【小学館】
『そのときは彼によろしく』

市川拓司著 



 過去を振り返ることよりも、未来に目を見据えて生きることのほうが重要だと、いつも思って今という時間を生きてきた。それは今も変わりない思いとして私のなかにあるのだが、同時にそれが、まだ年齢的に人生の折り返し地点にも来ていない若い人たちの特権であるという自覚もある。誰の何という小説かは忘れてしまったが、ある老人が人の生涯を一日に置き換えたときの話をするシーンがあるのだが、今の私がちょうど会社かどこかで働いている時間帯であるとすると、老人たちはさしずめ、家に戻ってくつろいだり、今日の仕事ぶりを振り返ったりする時間帯ということになる。自身の人生の終着点が見えてきている人たちにとって、おそらくさらに先の時間を見据えることよりも、自分のこれまで歩いてきた過去を振り返ることのほうが重要であるし、それはけっして間違いでもない。つまりは、そういうことだ。

 人の抱く価値観は時とともに移り変わって、けっして同じままでいられるわけではない。だが、過去において自分が思っていたことや考えていたことの事実は、たとえ本人が忘れていたとしても、けっして消えてしまったりするわけではない。なぜなら今、ここにいる私という個は、良くも悪くもそうした過去の思い出の積み重ねによって形成された結果であるからだ。起こってしまったことは変えられない。だが、その過去を否定することは、今の自分を否定することでもある。そして自分を否定する者に、未来はけっして開けない。そういう意味で、人はたしかに、過去に向かっていこうとする生き物でもあるのだろう。

 本書『そのときは彼によろしく』のなかで、一人称の語り手である「ぼく」こと遠山智史が語る過去は、そのまま彼の現在へと直結している。父親の仕事の都合で転校を繰り返すような少年時代を送っていた彼のなかで、ことさら重要な意味をもつようになった過去――彼が13歳のときに引っ越してきた町で出会った、ちょっと変わったふたりの友人との思い出話からはじまる本書のなかで、29歳の智史は、とある町でアクアプランツを売る小さなショップを経営しており、結婚紹介システムを介して出会った柴田美咲との仲をゆっくりと育んでいた。

 アクアプランツとは、水草のこと。熱帯魚などの水生生物を飼育するのに必要な水草を専門に販売している智史のアクアショップ「トラッシュ」には、あたりまえのことではあるが大小さまざまな水槽があり、そのなかは色とりどりの水草によって満たされている。そこにあるのは、ガラスによって世界から隔絶された、美しくはあるがかぎりなく閉ざされた、小さな世界である。そしてそんな水槽のなかの世界は、智史の心のなかにある過去の思い出の象徴でもある。ゴツい眼鏡をかけて、ただのゴミを細密画のように描く五十嵐佑司と、体に合わない大きなアーミーコートを着て、歯列矯正器を歯にはめた滝川花梨、「ヒューウィック?」と聞こえる鳴き声の、年老いたむく犬のトラッシュ――ゴミの山のなかに密かにつくられた、ささやかな世界のなかで、それぞれ変わり者で、それぞれ孤独であることを好んでいた子どもたちは不思議なつながりによって一緒になり、友だちになった。

 基本的に智史の過去と現在を行き来するような形で物語が進んでいく本書であるが、その過去においても現在においても共通するのは、「ささやかで小さな世界」という要素である。そして、過去においても現在においても、その世界の住人である智史の心は変わってはいない。変わらないということは、何か行動を起こしたり、何かを選択しなければならないようなときに、心を乱されるようなことがない、ということでもある。智史の心は、昔も今も、ゴミの山のなかで出会った変わり者の友人たちと過ごした時間とともにある。だから、今や世界的にも有名な女優「森川鈴音」となって智史の店に現われた花梨のこんな評価も、彼の変わらない心が同時に子どものような純真さを残すことになったと考えれば、充分納得のいくものとなるのだ。

「この歪んで悪意に満ちた世界で、よくそこまで真っ直ぐに育ったものよね」
 彼女が言った。
「あなたの存在自体がひとつの奇跡だわ」

 廃墟のように閉じた小さな世界のなかで、たった三人の子どもだけで形成されていった純粋な想い――その構造は、個人的にはどうしても雨森零の『首飾り』を思い起こさずにはいられないのだが、本書が『首飾り』のような、成長にともなう心の変化、そしてそこから必然的に起こってしまう悲劇から逃れ、智史の心のなかで、それこそアクアリウムのような純粋さを保ちつづけていたのは、彼ら三人の過ごした時間が非常に限定されたものであったからに他ならない。過去に出会いがあり、別離があって、智史の心のなかでその思い出がそのときの状態のまま凍結されていたのであるとすれば、それはたしかにこのうえなく美しいものとして読者の心に響くことになる。そういう意味では、たしかに「ひとつの奇跡」である。そしてその奇跡は、かつて別れた三人の子どもを、ふたたびひとつの場所に引き寄せることになる。

 結婚を前提にお付き合いしていた男女のあいだに、突如初恋の相手だった美女が割り込んでくるという展開であるにもかかわらず、本書ではそうした場面にありがちな修羅場へとなだれ込むようなことはない。基本的に激しい感情の吐露や、大きく揺れ動く心の動きといったものを極力抑え、あくまでドライな雰囲気や抑揚の利いたセリフ回し、ちょっとした軽い身ぶりといった要素に満ちている本書は、そのまま語り手の変わらない心を演出するのにひと役買っているわけでもあるが、そういう意味では、この物語の結末もまた、最初から定められていたものだと言うことができる。

 過去の記憶というのは、けっして美しいものばかりとはかぎらない。だがどれだけつらく悲しい過去も、時間が経てばいずれ思い出に変わり、いつかは振り返ってみるような機会もあるかもしれない。そしてそれは、私たちが思う以上にすばらしいことなのかもしれない――そんなふうに思わせられるものが、本書のなかにはたしかにある。(2007.07.03)

ホームへ