【角川書店】
『シャングリ・ラ』

池上永一著 



 人の一生はあまりにも短く、できることなどごく限られている、というのが私たちに突きつけられたまぎれもない現実である。だが、そんな現実を意識するしないに関係なく、私たち人間は自我をもち、それゆえに個人として自分が生きる世界とのかかわりを求めずにはいられない因果な生き物でもある。自分は何のために生きるのか――金のため、名誉のため、家族のため、あるいはある特定の組織や宗教のためなど、その目的は個人それぞれであり、また時間の経過によって変化していくこともあるわけであるが、そうしたものをすべて含めたうえで「欲望」と定義すると、よりマクロな視点で人間の活動を眺めたときに、こうした「欲望」が原動力となって、良くも悪くも人々の科学技術を発展させ、人間社会をより複雑なものとしていったことが見えてくる。そして、自分の遺伝子を後世に伝えていくというのが人間もふくめたすべての生物の生きる目的であるとするなら、そのために科学技術という武器をもち、環境を自分たちの都合の良いように変化させていくという道を選んだ人間の手法は、けっきょくのところ人間という種の存続という単純な目的に収束していくことになる、という見方もできる。

 より多く、より高く、より大きく、という人間の「欲望」ははてしないものであるが、そうした「欲望」のもとさえも、個の遺伝子の存続――自分の子孫をより多く残していくという生物的な欲求から来るものであるなら、私たち人間がどれだけテクノロジーを発展させ、自然のサイクルから自身を切り離して生きてきたとしても、それはただの錯覚であり、やはりより大きな自然のサイクルのなかに組み込まれている、ということになる。本書『シャングリ・ラ』という作品について、語るべきことは数多くあるが、現代の神話の再構築であり、またある種の貴種流離譚としての要素も含んでいる物語のスケールの大きさと、その完成度の高さにもかかわらず、本書に登場する人物の誰もが非常に躍動感に満ちた生き方をしているように思えるその最大の要因は、登場人物たちがいずれも個々の「欲望」に忠実だから、という一点に尽きると言える。

 地球温暖化の深刻化にともない、国連が強行採決した二酸化酸素削減案は、先進諸国の産業製品のすべてに「炭素税」を課税するというものだった。これにともない、世界の経済は炭素を中心に回りはじめることになる。二酸化炭素の排出を抑えること、都市のヒートアイランド現象を阻止すること――その如何が国の富を決める基準となった。日本は空中にある炭素を固定し、鋼鉄より軽くて丈夫な新素材の生産を武器に、一躍世界でもトップクラスの炭素削減国としてのしあがることになったが、政府はさらなる炭素削減のため、旧来の東京を放棄して密林を繁殖させ、新東京を空中積層都市へと移転するという、とほうもない案を出す。完成すれば十三層の人工基盤からなる、新時代の理想となる超巨大都市「アトラス」は、建築開始から五十年経った今もなお完成しないまま、工事が続けられている。だがその計画は、遺伝子操作され凶暴化した植物たちの跋扈する地上に生きることを余儀なくされている、貧民層たちの意思を無視する計画でもあった……。

 そのあまりの巨大さから、その影によって地上に一時的な夜さえつくってしまう超巨大都市「アトラス」と、地上に取り残され、植物の侵食と熱帯並みのスコール、そして未知の病原菌に悩まされる地上――物語は、このふたつの勢力の対立という構造をもとに、おもに反政府ゲリラ「メタル・エイジ」の総統である少女北条國子を中心に展開していくことになるが、物語を形づくっていくのは、彼女だけではない。アトラスのなかでもとくに特権的な地位にあり、嘘をついた人間をことごとく変死させる力をもつ少女美邦や、ニューマネーである炭素経済の意表をつくシステム「メデューサ」をもちいて炭素投資の覇者たらんとする若きカーボニストの香凛、日本政府はもちろん、アトラスを実質的に支配している「アトラス公社」さえ一目を置く謎の老人タルシャンや、國子の母親代わりのニューハーフで、しかも挌闘家としても超一流のモモコ、美邦のかかえる特殊な病を治すために人体実験を繰り返すマッドな医者である小夜子など、いずれもひとクセもふたクセもある登場人物たちが、それぞれの抱える「欲望」のために行動していく。本書が何より見事なのは、そうした個性的・魅力的な登場人物を多数登場させ、それぞれがそれぞれの思惑のうちに動いていながら、それでもなおより大きなひとつの物語の要素として、きちんと収まるべきところに収まっていくという点である。

 より凶暴化する森林の侵食を前に、自分の生まれ育った地上のガラクタ都市「ドゥオモ」の寿命も尽きようとしているのを感じ、二十万人の民の移住先として「アトラス」を目指す國子――身の丈ほどもあるブーメランを自在に操って、政府軍の戦車や攻撃用ヘリさえも真っ二つにしてしまう彼女の惚れ惚れするような戦いぶりは、本書のなかでも間違いなく印象的なものであり、彼女たちの未来がどうなっていくのか、という展開がメインであることは間違いないが、それ以上に印象的なのは、本書の舞台が近未来であり、炭素材による擬態装甲やスーパーコンピュータなど、ハイテクの要素があちこちにちりばめられているにもかかわらず、物語全体を覆っているのはテクノロジーの香りではなく、むしろいにしえの魑魅魍魎が跋扈し、呪術や儀式といった古臭いものによって成り立っていた古代の雰囲気である。このあたりの要素は、沖縄を舞台としその独特の風習を物語に取り込むのが得意な著者ならではのものであるが、こと本書にかんしていえば、そうした要素によって近未来における新たな神話の創造という、確固たる物語の骨子を取り入れることに成功したと言うことができる。

 疲弊し、どこか閉塞感のある現状を一度どこかで終焉させ、それまでとはまったく異なる新しい秩序を構築しなおしていく――物語はしだいに「アトラス」建築の秘密に向かって登場人物たちをいざなうことになるが、そこには物語に動かされている登場人物はひとりもいない。國子にしろ、美邦にしろ、香凛にしろ、彼女たちの前に立ちはだかる敵でさえも、誰もがけっして運命にただ流されることなく、ときに傷つき、苦しみもがきながらも、それでもなお決断し、自分が正しいと信じる道をひたすら突き進んでいく情熱の持ち主でもある。そしてそうした情熱が、より大きなエネルギーとなって大きな物語の流れを生み出していく。本書にはまぎれもなくそのダイナミズムがある。これで物語が面白くならないわけがない。

 本書は現代の神話を描いた物語であり、そこには破壊と再生というひとつの大きなサイクルの節目がある。そしてそれは、物語の流れだけでなく、登場人物たちにも当てはまる。何度倒れても、なお立ち上がり駆けていくそのふてぶてしさ、その生命力の強さは、そのまま私たちの生きる地球のしたたかさ、強さへとつながっていく。人間はしょせん、より大きな流れに向かって動くしかない卑小な存在でしかないのかもしれない。だが、そうした運命とは関係なく、自分のいだく信念のために、現代の神や妖怪が跋扈する伏魔殿を縦横無尽に駆け抜けていく國子たちの活躍は、読者に間違いなく生きる希望と元気を与えてくれるものであると断言する。(2006.09.21)

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