【新潮社】
『しゃばけ』

畠中恵著 
 第13回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作



 ディズニー&PIXARのフルCGアニメ映画「モンスターズ・インク」をご存知だろうか。そのタイトルにあるとおり、登場するのはいかにも恐ろしげな見た目のモンスターばかりというこの映画、じつはモンスターたちが、子どもたちを怖がらせ、その悲鳴を集める会社の社員だったり、ほんとうはモンスターのほうが人間の子どもを極端に恐れていたりといった内容で、怖いというよりも、むしろ愛嬌たっぷりのキャラクターとしてモンスターをとらえている傑作なのだが、もともとは人間たちの恐怖の対象だったはずのモンスター、怪物たちが、いつのまにか愛すべきキャラクターのひとつとして扱われていく、という流れは、どうも人間が未知への恐怖を克服していくさいのひとつの方法論として確立させているようである。

 たとえば、日本の妖怪たちがその爛熟期を迎えたのは、どうも江戸時代から近世にかけてのことであるらしいが、妖怪という存在については、もちろん江戸時代以前にも跋扈していたし、とくに平安時代においては、その絢爛華麗な文化の裏で、鬼や怨念といったものが人間を呪い殺したり、陰陽師たちが妖怪たちを調伏すべく活躍していたりといった、まさに暗黒時代だったと言われている。それが江戸時代においては、京極夏彦の『豆腐小僧双六道中ふりだし』にもあるように、妖怪たちの姿が絵草子や錦絵にさかんに描かれ、また歌留多や双六といった子どもの遊びのなかにも浸透するほど、いわば身近な存在と化していたことがわかっている。最近のファンタジーRPGにおいても、たとえばモンスターが単なる敵ではなく、自分の仲間に引き入れることができたり、召還術として使役できる存在だったりといった意味では、ずいぶんと人間側に傾いてきたというか、飼い馴らされつつある、と言うことができよう。

 花のお江戸を舞台とする本書『しゃばけ』もまた、さまざまな妖怪が跳梁跋扈する時代小説である。江戸でも有数の豪商である廻船問屋・長崎屋のひとり息子、一太郎は生来病弱で、しょっちゅう熱を出して寝込んだり、死にかけたりしているため、そもそも外出するのもままならない、というなんとも弱々しい主人公なのだが、不思議なことに彼のまわりには、常に人ならざるもの――妖怪たちがあたり前のようにいて、何かと手助けしてくれるのである。

 物語はある日の夜、家族や妖怪たちにもないしょで出かけた帰り道に、一太郎がある暴漢に襲われ、さらにその暴漢に殺されたらしい死体を発見したことから、じょじょにその事件へとかかわらざるを得なくなっていく、というものであるが、本書における妖怪の描かれ方が、畏怖の対象である一般人の感覚としてではなく、あくまで「妖怪が見える」「妖怪がいつもそばにいる」のが常態である一太郎の感覚で統一されており、それゆえに妖怪といっても「未知への恐怖を克服するための概念」といった小難しい存在ではなく、まさに「モンスターズ・インク」のような愛嬌のあるキャラクター、登場人物のひとりとして生き生きとその個性を主張しているのだ。ただ、「モンスターズ・インク」のモンスターたちが、あくまで擬人化された――人間としての意識をもつ怪物であることを徹底しているのに対し、本書の妖怪たちには、やはり人間とはどこか一線を画している部分がある、ようするに、どこか得体の知れない存在であることを、著者はしっかりと意識しているのだ。

 家をカタカタ揺らすだけで害のない小鬼である鳴屋(やなり)や、付喪神の屏風のぞき、野寺坊や獺、さらに一太郎が幼少の頃から彼に仕え、今では廻船問屋の手代として人間たちと混じって暮らしている犬神や白沢――しかし、いかにうまく人間世界にとけ込んでいるように見えても、やはり妖怪、どこか普通の人間とはズレた言動をしでかすことがあったりする。そして、そのズレに主人公たる一太郎は、なにかとふりまわされ、いらぬ苦労をする。そもそも病弱で、まるで壊れ物でも扱うかのような両親の過保護な扱いのうえに、主人たる一太郎が第一で、二から次がないという犬神や白沢の思いは、そもそも十七になる一太郎の思いともどこかかみ合わないところがあり、どことなく滑稽さが漂う。本書の面白さの基本は、一太郎と、そのまわりにいる人間や妖怪たちとの思惑のズレが引き起こす面白さだと言える。

 薬種問屋ばかりをねらっておこる不可解な殺人事件に対して、一太郎が探偵役となり、妖怪たちの力を借りてしだいにその真相に迫っていく、という意味では立派なミステリーでもある本書だが、同時に自身の不思議な境遇――なぜ自分の身のまわりには、あたり前のように妖怪たちがいるのか、そもそもなぜ犬神や白沢は、人間である祖父の言いつけを守りつづけているのか、という大きな謎にも立ち向かうことになる一太郎の立場を重視するのであれば、本書はむしろ、一太郎の人間的成長を描いたドラマだと言うこともできる。いや、そもそも一太郎は極端に病弱な人間で、何をするにも妖怪たちの手を借りなければならない身ではあるが、その反面、自分が知りたいと思ったこと、正しいと信じた事柄に対しては、どんな困難があろうと、まわりがどれだけ反対してもそれを押し通していくだけの意思の強さをもった人間でもある。裕福な家庭に生まれ、ひとり息子の自分に大甘な両親がいて、しかししょっちゅう体を壊して死にかけている一太郎――その身の上は、まさに「世の中はなかなか自分の思い通りにならない」という例を体現している。その「思い通りにならない」運命に対して、どのように向かい合うべきなのか、自分で考え、自分なりの答えを見出していく、という意味での成長であり、人間ドラマである。

 本書のタイトルである「しゃばけ」とは、漢字をあてると「娑婆気」、つまり、俗世間における、名誉・利得などのさまざまな欲望にとらわれる心、という意味であるらしい。どんな猛獣や妖怪よりも、なにより人間という生き物が恐ろしい、というのはよく言われることだが、より正確に言うなら、「思い通りにならない」運命を無理やりねじ曲げたいと固執する人間のはてしない欲望こそが、ほんとうに恐ろしいものなのだ。人間と妖怪とが織り成す不思議な世界――いわばその両方の世界につうじている一太郎の姿を描いた本書は、私たちに何より人間がいかに弱く、またいかに強い生き物であるかということを教えてくれる。(2004.07.29)

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