【早川書房】
『サンセット・ヒート』

ジョー・R・ランズデール著/北野寿美枝訳 



 ときどき、海外で起きた大規模な自然災害を日本のニュースでもとりあげることがあるが、池の水をまるごと巻きあげていく巨大な竜巻や、町ひとつを水没させる大洪水、大人の拳ほどもある雹など、およそ常識では考えられない大自然の猛威を前に、私たちは、自分たちの力がいかに無力であるかを思い知ると同時に、この世界では、どんなにありえそうもない出来事でも起こりえる可能性があること、それは人間たちのちっぽけな思惑とはまったく無関係に発生するものであることをあらためて痛感することになる。

 これはなにも自然災害にかぎったことではなく、人災、つまり人間どおしが引き起こすさまざまな悲喜劇についてもあてはまるものだ。私たちの生きる社会で毎日のように起こっている、いくつもの殺人事件や死亡事故――それらのすべてが、そうしようという明確な悪意をもって行なわれたわけではなく、そんなつもりはなかったにもかかわらず、気がついたら最悪の状態に陥っていた、というのがほとんどだろう。もちろん、用心することはできる。じっさい、その心がけ次第で大部分の最悪の事態は避けることができるし、仮に起こったとしても、その行動いかんによっては被害を最小限に食い止めることもできる。だが、それでもなお、そんな私たちの日頃の用心や行動とは無関係に、起こるべきことが起こってしまうことがある。そして、起こってしまったことは厳然とした結果としてあり、けっしてなかったことにすることはできない。そんなとき私たちは、自然災害によってこうむった被害を前にするのと同じように、その結果を受け入れて生きていくほかにないのだ。

 まず欲しいもののひとつは、一箱の弾薬だと思った。銃を持っていないより持っているほうが安全だと感じていた。世の中の人間を残らず撃ち殺せるだけの弾が欲しかった。

 本書『サンセット・ヒート』の世界では、常にそこで暮らす人々の濃厚な生活臭――汗の匂いや飼っている家畜の体臭、あるいはその排泄物の匂いや何かが腐ったようなすえた匂いが漂っている。そしてそれ以上に、そんな人々のせせこましい生活をあざ笑うかのように、圧倒的でどこか不気味な大自然の、むせかえるような息吹がすべてを支配している。1930年代、大恐慌時代のアメリカ、いまだ黒人差別と女性蔑視の風潮が色濃く残る、テキサス東部にある小さな未開地を舞台にした本書は、その冒頭の部分だけでそうした時代背景のすべてを納得させ、かつ読者を一気に物語の世界へと引き込むだけの力強さを持った作品である。

 物語は、その町――おもに製材所の経営によって成り立っている小さな町の新しい治安官に任命されたひとりの女性が、ある黒人の所有する土地で発見された女の遺体の謎をめぐって奮闘するという、あくまでミステリー仕立ての展開なのだが、なによりこの女性――その入り日を思わせるような赤毛のため、みんなからサンセットと呼ばれている女性の設定が尋常ではない。なにせ、以前の治安官は彼女の夫であり、サンセットが治安官になったのは、物語の冒頭において、ほかならぬその夫を拳銃で撃ち殺してしまったためなのだ。

 度重なる夫の暴力と、レイプまがいの行為に耐えかねた末におこった正当防衛的な殺人、その直後にサンセットの家を吹き飛ばしていった大嵐、満身創痍の彼女が身を寄せた、殺した夫の両親の家では、まるでサンセットの行為に触発されたかのように、義理の母であるマリリンが夫のジェイムズをさんざん打ち据えたあげく、家から追い出してしまう。まさに予測のつけようのない、息もつかせぬ展開の連続であるが、当然のことながら、女性が尽くすべき夫を殺しておきながら、マリリンの後添えによって治安官の地位におさまってしまったサンセットを、町の男連中は快く思っていない。しかも、その職務に忠実であろうとするがゆえに、白人・黒人の別なく同じ法の下で裁こうと努めようとする彼女の態度は、ますますその反感を大きくしてしまう。

 はたして、死体で見つかった女性――殺した夫の愛人であった娼婦は、誰によって、何のために殺されたのか。その全身を覆っていた油のようなものは、何を意味するのか。夫が以前に同じ土地で見つけた胎児の死体と、それをわざわざ黒人墓地に埋葬するという、およそ夫には不似合いな行為の裏には何があるのか。そして何より、その女性の殺害の容疑をかけられてしまったサンセットは、この事件をきちんと解決することができるのか。謎がさらに新たな謎を呼び込み、すべてが終わったと思わせておいて、最後の最後に思わぬ真実が暴露される、という点では、まぎれもないミステリーであるが、それ以上に本書は、自分に次々と襲いかかる、あまりにも理不尽な扱いに敢然と立ち向かい、自らの力でその運命を乗り越えていこうとする女性が、紆余曲折を得て確固たる核を手に入れる、人間としての自立の物語でもある。

 荒くれ者や無法者といった信用のおけない男たちを相手に、同じく拳銃という力でもって対抗していく、という構図は、まさに西部劇の世界だ。それも、ただの西部劇ではなく、大自然の猛威や、どこか得体の知れない民間療法や、伝説めいた黒人ブル・トマスといった人物たちが渾然一体となった、どこか非現実的な雰囲気の漂う西部活劇の世界である。しかも、その主人公たるサンセットは、西部劇でよくあるような流れ者のひとりではなく、あくまでその土地の定着者であり、冒頭の一件以降、まるで男勝りの行動力を見せるようになるが、そのいっぽうで色男の甘い言葉にすっかりだまされてしまったり、おもいがけず再会した父親に涙を見せたりと、女としての弱い一面も持ち合わせていたりする。

「信じようとしているわ。信じたい。でも、わたしはいつも、それで失敗してるの、信じてはいけない人を信じて」

 人間としての強さと弱さ――本書は、いっぽうで善と悪の対決といった、ある意味お決まりの構図を描き出しているが、もういっぽうで、そうしたまぎれもない人間の姿をもありのままに描き出そうとしている。そして、そうした人間たちの営みをぐるりと囲い込むかのように、物語の随所に濃厚な自然の気配をにじませている。親、子、孫と同じようなあやまちを繰り返し、またとるに足らないことで争い、あまつさえ殺しあったりリンチを加えたりする、愚かしく、臆病な人間たち――本書の冒頭とラストでは、大きな自然災害が発生するが、それら自然のふるう猛威は、まるでそんな人々のちっぽけさを、そしてどんなに打ちのめされてもなお立ち上がり、生きていこうとする力強さを強調する役目をはたしているかのようでさえある。

 本書のなかで、サンセットの助手としてはたらくことになるクライドという男は、こう問いかける。「人間はゼロからやり直すことができると思うか」と。私たちはときに、望んでもいないのにゼロからはじめなければならないことがある。それは、あくまで自分の外からの要因によってもたらされるものであるのだが、しかし私たちは同時に、自らの意思で一度すべてを捨て、ゼロからやり直すことができる生き物でもあるのだ。本書はそんな人間と弱さと、そしてかぎりない強さを垣間見させてくれる作品なのだ。(2004.08.18)

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