【文藝春秋】
『南の島のティオ』

池澤夏樹著 
第41回小学館文学賞受賞作 



 私にとって本を読むという行為は、常に新しい出会いと発見に満ちた、じつに楽しい時間の過ごし方であり、もしこの世に本がなかったとしたら、たとえそのことで死ぬようなことはないとしても、きっと寂しくてたまらなくなってしまうだろう、と考えるくらいのものであるのだが、それでもなお、ふと空を見上げたときに目に映る、その吸い込まれそうな青さや、表情豊かな雲の形、夜空にまたたく星や、ひかえめな光を投げかける月、あるいは公園の木陰で本を読んでいるときにそばを吹きぬけていく風の感触や、その風になびく草花、まるで踊っているかのような木漏れ日などに気がついたとき、これはこれでいいものだな、とも思うし、もしかしたら、この自然の移り変わりを美しく感じる心さえあるなら、それはそれで満ち足りた気持ちになれるのかもしれない、と思うこともある。

 池澤夏樹の作品を読むと、そこに描かれている豊かな自然と、その自然にとけ込むようにして淡々と生きている人々の姿に、いろいろと考えさせられるものがあるのだが、本書『南の島のティオ』に収められた10の短編に対する印象は、まったく教訓臭くないおとぎ話という表現こそがふさわしい。おとぎ話というと、たいていはお年寄りが語るものであり、お年寄りというのはえてして説教臭いものであるのだが、南海にある小さな島を舞台に、少年ティオと、彼が出会う人々との交流と、そこで起こった不思議な出来事を描いた本書の場合、語り手となるのはティオである。それも、ただたんにティオの一人称で語られている、というだけでなく、その視点が完全に少年のそれと同化している、という点が、本書を独特の透明感のある作品に仕上げている。

 たとえば、本書ではティオが住んでいる島の名前や、父親の名前、その父親が経営しているホテルの名前といった、少年にとってあまりに近い場所にあるものの名称が、注意深く排除されている。そのほかの名前、たとえば島にある飛行場や岬、山や遺跡の名前は明らかになるのに、読者にとってもっとも肝心なものの名前が出てこないのは、それが純粋に子どもの視点で描かれているからだ。そしてそれは、ティオにとって自分がこの島で暮らしているという状態が、あまりにもあたりまえになりすぎていて、滅多に意識することがない、ということを意味してもいる。

 そういう意味では、このティオという少年の視点は、そのまま島自身の視点と結びつくものであり、『南の島のティオ』というタイトルを冠してはいるが、ティオ自身がこの物語の主人公ではなく、彼が目にしたいろいろな人々、彼が体験した不思議な出来事そのものが主人公だと言うことができる。じっさい、本書を読んでいると、ティオという少年にはほとんど特徴らしい特徴が見えてこないことに気がつくはずである。それは、ティオがあくまで島にいる多くの子どもたちのひとりでしかない、ということを強調するものであり、ともすればすぐに「その他大勢」にまぎれこんでしまいがちになるのだが、本書の場合、それがティオの語るファンタジーめいた話に妙な信憑性をあたえる方向に作用しているのである。

 受け取る人間にその場所を訪れさせたくなる、不思議な絵はがきを販売する「絵はがき屋さん」、ある男の死を予言し、また「天の者」を呼び出すことのできるカマイ婆、空にさまざまな風景を映し出す不思議な花火をもつ男、ボートに乗って海に出た人たちをとんでもない場所に連れていった巨大なウミガメや、かわいい子どもを天に連れて行こうとする透き通った姿の巨人――本書に載せられた短編の大半は、ふつうに考えればまずありえそうもないつくり話めいたものばかりであるが、なかには不思議な出来事というよりも、ちょっと変わった人たちのことや、ちょっとした良い話めいたものも混じっており、必ずしもファンタジーというわけではない。そこに共通しているのは、子どもたちがいかにも興味を引きそうな題材がある、という点だけなのだ。

 そもそも子どもというのは好奇心が強いものだ。じっさい、ティオが生きている島もけっして大自然が息づく南国の楽園というわけではなく、自動車やモーターボートといった文明の利器がもちこまれ、道路が舗装されていったりスーパーマーケットが建てられたりといった、近代化の波にさらされているが、子どもであるティオにとっては、道路の舗装工事も飛行機の墜落も興味深いイベントであり、そこには神や精霊たちの引き起こす不思議な出来事との差別は存在しない。また、ティオの語る話は、ときに人が死んだり行方不明になったりと、必ずしもほのぼのとしたものばかりではないのだが、そうした、ときに重い内容の話でさえ、ティオの一人称はあくまでひとつのお話として、とくに余計な感情を差し挟んだりすることなく語っていく。

 人が死んで悲しいと感じるのは、たしかに人間の感情である。しかし、豊かではあるが厳しくもある自然のなかでは、死もまたひとつの必然であり、あたりまえの出来事である。本書全体を通じて一貫しているのは、そうした意味においての「自然」であり、だからこそ本書はどこか神秘めいた出来事を描きながらも、しかしどこか現実味のある、きわめてリアルな世界を描き出すことに成功している。

 本はたしかにすばらしいものであるが、しかし本というのは、あくまで人間が生み出した、人間のためだけのものでしかない。ティオをはじめ、本書に登場する人たちのほとんどは、おそらく本などなくてもふつうに暮らして、そして死んでいくだろう。だが、その事実をもって、彼らが精神的に貧困な生を送っている、などと思うものはいないに違いない。あるいはこれこそが、人間の本来あるべき生き方ではないか、というものが、本書のなかにはたしかにある。(2004.09.02)

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