【ポプラ社】
『スパイラル』

清野かほり著 

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 男がかかえこんでいるプライドというものが、ときにその人のどうしようもない醜態をさらすことになったり、どうにもならないほどの泥沼に陥れたりすることを、私はその身にしみて思い知らされていると言わなければならない。とくに女性との関係において、男がやたら格好つけたりしてみせるのは、もちろん対象の女性に気に入られたいという思いから来ているものであるのだが、その思いが強ければ強いほど、いっぽうで自分の弱さが露呈するのを恐れる心理を強くしていく。女の子に気に入られたいという思いは、ときに「嫌われたらどうしよう」「愛想つかされたくない」という思いへと容易に入れ替わるものだ。そしてそれゆえに、男は自分の弱さを隠し、理想的な男性像を女性の前で見せることを望む。男が女に嘘をついたり、言うべきことを隠したりするのは、たいていがそうした心理の産物であり、またそれが男のプライドの正体でもある。

 そうした男のプライドを、つまらないものだと切って捨てるのは簡単だ。だが、私を含めた男という生き物は、程度の差こそあれ、そのプライドこそがすべてだという一面をもっている。だからこそ、男はその「つまらない」プライドをかけて喧嘩もすれば決闘もするし、そのために嘘だってつく。自分のすべてであるプライドを守るためなのだから、嘘をついたり騙したりすることに、良心の呵責といった理性的な部分は、あまりはたらかない。むしろ、そうまでさせるほど俺はあいつを愛しているんだ、という妙な理詰めが頭のなかで成立してしまう。そういう意味では、どうしようもないことながら、男とはまさにプライドそのものなのだ。

 本書『スパイラル』は、その冒頭から不穏な空気の漂う作品である。登場人物は、フリーの女性ライターである東城秋生と、近々新しい女性誌を創刊するために彼女を雇った「HALU出版」の代表、片桐晴彦のふたりだけであり、ふと目が覚めた秋生が、見知らぬ部屋に自分がいることに気づくところから物語が始まる。片桐から昨夜の出来事を聞き、ここが御殿場にある彼の別荘であること、昨日の夜に、仕事の打ち合わせからふたりだけの飲み会となり、自分が正体をなくすほど酔ったこと、そして他ならぬ自分の希望でこの別荘まで車で連れてきてもらったことなどを知った秋生だが、細かい部分でどうにも腑に落ちないことが多いことに気づく。秋生の違和感は、その後次々とあきらかになる事実が積み重なっていくにつれて、ますます大きくなっていく。いつのまにか無くしてしまった自分の携帯電話、バッテリーが切れ、充電器もない片桐の携帯電話、昨夜の嵐でふさがれてしまった道、そして故障している別荘内のテレビと電話――事実上、片桐とともにこの別荘に閉じこめられた形となった秋生は、このあまりにも出来すぎた状況から、これが片桐によってあらかじめ仕組まれたことではないのかという疑いをもつようになる。自分はひょっとして、彼に監禁されてしまうのではないか、と。

 秋生を主体として物語が展開していく本書において、彼女に与えられる情報はごくわずかであり、それゆえに彼女にとって重要なのは、そばにいる片桐の存在となってくる。なぜなら、彼女にとって片桐だけが、唯一の情報提供者となっているからだ。こうした状況は、監禁状態にあるシチュエーションにおいて共通するものであるが、本書において秋生が置かれた状況が妙に生々しく、リアルに感じられてしまうのは、監禁状態にあるさいの状況がたくみに構築されているからに他ならない。このとき、たとえば物理的にどこかの閉鎖空間に閉じこめられているかどうか、というのは、じつはたいした問題ではない。本書においても、秋生がその気になれば、別荘から抜け出すことは不可能なことではないし、よりくわしい状況をつかむこともできた。だが問題なのは、むしろ秋生が精神的に「閉じこめられている」と思い込ませる展開が、じつに的確に演出されていくという点である。まるで、進むべき道は何本もあるのに、どの道を選択してもすべて行き止まりになっている、出口のない迷宮を彷徨っているかのように、徐々に追いつめられていく秋生の、片桐に対する際限のない疑惑と、それまで彼女が彼に持っていたカリスマ的なイメージとのギャップで、激しく揺れ動く心情が、やたらにリアルなのだ。

 何人か、秋生が回想する出版社の女性メンバーの名前は出てくるものの、基本的に登場人物はふたりだけ、また場所も別荘内と固定されているため、ストーリー的にはともすると平坦で、動きのないものとなりがちであるが、本書の場合、そうした舞台設定をすることで、むしろ秋生の乱高下する精神の揺れ動きがいっそう強調されることになり、そういう意味で本書は良い意味で計算高く、読者を惹きつける要素をもっている。秋生自身が、分からないということ、知ることができないという状況にことのほか敏感であるという性格も、本書の雰囲気づくりにひと役かっていると言える。そして本書はあくまで秋生の視点で語られていくが、もうひとりの登場人物である片桐からすれば、このような状況はある種の興奮をもたらすものであることを否定することはできない。自分が少なからず行為を寄せる女性と、誰にも邪魔されることなくふたりきりになれること、それも、情報という点では女性より有利に立てること――それは、男にとっての支配欲をこのうえなくくすぐるシチュエーションだ。

 それが偶然のものであるのか、あるいは意図したものであるのかは、物語の最後までわからない。だが、それがどちらであったとしても、男に生まれた者にしてみれば、妙な論理で武装をしたうえで、女性を自分の好きなようにできると思い込んでしまうのに充分な条件がそろっている。秋生の精神の揺れ動きと同時に、片桐のなかでも起こっているだろう精神の揺れ動きというのも、本書の読みどころのひとつである。もっとも、女性からすれば、それはただ不気味で、困惑を引き起こすものでしかないのだが。

 物語の終わり方については、それこそ出来すぎだという印象のぬぐえないところもあるが、人間が、とくに男という生き物がまとう外見や印象が、女への欲望の前にはいかに脆く崩れ去ってしまうものでしかないか、という意味で、本書はその危うさを描くことに成功した作品だと言える。あとは、その男の危うさと狡さ、女の弱さと容赦のなさを、本書を読んだ人たちがどのように判断するか、という点に集約されていくことになるのだろう。(2008.02.28)

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