【早川書房】
『スマイリーと仲間たち』

ジョン・ル・カレ著/村上博基訳 



 ごくあたりまえのことではあるが、小説というのは私的言語である。ここでいう「私的言語」とは、宣伝やマニフェスト、アジテーションといった公的言語とは対極に位置する言葉であり、あくまで個人が発したもの、という意味以上のものをもつことはない。それゆえに、小説を読むという行為には、個人と個人――どのような組織や血族ともつながっていない、むきだしの個どうしが対峙するという意味合いをおびることになる。そこには、公的言語がもつストレートな主張や力強いメッセージ性といったものがあるわけではない。だが、個人のものであるがゆえに、ひとりの人間の弱さ、むき出しにされたひとつの個性の脆弱さをぶつけるには、小説はこのうえなく適したツールであると言える。

 以前読んだ、フリーマントルのスパイ小説『消されかけた男』は、容貌的には冴えない中年男である主人公のスパイが、緻密な情報戦という点でまさに「プロのスパイ」「古き良きスパイ」というひとつの個性を見せつける作品であり、また映画に出てくるような派手さはなくとも、スパイ小説にはその抑制された緊張感や心理戦のうえでの醍醐味があることを教えてくれた作品でもあるのだが、今回紹介する本書『スマイリーと仲間たち』の場合、同じスパイ小説ではあるが、登場人物たちの個性を抑制するという方向性がよりいっそう洗練されており、それがスパイという「個性」を強調するのではなく、むしろその無個性である点、ひとりの人間としての個性をもつことを許されない「駒」としての哀愁をただよわせることに成功している。そしてその方向性は、ひとりの人間としての弱さを表現する小説本来の方向性にも合致するものでもある。

 あれはただひとつの顔ではないぞ、と警視正は思った。――(中略)――あれはさまざまな顔なのだ。さまざまな年齢、人々、仕事の、あれはつぎはぎ細工なのだ。さまざまな信念の、とまでいっていいかもしれない――そう警視正は思った。

 冷戦時のヨーロッパを舞台にして展開していく本書最大の特長は、まさに正統派スパイ小説にふさわしい、その抑制の利いた文体にこそある。「一見関係のないふたつの出来事が、ミスター・ジョージ・スマイリーを、そのあやぶまれた引退生活からよびもどすことになった」という冒頭の文からして、余計な修飾や叙情性をかぎりなく廃し、あくまで起こった出来事や事実の必要最低限を描写していくことに徹する、という強い意思を感じさせるものであるが、本書の文体はただたんにストイックなだけでなく、登場人物や組織、起こった出来事の背後にあるものなどにかんする説明ですらも、可能なかぎり削りとっていくという点に関して、非常に意図的なところがある。たとえば、本書の主役と言っていいスマイリーという年老いた男は、英国情報部「サーカス」のかつてのチーフとして、また凄腕のスパイとして活躍してきた人物であり、その威光は一部では伝説的なものとして威力を発揮するほどのものであるのだが、そのあたりの説明を、本書は明示的には省いており、読者は彼自身の言動や、彼の周囲にいる人たちの反応によって、そうした情報を拾い取っていくことを強要される。

 あるいはそれは、本書が「スマイリー三部作」の三作目にあたる作品であり、前二作である『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』や『スクールボーイ閣下』を読んでいることを前提に書かれている、という見方もできるかもしれない。じっさい、これらの作品をあらかじめ読んでおいたならば、スマイリーをはじめとする「サーカス」に所属する面々や、彼らの宿敵であるソ連諜報部員カーラ、あるいはスマイリーとカーラとのあいだにあった過去や因縁といった、登場人物にかんする予備知識は得られたであろうし、そうした情報が本書をより効率的に読み進めていく手助けにもなるだろうことは想像に難くない。だがそれ以上に注目すべきは、むしろ本書を特徴づけるそのストイックな文体が、その背後にある大きな陰謀をより印象深いものとして演出しているという点であり、そうした秘密へと徐々に迫っていくという展開こそが、スパイ小説の醍醐味でもある。

 パリに住むロシア人女性の前に現われた脅迫者、彼が持ち出した、ソ連に残したままになっている娘アレクサンドラにかんする破格の提案、ロシア人女性が相談相手として選んだ「将軍」という名の男、そしてその「将軍」が手に入れたというある情報と証拠品――本書はあくまで起こった出来事や事実を断片として提示していくが、それは物語のなかでスマイリーがいよいよ動き出すことになったあとも、基本的には変わらない。「将軍」ウラジミールの殺害現場に赴いたスマイリーは、彼とのあいだに、たんに優秀な工作員だったという以上の関係を築いていたことを匂わせはするが、けっしてその場の感情に流されることなく、彼が殺された状況を地道に調査し、わずかに残された手がかりをもとに少しずつ情報を集め、ウラジミールがどんな情報を入手していたのかを突き止めていく。

 いっけん、ほんのわずかなつながりしか見えておらず、ともするとお役目御免となった亡命者の戯言として処理されかけていた案件が、スマイリーの卓越した洞察力と情報収集の力によって、それが長年の宿敵であったカーラとの対決で優位に立つ情報につながるものであることがわかり、同時にそれまでなかなかつながらなかった個々の出来事や事実が、ひとつのはっきりとした線で結びついていくというダイナミズムは、スパイ小説ならではの面白さであるし、その伏線の張り方と回収の仕方は見事というほかにないほど緻密で、冷戦という過去の遺物といっていい時代の古臭さを払拭してあまりあるものだ。そうした本書の、読み物としての面白さは置いておくとして、私が本書を読み終えて考えるのは、スマイリーという人物の、物語上での役割――あるいは、スパイ小説という大きなくくりにおいて、彼のはたす役割という点である。

 スマイリーは自身が優秀なスパイではあるが、彼の肩書きには「元」という修飾がつく。元英国スパイ、という立場は、現役のスパイと似ているようで、じつは大きく異なるものだ。というのも、もともとスパイという存在は組織の命令に忠実であること、あくまで組織の一員として動くことを訓練された者たちであり、彼らの自由意思というものは、たとえあったとしても黙殺されてしかるべきものである。そしてそれが、スパイという存在の哀しさでもあるのだが、すでに引退した身であるスマイリーは、現役のスパイほど組織に縛られているわけではない。むろん、彼が動くときは常にイギリスの利益という価値判断がはたらくことは言うまでもないが、「サーカス」がウラジミールの事件に価値を見出さず、現状放置を決めたあとも、スマイリーは独自に事件の調査をおこない、またかつての仲間の力を借りることも厭わない。そしてそれは、敵側であるカーラについても同じことが言える。

 そんなふうに考えたとき、本書のなかで展開される一連の出来事は、たとえば各国の情報部が世界をまたにかけてしのぎを削る、といったスケールの大きさや、あつかう情報がもたらすかもしれない国際的な危機感を誇るものではなく、あくまで個人的な――より詳しく言うならスマイリーとカーラという人間の、あくまで個人的な因縁を取り上げたものであり、そうである以上、その決着もまた個人的なものへと収束していく。いっけんすると、登場人物の個性が極端なまでに抑制されていて、あくまで起こった事件を追う「駒」のような扱いをしていく本書であるが、そこにスマイリーというイレギュラーが投入されることによって、物語全体の意味合いとして、このうえなく人間味のあるものとなっているのだ。そしてそうなると、本書のタイトルでもある「スマイリーと仲間たち」の「仲間たち」のもつ意味も、変わってくることになる。

 ベルリンの壁が崩壊し、ソ連という大国も今はなく、かといってヨーロッパやアメリカに代表される帝国主義が完全に勝利したというわけでもなく、世界は大きな枠組みというよりは、むしろそれぞれがそれぞれの小さな枠組みのなかに、自身の拠り所を求めているような様相を呈している。本書はスパイ小説でありながら、大きな枠組みではなくあくまで個人のありように目を向けるような物語を展開している。「社会とは少数派の連合体なのだ」というスマイリーの言葉は、あるいは今の時代だからこそ、より胸に響くものがあるのかもしれない。(2008.05.26)

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