【岩波書店】
『物語が生きる力を育てる』

脇明子著 



 私の書く書評のなかでは、しばしば「物語」という言葉が使われているし、また私にとって小説を読むことは、そのなかにある物語を読むことだという意識を強くもってもいるのだが、そもそも「物語」とはどういうものなのか、あるいは何のために「物語」は書かれるのか、という疑問は、明確な言葉にできないものとして常に心のどこかにひっかかっていた。

 言うまでもないことだが、物語というのはつくり話、ようするにフィクションでしかなく、それが現実世界に直接的な影響をおよぼすものではない。どれだけ物語を堪能しても、リアルとしての現実は変わりはしない。本を読んだからといって腹が膨れるわけでもないし、現実の問題がひとりでに解決しているわけでもない。しかし、だからといって物語がすべて嘘っぱちであり、ゆえに物語に何の力もないという意見には同意しかねるものがあるのも事実である。

 少し前に、とある児童書出版社の方の話を聞く機会があったのだが、そこが発行している保育雑誌の基本コンセプトとして彼らが挙げられていた「物語が子どもを育てる」という表現は、この問題を考えるさいの重要な指針のひとつとなるのではないか、という思いがある。というのも、今回紹介する本書『物語が生きる力を育てる』に書かれていることも、絵本や児童書、昔話といった子どもたちが読む本の「物語」に秘められた大きな力について語っているからに他ならない。ただし、本書のメインとして据えられているのはあくまで「物語」であり、本という媒体やそれを読むという行為をひとくくりにしてとらえているわけではない。そして「物語」そのものについても、単純にその効能を手放しで褒めているわけでもない、というのが本書を特徴づける要素のひとつとなっている。

 物語はたしかに、ときには私たちをなぐさめ、ときには勇気づけ、ときには知恵を授けてくれる、大きな力があります。しかしその一方で、知らないうちに物語に踊らされ、視界をゆがめられ、心に毒を注がれていることも少なくありません。

 この本のなかで著者が何より大切だと考えているのは、「子どもたちがちゃんと育つこと」だ。そしてここで言うところの「ちゃんと」とは、大人の言うことを「ちゃんと」聞く、「いつもいい子」でいることを指しているわけではない。本書では、子どもたちの成育に何よりも必要なものとして「実体験」――つまり周囲の環境や多くの他者からさまざまな五感への刺激を受け、対人関係や言葉の力を磨き、また自身の感情体験を豊かなものにしつつ、それをコントロールする術を身につけていくことを挙げたうえで、「物語」がその実体験を補完する役割をはたすというスタンスで論を進めている。本書のタイトルにもある「生きる力」とは、まさに文字どおりの意味であるが、それは学校で良い成績をとることや、世のなかを要領よく渡り歩く、大金を稼げる大人になるといった、小手先のものではない「生き延びるための力」のことを指している。

 年間の自殺者数が三万人を超えるという今のこの国において、とにもかくにも「生き延びる」というのは、私たちが思う以上に難しいことなのかもしれない、という思いは以前からあった。絶え間ない戦争や紛争、テロ、あるいは極度の貧困といった物理的な生命の危険とは縁遠い、便利で豊かな社会に生きているにもかかわらず、自ら命を絶ってしまう人がいっこうに減らないというのは、いっけんすると矛盾しているように見えるのだが、今日も明日も同じような日常が続く、少なくとも続くと安易に信じていられるというのは、言い換えれば想像力や直感を大きく飛躍させなくてもそれなりに生きていくことが許されている、ということでもある。私たちにとってそれはあたり前のことかもしれないが、世界的な視野、あるいは歴史的な観点に立ったときに、それがけっしてあたり前ではないこと、むしろ特殊な事例に含まれるということがわかってくる。

 だが、想像力が貧困なままではそうした視野――より客観的な視野で物事を眺めるということは難しい。それゆえに、不測の事態や危機的状況が生じたときに容易にパニックに陥り、自殺という極端な道へと走ってしまう。会社がつぶれたり、財産を失ったりというのは、今の社会においては大変なことなのかもしれないが、それで命までとられるというわけではない。にもかかわらず、一部の人たちにとってそれは死と同義であるかのようにとらえられてしまっているのだ。ましてや子どもたちにとっての「世界」は、大人たちと比べてはるかに狭い範囲に限定される。大人であればまだ取りえる逃避のための手段が、子どもたちには閉ざされていることも少なくない。

 著者が本書のなかでとらえている「実体験」とは、子どもたちが「生き延びる」ための力を育むもののことである。そしてそうした視点に立ったうえで、子どもたちが読む本について、独自の分析を展開している。海外の昔話における「三人きょうだい」と、日本の昔話における「二人のじいさん」の比較、あるいは似たような展開を繰り返すという昔話の特徴と、そうした昔話がかつては本で読むものではなく誰かに語られるものだったということ、さらには子どもたちの成長の過程で起こる同化作用と異化作用が、昔話をつうじてどのように作用していくかといった論は、たんに興味深いというだけでなく、人間が本来もっているべき「生きる力」をとらえなおすという意味でも、有意義なものがある。なぜならそれは、子どもたちだけでなく、ゲームやテレビ、マンガ、ネットといった受動メディア、著者が言うところの「不快感情除去マシーン」の恩恵を受けて育ってきた私たち大人にとっても、必要とされているものであるからだ。

 子どもにいろんな不快感情をわざわざ体験させるわけにはいかないけれど、物語なら多様な体験ができる、ということです。大切な人を亡くした悲しみなどは、現実に体験しないですめばそれに越したことはありませんが、物語のなかでならそういうことだって出あえます。

 上述したとある児童書出版社との話のなかで、絵本などの作品の選定や作成に対し、読み聞かせを行なうことを重要な指標のひとつとして挙げていたが、同じような指標が本書のなかでも貫かれている。それを踏まえたうえで、読書推進の名のもとにむやみに本を読ませることの弊害についても述べているのは、それらの活動が著者がとらえるところの「生きる力」とはズレた試みであるからに他ならない。単純に多くの本を読めばいい、という論に走らないところも本書の大きな特長であるが、同時に「生きる力」を育むための本が数多く紹介されており、子どものための本選びにも役立つようにという配慮がある。

 私たちの環境は、昔ほど豊かな自然に恵まれているというわけではなく、それゆえに多くの刺激的な体験からは遠ざけられていると言っていい。だが、だからといって今の暮らしを捨て去ることもできない以上、私たちは今まで以上に「物語」がもつ力にもっと注目してもいいのではないか、と思わされるものが、本書のなかにはたしかにある。(2014.04.19)

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