【彩図社】
『死者は眠らない』

真城直人著 



 理想と現実、建前と本音――私たちはいつのまにか、この世には表と裏があり、自分もふくめた多くの人もまた、表の顔と裏の顔をもっていることを知ってしまっている。そして、そんな世の中で要領良く生きていくのは、えてしてそうした表と裏を巧みに行き来するのに長けている者である、ということも。

 いつの時代も理想は美しいものであるし、人は誰でも本音で語り合いたいものであるが、いつもそんなふうに生きていけるほど世の中は単純ではないし、また甘くもない。常に表裏のない、まっすぐな心で生きていきたいと思っている人たちが、その過程で必ずぶつかることになるさまざまなこの世の矛盾――「表と裏」という考え方は、そうした矛盾を手っ取り早く解決するには、じつに都合の良い論理であるが、齢をとるにつれて、そうした論理を言い訳にして物事を深く考えたり、理想を追いつづけたりすることから逃げてしまっている自分にふと気づいたりするのは、はたして私だけだろうか。

 環境計量士、という職業がある。有害物質の濃度や騒音、振動といった、環境に関するデータを専用の機器を用いて測定する立派な国家資格であり、その測定の結果しだいでは市民の生活環境を一変させることになるだけに、正確な計量が要求される、大切な仕事でもある。本書『死者は眠らない』に登場する朝倉博史は、その環境計量士であると同時に、蓼科国土開発という会社に勤めるサラリーマンでもあるのだが、彼の置かれている立場はある意味で、世の中の「表と裏」の関係を如実に象徴していると言うことができるだろう。

 環境計量士が測定・分析するデータは、数値に変換されたひとつの事実だ。そのデータからどういった事柄が見えてくるのかはともかくとして、測定されたデータは正確な事実をとらえていることが大前提となっている。だが、朝倉が勤めている計量証明事務所は、あくまで民間企業である。そこにはコストや信用の問題、同業他者との縄張り争い、また労働基準監督署との力関係や、分析機器メーカーとの結びつきといった、じつにさまざまな利害関係が絡み合い、ただ事実を正確に把握し、報告するだけでは企業としては成り立っていかない、という事情がある。しぜん、コスト削減のために、再調査をすべきところを適当に数値を捏造したり、立ち入り検査前にあらかじめデータを書き換えておく、といった不正がおこなわれるようになってくるのだ。

 本書がミステリーであり、また環境分析業界の内実を暴露する、という社会小説的な要素もあることはたしかだが、そんな「表と裏」――環境計量士として正確なデータを測定することと、社員のひとりとしてコストを押さえた要領のいい測定をこなしていくことについて、朝倉がどのような考えを持っているか、ということを念頭に置きつつ、今回の一連の事件を考えていくと、彼は自分と同じ環境計量士である久保田伸幸殺害の「裏」に隠された事実を追うことで、自身の環境計量士としてのアイデンティティを再認識しようとしていたのではないか、と思えてくる。

 冬であるにもかかわらず、「蝶が飛んでいた」という不可解な言葉を残して死亡した久保田が、じつは交通事故に見せかけて誰かに殺された、ということ。蓼科国土開発のデータ改ざんの情報が何者かによってリークされていること。測定機器に細工をほどこし、会社の信用を貶めようとしていること――久保田が握っていた用紙の切れ端や、脅迫FAXなど、ミステリーとしてはいかにもな要素をふんだんに盛り込んだ本書であるが、この作品の大きな特長として、警察でもなんでもない朝倉が、まさに「正確な事実」をひたすら追いつづけることによって、姿の見えない犯人へと近づき、すべての真相をあきらかにしていく、という点である。謎を解くための「正確な事実」を把握するために何度も事故現場を訪れたり、いろいろな人と会って話を聞くことに労を惜しまない朝倉の姿は、たんに自分の立場を守るため、という理由だけでは説明のつかない何かがたしかにある。

 人が殺された、というあまりにも重い事実――その犯行が計画的なものであればあるほど、その現場に残された、どんな小さな「正確な事実」もおろそかにすることはできない。すべてをあきらかにするためには、データの捏造によって生まれた虚構の答えではなく、「正確な事実」の積み重ねによってのみ導き出される、まぎれもない真実が必要なのだ。

 じっさい、現場に残されたガラス片から、それがどんな車のどの部分のものであるか、といったことばかりでなく、そのとき起こったであろう事故の状況まで分析できてしまったり、また被害者の爪にはさまっていた糸クズから、最終的には被害者が殺害された場所まで特定できてしまったりするのを読者はまのあたりにすることになるのだが、私たちにとってはゴミに等しい物品が、じつに多くの事柄を物語ってくれることに、きっと驚かされるに違いない。

 だが、私たちはそうした「正確な事実」の雄弁さと同時に、その限界にも気づくことになるだろう。なぜ犯人は、蓼科国土開発の仕事を妨害しようとするのか、いったい、どんな恨みをその心に隠し持っているのか、そして、ひとつの事実がどの人間にどのような影響をもたらすのか――どれだけ「正確な事実」を積み重ねようと、その犯行の動機にまでは、けっして迫ることができない。事実はあくまで客観であって、主観にかんしては想像の領域を出ることはないのである。そういう意味では、たった一滴の液体から、そこにどんな人物がいたのかを絞り込むことができる朝倉が、好きになった女性の心の内を、けっきょく最後まで把握することができなかった、というのは、いかにも環境計量士としての朝倉らしいと言えよう。そしてその事実は、人間そのものの限界を突きつけられているようで、読者をちょっぴり悲しい気分にもさせる。

 理想だけでは生きていけない。だが、現実だけを見つめて生きていけるほど、自分の気持ちを割り切ることもできない――本書の解説を書いた渚美智雄は、そうした理想と現実のはざまで揺れ動く人の心を30代という世代でとらえたが、本書の謎がすべてあきらかになったとき、私たちはあらためて、「表と裏」で成り立っているこの世を生きていくことの意味を、問い直すことになるだろう。(2002.06.22)

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