【徳間書店】
『空色勾玉』

荻原規子著 



 輝(かぐ)に属する勢力と、闇(くら)に属する勢力が、長きにわたって争いをつづけている戦乱の時代――輝の勢力は、高光照(たかひかるてる)の大御神が地上につかわしたふたりの御子、照日王(てるひのおおきみ)と月代王(つきしろのおおきみ)を先頭に、土着の神々を次々と打ち破り、世界をあまねく光で満たそうとしており、闇の勢力は、自分たち以外の神の存在を認めようとしない輝の大御神のやり方に反発し、各地で抵抗をつづけていた。だが、はるか天地創造の時代、高光照の大御神と闇御津波(くらみつは)の大御神は多くの国と神々を生み出した男神と女神であり、ふたりは夫婦神でもあった……。

 以上が、本書『空色勾玉』の背景に流れている壮大な世界観である。この古代日本の神話をモチーフとした和製ファンタジーでは、私たち人間と比べてあきらかに上位の存在である神々が、なかば不死に近い肉体をまとい、その力をふるい、地上を闊歩しているという神代の時代を舞台に物語が繰り広げられていくわけであるが、神という名の超越者が、あたり前のように人間たちと同じ世界に君臨しているがゆえに、ごく普通の人間がなかなか活躍しづらい世界観であることは、本書でも『古事記』の世界でも似たようなものである。

 本書に登場する狭也(さや)は、羽柴の里に住む15歳の村娘であるが、この少女もまた神代の時代で活躍する人物の常にもれず、ただの人間ではない。まだ幼い頃に輝の軍勢によって滅ぼされた闇の氏族の村の、ただひとりの生き残りであり、しかも神々をも滅ぼせるという「大蛇の剣」を鎮める「水の乙女」の力を継承する巫女姫なのだ。狭也はその事実を、村の祭に招かれる楽人に扮した闇の眷属たちから聞かされることになるのだが、長く輝の勢力の統治を受け入れている羽柴で育ってきた狭也にとって、それは耐え難い現実でしかなかった……。

 物語はその後、輝の御子のひとりである月代王に見初められた狭也が、彼につかえる采女(うねめ)として、輝の御子たちが住むまほろばの宮に移り住むことになるのだが、そこでの生活は狭也にとって、輝の御子たちが自分とは遠くへだたった存在であること、そして自分の居場所がここにはないということを痛感させる結果となった。そして彼女は、宮殿の奥にある神殿で、「大蛇の剣」とともに縛められていた輝の御子のひとり、稚羽矢(ちはや)と出会う。輝の大御神に属する者でありながら、黄泉の国に憧れ、しばしば心が肉体を離れていってしまうこの夢みる御子は、一族の恥として長くその存在を神殿の奥に隠されていたのだ。

「あなたのことがわかる気がするの。あたしたち、正反対で、それでいてとてもよく似ているんだわ。二人とも、一族のわくをこえたものに憧れてしまったのよ。輝の一員になりたかったあたしを、あなたの兄上はここへ連れてきてくださった。あなたも闇の世界へ行きたいと望むなら行っていいと思うの」

 自分がどうしようもなく闇の巫女姫であり、輝の一員にはなれないことを知り、闇の氏族とともに輝の大御神の軍勢と戦うことを決意した狭也、その狭也に背中を押されるようにして、「大蛇の剣」の力をその身に秘めながらも、ようやく自分の意思で動き始めた稚羽矢――輝と闇の最終決戦という壮大な世界の流れを背景に、過酷な運命に翻弄されながらも少しずつ成長していくふたりの姿を描いた本書は、神々と、その力を受け継いだ異形ともいうべき人々によって織り成される「神話」の雰囲気を色濃く残しながら、いっぽうで少年少女の心の成長という、ごく普通の人間だけが共感することができる「青春小説」であり、さらには一種の「恋愛小説」としての要素さえ持ち合わせている、という点では稀有な完成度を誇っていると言えるだろう。

 輝と闇、あるいは光と闇と置き換えてもいいと思うが、光だから善であり、闇だから悪だという構図は本書にはない。天界に住まう高光輝の大御神をはじめとする不死の一族が輝、火の神を生んだときの火傷がもとで黄泉に隠れたという闇御津波の大御神に連なる、地上に生きるよみがえりの一族が闇、というとらえかたが正しいのだが、不死であるがゆえに命に対して酷薄で、あまりに純粋であるがためにかえって容赦のない輝の一族よりは、地上における自然の移り変わりを深く愛し、大地と強く結びついて生きる闇の一族のほうが、より感情移入しやすい存在ではあるだろう。だが、地上のすべてを焼き尽くさんばかりにまばゆく、強く、まっすぐで美しい輝の御子たちも、有限な肉体を次々と入れ替えるように、魂の転生を繰り返して何度も地上によみがえってくる闇の氏族の者たちも、ごく普通の人間である私たち読者にとっては、どちらも異形の者であり、不死にしろ転生にしろ、不変という要素に変わりはない。

 変化していかない、ということ――こうした固定の性質こそが、「神話」をモチーフとした世界観を支える大きな要素のひとつであるのだが、それでは物語は滞ってしまう。狭也と稚羽矢というキャラクターは、物語の中心を成す人物であると同時に、固定された「神話」に変化をもたらすべく現われた、異形のなかの異形とも言うべき存在なのだ。闇に属していながら不死の神々に恋焦がれ、輝に属していながら死を象徴する黄泉に憧れを抱くふたりの存在は、世界に変化をもたらすべく用意された者たちであり、また常に変化せずにはいられない私たち人間にもっとも近い存在であるとも言えるだろう。

 そう、本書は神代の時代を舞台に繰り広げられるファンタジーであるが、それ以上に神々の時代から人間の時代への変化、移り変わりを描いた物語でもあるのだ。本書のもっとも大きな特長であり、また評価すべきところは、その一点にこそある。

 まだまだ変わっていくだろう。狭也も稚羽矢も、閉ざされていた扉の開け方をようやく知りはじめたにすぎないのだから――

 本書のなかには、しばしば美しく息づく自然の様子が差し挟まれている。生まれては亡び、けっしてひとところにとどまってはいない自然の、流転していくからこその美しさ――それは、たとえば造花などではけっして再現できない、別の種類の美しさでもある。不変の神々のなかで、それでも変わっていこうとする異形の中の異形である狭也と稚羽矢の活躍におおいに期待してもらいたい。(2003.12.14)

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