【花風社】
『地球生まれの異星人』

泉流星著 

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 最近、小説を読んでいて聞きなれない言葉と出くわすようになってきた。高田崇史の『QED 百人一首の呪』、および西尾維新の『クビキリサイクル』では、「サヴァン症候群」と呼ばれる登場人物が出てくるが、これは日常生活に支障が生じるほど知性が未発達であるにもかかわらず、ある一点においてのみ驚異的な才能を示す疾患、ということらしい。当人の意思に関係なく、ひたすら記憶することのみに脳が消費されるがゆえに、異常なまでの記憶能力を持っているのに、記憶した事柄を順序だてて考えたり、他の何かに結びつけたりすることができないといった症状を抱えている。石田衣良の『少年計数機−池袋ウエストゲートパーク2』では、「ねえ、やっぱりマコトもLDなの」なんていうセリフを小さな子どもが言ったりする。LD――Learning Disabilities、日本語に訳すと「学習障害」となるが、これは読み書きや計算、推論といったある特定の能力に障害が見られるというもので、これも症候群のひとつだという。

 これらのさまざまな症候群の原因は、その詳細まではわかっていないものの、脳や中枢神経に生じたなんらかの機能障害によるものであることが多く、当人の努力や訓練でどうにかなるものではない、ということらしい。上述した作品が、どれも比較的新しいものであることを考えると、こうした言葉はごく最近一般化してきたものだろうと思うのだが、以前であれば「奇人」「変人」「問題児」、あるいは「天才」などと呼ばれ、あたかも本人の人格に大きな問題があるかのように扱われてきた彼らに、きちんとした言葉が与えられるようになったのは、大きな進歩だと言っていいだろう。脳の機能障害、という意味では、精神障害、人格障害というよりはむしろ身体障害の一種と考えたほうがいいのかもしれないが、脳という目に見えない部分の障害であるゆえに、目に見える形の身体障害者以上に、周囲に誤解されやすいだろうことは、ちょっと考えればわかることである。

 本書『地球生まれの異星人』という本について書評する前に、まず述べておかなくてはならないのは、本書が非常に誤解されやすい内容のものだ、ということである。そもそも、タイトルにある「異星人」という言葉は、うがった見方をすれば「自分は他の有象無象とは違う、特別な人間なのだ」というとらえかたをされてしまうところがある。内容もまた、ともすると著者の才能自慢ではないかと判断されてしまいそうであるが、もしそうした先入観をもってしまった方がいたとしたら、それは間違いである。私のサイトの「読んだ本は意地でも褒める」という方針が、「言葉巧みに読者をだます」ことだと勘違いするのと同じくらいの誤りなのだ。

 前述したとおり、〜症候群、自閉症、LDやADHD(注意欠陥多働障害)、あるいは発達障害といったさまざまな専門用語を最近よく見かけるが、私自身、それらの言葉をどのくらい正確に理解できているか、正直あまり自信がない。本書の著者は、「アスペルガー症候群寄りの自閉症スペクトラム」という障害をもっていると診断された方であるが、著者が抱える障害の内容を簡潔に説明するのは、ちょっと難しい。アスペルガー症候群とは、自閉症のように言葉に異常が出るわけではないが、その言葉をコミュニケーションの道具として使えない、という障害で、重い自閉症から部分的なものを含めた、広い範囲における自閉症を総称する「自閉症スペクトラム」の一種、ということになるらしい。ただ、具体的にそれがどのようなものであるのかを知るには、まさに本書を読んでもらう以外にない。そして、本書を読んでわかってくるのは、著者が小さい頃からこうした目に見えない障害への周囲の人々の無知ゆえに、多くの誤解を招くような生き方を強制されてきた、という事実である。

 ひとつのことに意識を集中させると、文字どおり寝食やトイレさえ忘れて没頭し続けてしまう、周囲に人がいてもたんなる風景の一部としか見えず、それゆえに他人の目を意識した行動をとることができない、内側の感情と外側の表情とがうまく連動しない、音や光に過敏に反応してしまう、複数の物事に順位をつけ、同時進行的にこなすことができない――むろん、すべてのアスペルガー症候群の人や、自閉症スペクトラムの方がこれらの症状と一致するわけでないことは、本書でも断っているが、それでもなお、本書が少なくともそうした脳の機能障害で苦しんでいる人の存在を知らしめ、どのように接していくべきなのかを知る材料として、大きな意義をもつことはたしかだろう。じっさい、私自身もこれらの症状についておおいに共感できるところがあったし、これと部分的に似たようなところを持っていそうな方を何人か思い浮かべることもできた。たいていは不快感とともに会わなくなってしまったのだが、もしそのときに本書が示すような事実を知っていたら、もっと違った対応ができたのではないか、という気がする。

 だが、それ以上に本書について強く感じたのは、本書はまさに、まぎれもなく著者自身なのだ、ということである。私は本書の内容について、「誤解されやすい」と述べた。だが、じっさいに本書を読んでいくと、小学校、中学校とつづいたいじめの体験、就職してからは自分には簡単な仕事さえこなせない、という事実に傷つき、何度も精神科に通ったり、パニックになって暴れたり、不眠や過食症に悩まされたり、自分に自信を失って自殺まで考えたりという、社会への適応についてつまずきっぱなしの人生を歩んできたことがわかってくる。ただ、そうした過激な事実をなんの感情的な表現や修飾もなく、また何のてらいも思惑もなく、じつに淡々とした文章で書き綴っているために、読んでいるほうもたいしたことでないかのように思えてしまうのだ。これは、内心ではパニックになっているにもかかわらず、それが具体的な行為や表情に出てこない、という著者がかかえる症状そのものである。

 そういう意味では、本書は著者自身が、自分という個性と向き合うために書かれた本だということもできる。そして大切なのは、著者を含む症候群をかかえる人々が、多くの人たちに誤解されながら、それでもなおこの社会でうまくやっていきたい、と望んでいる、ということである。著者が使う「異星人」という言葉は、けっして自分を特別視するものではなく、異なる文化圏に生きる人間ということであり、その違いを頭から拒否するのではなく、尊重し、認めてもらいたい、という切なる願いなのだ。その意思は「脳にハンディがあることは、仕事や、世間とのつき合いがうまくいかないことの言い訳にはならない」という著者自身の言葉を挙げれば充分だろう。

 この世界には、じつにさまざまな人がいて、そのそれぞれに異なる価値観がある。私たちはそうした事実を知ってはいるが、それでもどうしても、自分が正常だと信じる価値観で物事を判断しがちである。私たちがともすると忘れてしまいがちな、しかしとても大切なことが、本書の中にはたしかにある。(2004.01.25)

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