【朝日ソノラマ】
『星虫』

岩本隆雄著 

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 私が本書と最初に出会ったのは、まだ高校生だったころだ。一部のティーンエイジャーがしばしば傾倒していくように、ティーンズ向けのファンタジーノベルを読み漁っていた当時の私は、新潮社がはじめて刊行したファンタジー文庫、ということで、非常に印象的なそのタイトルの本のほか、数点を購入し、読んだことを確かに覚えている。
 それから十年――知らないうちに新潮社ファンタジー文庫は書店の棚から姿を消し、私の読書傾向もいわゆる現代文学のほうへとシフトしていったが、朝日ソノラマから2000年版として本書『星虫』が復刊されたことを書評リクエストを通じて知ったとき、不思議なことに、その内容、そして本書に込められた強いメッセージ性について、けっこう詳しいところまで覚えている自分に気づき、ずいぶん驚かされたことを告白しなければならない。そして、この後々にまで残る強いメッセージ性こそ、一度は姿を消しながら、本書と出会った人たちの心をつかみつづけ、ついに復刊されるにまでいたった本書の大きな魅力であることは、間違いない事実であろう。

 途方もない夢の実現を信じて、何年も努力しつづけてきた女の子がいた。宇宙飛行士になりたい――誰もが冗談だと思い、嘲笑こそすれけっして真面目にとりあってはくれないその夢を一途に追い求めつづけてきた氷室友美は、高校では真面目で頭のいい優等生を演じつつけ、家族にも自分の夢を隠しつづけていかなければならないことに、そして何より、自分の大きな夢が現実によって押しつぶされていき、夢を追いつづけていくことに不安を感じつつある自分自身に、いいかげんうんざりしていた。一方で、世界を変える素晴らしい才能をもちながら、夢を見ることを早々に放棄し、自分の周囲のものすべてに反発してぐうたらと寝つづけている男の子がいた。かつて、大きな夢を実現させようと世界じゅうを駆け巡りながら、ついに夢を果たせなかった男の息子でもある相沢広樹は、十年前、たった一度だけやってきて、自分をさんざん泣かした女の子に、いつか仕返しするのを待ちながら、今もなおぐうたらな寝太郎をつづけていた。

 そして、夏休み最後の日の夜、人々の額めがけて空から流星が降り注いだ……。

 本書『星虫』は、地球上の何億という人間の額に貼りついた星虫――宇宙から飛来してきた正体不明の地球外生命体によって引き起こされた、世界的規模の大パニック、怒涛の七日間を描いた物語である。星虫は宿主に、その五官の能力を増幅させるばかりでなく、その場の雰囲気とでも言うべきものを増幅させて感じ取る力を与える。しかし、宿主が星虫を拒絶すれば、何の跡も残さず星虫は額から剥がれ、死んでしまう。

 この奇妙な生命体の襲来に最初こそパニック状態になるが、国連の調査団による、星虫は人間に害を与えることはない、との発表に、人々はその思いがけず与えられた力を素直に喜び、さらにその力によって聞こえてくるようになった「地球の叫び」――消滅していく自然の、聞いた者の胸を締めつけるかのような叫びをまのあたりにして、理屈ではない自然環境の保護を真剣に協議しはじめるようになる。だが、時が経つにつれて星虫が宿主の制御を離れ、勝手な振る舞いをはじめるほどの成長をはじめるにいたって、人々は次々と星虫を拒否しはじめる。当初星虫を益虫とさえ考えていた研究所の人々も、手のひらを返すように星虫を外すように訴えるようになる。星虫の役目はもう終わったのだ、と。そこにあるのは、どこまでも自分中心の考え方しかできない――自分たちにとって都合が良ければとことん利用し、都合が悪くなれば切り捨ててしまう――私たち人間という生き物の傲慢さであると言えよう。

「星虫に利用価値がなくなったから、取るの? じゃ、星虫は何のために地球に来たのよ」と友美は言う。かつて、たった一人だけ、自分の夢を真摯に受けとめ、宇宙飛行士になるという夢に一縷の望みを与えてくれた、不思議な庭のおじさん――人間もまた、他の生物と対等な存在であり、けっして人間だけが特別なわけではない、という彼の教えを律儀に守りつづけ、殺した虫は蚊でも食べる、という徹底ぶり見せる友美は、あくまで人間と同じように存在するはずの、星虫の「生きて育つ権利」を優先させようとする。

 地球規模で起こっている大事件を、あくまであるひとつの地域、特定の登場人物たちに焦点を絞って展開させ、星虫のもつ魅力的な能力と、それらがもたらすかもしれない将来に対する人々の不安をしっかりと書き込むことで、いかにもファンタジー的な内容であるにもかかわらず、読者はそこに、しっかりとしたリアリティを感じることができることに気がつくはずである。宇宙を目指したいと願う人々の想い、未知なるものへのあこがれと不安、そして、深刻な環境問題と「地球の叫び」――そう、本書で描かれていることは、私たちの暮らしている現実世界にとっても、けっして無関係ではありえない。そういう意味で、星虫はたしかに、それまで人間に見えなかったものを見せ、聞こえなかった声を聞かせる具体的な要素として、本書の魅力を充分に引きたてる役割を果たしている。

 だが、たんにそれだけなら、読者の心を十年もとらえつづけることはできなかっただろう。氷室友美と、寝太郎こと相沢広樹というキャラクターが、星虫の魅力と結びつくことによって生まれてくる強烈なイメージ――星虫と一体になって空を飛び、海中に潜り、さらには宇宙にまで飛び出してしまうという、どこか非現実的でありながら心に強く焼きつくイメージこそ、本書の最大の武器なのだ。そして同時に、空を飛ぶ、地球を守る、宇宙を目指す、といった要素は、一個人を越えた人類――種としての人類の誰もが心に抱いているはずのものである。

 人間は地球にとっての癌である、という考えは、とくに目新しいものではない。たしかに、それは正しいことなのかもしれないが、相沢広樹はけっしてその結論で満足することはない。癌細胞であることを認めたうえで、さらにその一歩先まで踏み込んで、その意義を考えようとする。

「……癌って、人間に譬えれば革命家じゃないかな。今までの世界の秩序に満足できん元気な連中。自分が最初から肺なら肺の細胞だって決めつけられてることに反抗して、自分らの新しい世界を作ろうと立ち上がったんだ」

 今、人類の未来はあらゆる意味で行き詰まり、時代は長い閉塞状態から今もなお抜け出せないままでいる。それでも人類が進化し、生きつづけていこうとするなら、いつか必ず人類の目は宇宙へと向けられるはず――空を想う力、想像力をもつことを許された人類が宇宙を目指す生物であるという想いは漠然とは持っていたが、その想いを確信に変えるだけのものが、本書には確かにある。(2000.08.03)

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