【河出書房新社】
『死者の体温』

大石圭著 

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 これまでの人生において、あなたは意識したことがあるだろうか。自分が、地球という小さな惑星の表面で生きる五十億分の一である、ということを。そして十億年後、太陽の消滅とともに地球上のすべての生命が死滅する、ということを。そういったまぎれもない事実――ひとりの人間の存在など、あまりにもちっぽけなものでしかない、という事実――を、しかし私たちは普段から意識することはほとんどない。私たちはそれぞれの世界で生きているし、これからも生きていくためにしなければならない多くのことで忙しい。勉強や仕事や恋愛など、目の前に現われる当面の問題に忙殺されている私たちに、そんな大局的なものの見方をしろ、というほうが無理なのだ。そして、おそらく、そうであったほうが、人はずっと幸せに生きていくことができるのだろう。

 本書『死者の体温』に出てくるひとりの男――容姿、頭脳、体力、金銭、あらゆる点に恵まれた男――『安田祐二』が、なぜ連続殺人を犯しつづけてきたのか、私にはいくら考えても、本書を何度読み返しても明確な答えを見つけることができない。いや、そもそも彼が人を殺すのに、何か理由など必要だったのだろうか、とさえ思ってしまう。わかるのは、彼がまるで宇宙の外から物事を眺めているかのような視点で生きている、ということ。だが、そのくせ彼は、殺す相手のことをできるだけ多く知りたがり、その人間が、世界で唯一無二の存在であることを確かめようとしている。

 その試みは、おそらく永遠に果たされることはない。彼にはわかっているのだ。ひとりの人間に関するあらゆる情報を集めたところで、それはせいぜい数枚の紙の内に収まってしまう程度のものでしかない、ということを。どんなに偉大な功績を残した人も、やがては死に、そしていつかは忘れられていく。広大な宇宙から見れば、ほんの一瞬にすぎない人の一生――その脆さ、儚さをどうしようもなく理解してしまったとき、彼の中であらゆる生き物の命は等価となり、同時に何の価値もなくしてしまう。

 いくらでも取り替えのきく存在だということ。そしてすぐに死んでいなくなり、かつて存在したことさえ忘れ去られるのだということ……。その意味では、ここに住む百数十万人の人々も、『片平千秋』も、あの皮膚病の犬も、バルコニーの片隅で鳴き続ける虫も、もちろん僕も、たいした違いはない。
(中略)
 生命を消してしまうのは、とても簡単なことだった。いや、たとえ僕が手を下さなかったとしても、その生命は間もなく終わるはずだったのだ。
 殺したのは僕ではない。彼らを殺したのは時間だ。僕は予定よりもほんの一瞬早く、その生命を消したというだけのことだ。

 少年、乳児、そして胎児――若い命を殺すことは、たんにひとりの人間を殺すだけでなく、今後も続いていくであろう遺伝の連鎖に連なる未来の命をも殺してしまうことになる。そういった意味で、生命はやはり大切なものであることを、彼はわかっている。だが、わかっているにもかかわらず、いや、わかっているからこそ、彼は殺人をやめることができなかったのではないか。その心理を理解することは、私自身はもちろん、おそらく誰にも理解することはできない。

 恨みや憎しみのためではなく、快楽のためでもなく、またそれなりの報酬のためでさえもなく、ひとりの人間の命を奪うこと――おぞましささえ感じるほどの諦念を持った人々を私たちは知っているし、「ポア」ということばで殺人を正当化する彼らが起こした事件の衝撃も知っている。あとがきにも少しだけ触れているが、彼らの心理は、本書の『安田祐二』の心理と非常に近かったのかもしれない。だが、いずれにしろ、私たちには理解できない世界で、彼らは生きてきたし、おそらくこれからも生きていくのだろう。そして、そんな彼らを生み出したのもまた、私たち人間なのである。

 死んだものに体温はない。死んだあとに残るのは、たんなる物体だ。だが、死んだ直後――生から死へと肉体が移りゆくにつれて起こる体温の変化を、『安田祐二』はどんな気持ちで感じていたのだろう。(1999.04.18)

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