【中央公論新社】
『スティル・ライフ』

池澤夏樹著 
第98回芥川賞受賞作 



 残業ですっかり遅くなった日の帰宅途中、何気なく見上げた夜空にまたたいている、満天の、とまではいかなくともけっして少なくない星々、あるいは、車はおろか人さえめったに通らないような細い山道で、ふとバイクのエンジンを止めたときに周囲から押し寄せてくる静寂――その瞬間、私は自分の外に無限に広がっている世界というものを強烈に意識させられる。それは同時に、普段の自分がいかにちっぽけなことに心を砕き、頼りない人間関係に神経をすり減らし、その結果として自分の中にある世界を狭くしてしまっているか、ということを認識させられる瞬間でもある。周りには誰もいない、たった一人で広大な世界に立っている、ということ――人として社会の中で生きていくために人間関係を築いていくことは、とても重要なことではあるが、ときには人と人とのしがらみから解放され、外に広がる世界と対等な立場で向かい合うことが、あるいは宇宙という視点から見ればよほど自然なことなのかもしれない。

 本書『スティル・ライフ』がどのような物語なのか、説明するのはひどく難しい。いや、説明するだけなら簡単だ。佐々井という男がいる。彼は公金横領の犯人だ。時効は五年。だが、佐々井は横領した金に相応の利子をつけて奪った会社に返却するために、株の売買を始め、着実に利益をあげていく――こんな話だ。だが、こんな説明文で本書のすべてが語れるとは、もちろん思ってはいない。

 佐々井は不思議な男だ。せっかく手に入れた――もちろん横領は立派な犯罪である――金には一銭も手をつけず、ただ五年間、各地を点々とし、名前を変え、ときどきアルバイトをしながら逃亡生活をおくってきた。金というのは人間社会が生み出した約束事だ。この約束事を無視するなら、金はただの紙屑か、金属の欠片でしかない。だが、何ら意味のないように思える山や川の写真を集め、スライドに映してながめていたり、アルバイト先で知り合った「僕」と、酒の席で星の話を語ったりする佐々井にとって、そんな約束事などまったく意味をもっていない。といって、たんなる紙屑だとも思っていない。彼の言葉を借りるなら、横領した金は「透明人間」になるためのパスポートなのだ。

「――(中略)――人間関係のネットワークの中に立って、その一つの結び目として機能して、それに見合う報酬を得るということをやめてしまった。社会にとってぼくは、時おりアルバイトの場に無名の労働力として登場する以外は、いないも同然なんだ。つまり透明人間さ」

 社会を構成する数多くの要素のひとつとなって根を生やし、社会を維持するためのいくばくかの労働力を提供し、その代償として収入と、安定した生活を得る。それはおそらく、人が農耕というものを覚え、作物を蓄えることを覚えたときからはじまった世界――人間によって生み出された現実のひとつでしかない。私たちは時として、自分が生きる社会こそが世界のすべてだと錯覚してしまいがちであるが、それが多くの約束事によって作られた世界でしかない、ということを、意識の奥底、ユング的に言えば集合的無意識の領域では、おそらくは知っている。そこはたしかに、人が生きていくには居心地のいい場所ではある。だが、台風や地震など、社会の外に広がる自然の力の前に、その場所はあまりにも無力だ。

 定職を持たず、モノに執着せず、常に移動をつづけながら、その場所にあるものに満足し、けっして多くを求めようとしない佐々井の生き方に、読者はきっとある種の気持ちよさ、そして羨望にも似た想いを抱くに違いない。彼の身体の内にある世界は、人間社会といういつわりの世界にではなく、広大な宇宙と同期がとれているからだ。彼はけっしてふらふらして生きているわけではない。むしろ彼にしてみれば、私たちのほうこそが、外と内の世界の境界線であいまいに揺れながら生きているように見えるだろう。そして「一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和ををはかること」とは、きっと佐々井のような生き方を指すのだろう。

 夜空の星々を見上げながら、私はふと考える。人間によって作り出された、人間にとっては居心地のいいはずのこの社会――だが、実際のところ、そこは私にとって本当に居心地のいい世界だと言えるのだろうか。いや、そもそも本当の自分などというものが本当に存在するのだろうか。社会によって与えられた様々な肩書き――そのすべてを自分から切り離したとき、もしかしたら自分には何も残っていないのではないだろうか。そうならないためにも、私はもっと遠くのことを考えるべきなのかもしれない。たとえば、星のこととかを。(1999.12.11)

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