【角川書店】
『死国』

坂東眞砂子著 



 人は死ぬとどうなるのだろう。いや、そもそも死とは何を意味するのだろう。ただひとつ言えるのは、死者は生者の思い出の中でしか生きられない、ということだ。その思い出も時の移ろいとともに徐々に風化し、生者と死者の距離はますます開いていくのではないだろうか。
 本書『死国』の中で起こった一連の事件は、忘れられていく死者の、生者に対する叛乱だったのではないか、と私は思う。生者と死者、この物語における両者の中心人物は、やはり明神比奈子と日浦莎代里ということになろう。

 東京でイラストレーターとして働く比奈子は、二十年ぶりに故郷である高知県矢狗村を訪れることになるのだが、一番の幼馴染だった莎代里は十八年も前に、比奈子がまったく知らないうちに事故死していたことを知る。だが、日浦の家を訪ねた比奈子に、莎代里の母である照子は、莎代里は戻ってきたと告げる。四国八十八ヶ所の霊場を左回りにめぐる「逆打ち」という儀式によって、死の国から甦ったのだという。
 そんなとき、比奈子は初恋の相手である文也と出会い、自分がいまだに文也のことが好きであることに気づく。だが、それから二人のまわりで奇怪な現象が起こりはじめるのだ。まるで、二人の仲を引き裂こうとするかのように。そして見え隠れする、莎代里の視線……。

 かつて、死者も生者も同じように、この世に存在していたという古代の伝承。死者の住む島、死国――物語が進むにつれて、四国と死国の関係がたんなる語呂あわせのたぐいで済むようなものではなくなってくるのがわかってくる。生者の国と死者の国――四国と死国、そして生と死は、非常にあやうい均衡のもとに成り立っている。だが、生者と死者による恋人の奪い合いによってその均衡が破れてしまったとき、生も死も意味を無くした混沌の渦の中にすべてが飲み込まれてしまう。
 死者は生者に訊く。<死んだら、何も欲しがったらいかんが?>と。<死んだら大人になれんが? 死んだら人を好きゆう気持ちも死なんといかんが?>と。そのとき、生者は何と答えればいいのだろうか。比奈子と文也、二人の生者は物語のなかでそれぞれ違う答えを出すことになったが、どちらが正しいのかなど、おそらく誰にもわかるまい。

 「魂魄」という言葉がある。「魂」が浄化されることを望む霊であるのに対し、「魄」は生に固執し、未練を残しながら地上をさまよう霊だと本書にはある。確かに、死者は生者の思い出のなかでしか生きられない。だが、それはあくまで私たち生者の論理でしかないことに気づくべきである。死者の心「魄」の目に、私たちはどんなふうに映っているのか――そのときこそ、本書『死国』の真の恐怖が読者を襲うことだろう。(1999.01.01)

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