【アスペクト】
『死ぬかと思った』

林雄司編著 



「死ぬかと思った」経験を自慢してください。
 肉体的、精神的でもどちらでも構いません。
 ですが、自分として折り合いがついている経験に限ります。
 文末は「死ぬかと思った」で終わらせてください。

 ということで、今回紹介する本書『死ぬかと思った』は、個人サイト「Webやぎの目」のコーナーに投稿された「低レベルな臨死体験の告白」のなかから、とくに選りすぐったものを一冊の本にまとめたものであるが、まず断っておかなければならないのは、そこに投稿されたものすべてが、文字どおりの「死ぬかと思った」体験談で占められているわけではない、ということである。

 たとえば、酔っ払った父親にあやうくナタで脳天をかち割られそうになったり、プール掃除のさいに滑って後頭部を強打したり、あるいは下り坂を猛スピードで下っているときに足を車輪に巻き込まれて宙を飛んだりといった、一歩間違えれば本当に死んでしまってもおかしくないようなものが、本来の「死ぬかと思った」体験だと言える。このたぐいの体験談のキモは、人の「死」という重いものと、そこに到ったかもしれない原因のこのうえないくだらなさとのギャップにある。それこそ、ギプスをはめた手でコンセントの穴に学習机のカギを突っ込むという馬鹿げた理由であればあるほど、もしじっさいに死んでしまったときの状況の、あまりの意味不明さや恥ずかしさといったものを想像することの面白さも倍増するのだ。

 毎年お正月になると、必ずといっていいほど餅をのどに詰まらせて死亡したというニュースが流れるが、よくよく考えると、餅をのどに詰まらせて死ぬというのは、死因としては相当に間抜けなものだ。少なくとも私はそんな死にかたはしたくないと思ってしまうのだが、本書で紹介されているのは、チョコボールを鼻に詰まらせて死にそうになるといった、これで死んだらあまりの恥ずかしさで死ぬに死ねないと思えるようなものばかりである。

 そう、タイトルこそ「死ぬかと思った」とあるが、重要なのは本当に死にかけたかどうかという点ではなく、むしろ「死ぬほど恥ずかしい目にあった」という点にこそある。本書の大きな特長のひとつとして、ウンコを漏らしたとかゲロを吐いたとかいった、いわゆる下ネタ系の話が多いというのがあるのだが、直接的な臨死体験というわけでもない、いささか下品とも思えるような体験談が一種の自慢話として載せられている理由も、「恥ずかしさ」というキーワードで考えれば納得のいくものである。

 この書評の最初に引用したように、これらの体験談の最後は「死ぬかと思った」という言葉でしめくくられるという決まりになっている。そして、本書を読み進めていくとわかってくるのだが、この「死ぬかと思った」という言葉のなかには、じつにさまざまな意味合いが込められている。もちろん、文字どおりの意味もある。だがそれだけではなく、「殺されるかと思った」という意味にもなれば、大失敗のはてに「死んでしまえ、自分」のような意味にもなるし、「情けなくて死にたくなった」というような意味も含まれている。そこには、もしバレたらそれまでその人が対外的に積み重ねてきたイメージが一瞬にして崩れ去ってしまうものも少なくはない。だが、同時にこうして掲載されているということは、少なくとも当人のなかでは笑い話のひとつとして昇華されているということでもある。

 私たちは人間である以上、失敗することもあれば、排泄の悩みを抱えたりもする。それこそ、大人なのにウンコを漏らしたあげく、ノーパンで面接を受けなければならないような恥ずかしい経験をしなければならないときだって、あるいはあるかもしれない。本書のなかに書かれている体験談は、たしかに「低レベルな臨死体験」でしかないが、そのくだらなさや馬鹿馬鹿しさが、私たち読者の心を和ませることもたしかである。なぜなら、そのくだらなさこそが、私たちが他の動物とは異なる、まぎれもない人間であるためののりしろだからに他ならない。そういう意味では、本書の面白さは『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』にも通じるものがあると言っていい。どんなに偉大な人物や聖人と呼ばれる人であっても、こうした「死ぬかと思った」体験と無縁ではいられないのだ。

 ちなみに、私の「死ぬかと思った」体験といえば、それこそお漏らし系をはじめいろいろとあるが、最近では会社の基幹系サーバの元電源を、組んだ足の爪先が主電源ボタンを長押ししていたために落としてしまったという失敗をやらかしたが、そのときは頭から血の気が引いていく音がじっさいに聞こえたような気がしたことを覚えている。誰もが何かしらかかえているはずの「死ぬかと思った」体験――それは、陰惨な事件や先の見えない未来への不安、あるいは長引く不況といった、どことなく暗い話題に溢れる今の世のなかにあって、どこか心の和むあたたかさをあらためて私たちに教えてくれるものでもある。(2010.05.25)

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