を受け入れた、という歴史は、けっしてくつがえされることのない史実であると思っているが、私がよく立ち寄るあるサイトの掲示板の書き込みによると、こうした大戦のこと自体を知らないままに生きている子どもたちが、現在増えているそうである。

 日本にとって、かつての第二次世界大戦、そして太平洋戦争とは、いったい何だったのか――どのような目的で参戦し、どういう経緯であのような悲劇を引き起こし、そしてその結果何を失ったのか、という問いかけを考えたとき、いつも霞をつかむような曖昧さ、手応えのなさみたいなものを感じるのは、はたして私だけだろうか。
 個人的な記録はある。兵士として戦場に駆り出され、銃を手に戦ってきた者たちの、あるいは本土で極端な食糧不足や度重なる空襲に苦しんだ者たちの、そして原子爆弾と、それが撒き散らした放射能の恐怖をまのあたりにしなければならなかった者たちの個人的体験談は、大戦が国民にもたらした大きな不幸を私たちに伝えてくれるものだ。だが、それはあくまで個人の、国民の立場で体験した戦争であって、国際社会におけるひとつの国として、大戦をどのようにとらえているのか、については、たとえば「敗戦」を「終戦」に、「侵略」を「進出」に巧みに置き換え、自分たちが多くの周辺諸国に対して加害者であったこと自体、忘れようとしているかのような姿勢を指摘すれば充分だろう。

 大戦という名の狂気に対して真正面から向き合おうとせず、謝罪も総括もなにもかも曖昧なままに、まるで大戦経験者が年をとり、死んでいくのを待っているかのような態度しか示そうとしない日本――戦争に対して無関心であるばかりか、そうした史実すら知らない子どもたちが増えてきても、あるいは何の不思議もないような国に、今の日本は成り果てているのかもしれない。

 昭和49年3月、フィリピンのルパング島で、ひとりの日本兵が発見されて、大きな話題になったことがあるのをご存知だろうか。彼は、日本が戦争に負けたことも知らないまま、29年もの歳月を、ひたすら残置諜報という任務をはたしていたという。本書『傷痍――仕組まれた日本兵』は、そのタイトルにもあるとおり、この「敗戦を知らないまま現地に取り残された日本兵」を故意にでっちあげることをテーマに、さまざまな人たちの思惑を巻き込んで展開していくミステリーである。

 大久保通りにあるガム工場の近くの細い路地で、男の死体が発見された。捜査に乗り出した早稲田署の刑事である権藤と脇田は、ルポライターであったその男が軍刀によって刺殺されたことをつきとめる。時代は昭和48年、おりしも世間では、フィリピンから帰還した日本兵、「生きた英霊」深草栄一郎の話題で持ちきりになっていた。いっぽう、厚生省で戦後補償の査定を担当している武村は、深草の軍隊での履歴に、そして普段とは違い、深草に関してはろくに調査もしようとせずに切り上げようとする上の対応に、どうしても割り切れないものを感じていた……。

 51歳になる権藤は復員兵であり、じっさいに戦場へおもむいた戦争体験者である。いっぽうの武村はまだ若く、戦争を知らない世代に属する。本書について語るさいに、この戦前と戦後という、世代の対比の構造を無視することができないのはあきらかであるが、それ以上に重要なのは、奇しくも深草という「生きた英霊」の影を追うことになったふたりが、ともに宮仕えの身――上の命令が絶対である組織の末端にいる、という点で、ふたりの立場が共通しているところである。

 エリート意識に凝り固まり、年配者を敬うことを知らず、実績をまったくといっていいほど重視しない若いキャリアの下で働いている権藤も、ふだんは傷痍軍人の言い分など徹底的に疑うように指導しているにもかかわらず、今回の深草の件だけは、まったく正反対の態度をとる上司に仕えている武村も、どこか、何かがおかしいと考えている者だ。本書の大きなテーマが、ともすると目を背け、忘れてしまいがちな、日本の戦争責任という重いものであることに間違いないが、深草という、もはや亡霊ともいうべき「戦争」そのものを象徴する人物を物語の中心に据えることで、戦前と戦後、両方からあらためて「戦争」へとベクトルが向けられるような構造を、本書は完成させていると言っていいだろう。そして、本書を読み進めていくうちに、戦時中の日本の体制と、戦後の日本の体制が、驚くほどよく似ている――見ようによってはまったくその構造が変わっていない、という事実に、愕然とすることになる。

 戦争で何もかもが無になったはずなのに、元あったところに元のように戻そうという力が働いていることを知っている。上は上、下は下という構図を作らないと日本という国は安定が悪い。そういう考えが日本人の奥底には存在するのだというやるせなさを感じていた。

 こうした考えをもつ戦争体験者が、たとえば朝食にご飯と味噌汁ではなく、パンとハムエッグという洋風スタイルをとりつづけたり、喫茶店でコーヒーとケーキを食べたりする場面がさりげなく挿入されているところなどは、心憎い演出であるが、こうした国に対するささやかな抵抗――青春の大半を犠牲にして戦ってきた自分たちの存在を、日本に対して、今の平和の中で生きている全国民に対して、もう一度考えてもらいたい、という想いが今回の事件と結びついたとき、事件はたんなる犯罪や詐欺行為を大きく超えていくことになる。

 はたして、深草栄一郎とは何者なのか。彼が偽者であるとして、何が目的で深草に成りすましているのか。そして国はいったい、この「生きた英霊」の何を恐れているのか。それぞれの思いを胸に、今回の事件を追う権藤と武村が、最後にどのような結論を出すことになるのか、ぜひとも注目してもらいたい。(2002.09.21)

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