【角川書店】
『まじめ半分』

阿刀田高著 



 「読書保険」みたいなものがあるといいなあ、と唐突に思いついたことがある。月々一定の掛け金をかけておいて、もし何かの本を購入時に、それがどうしようもなくつまらなかったり、思っていた本とは違っていたりしたときに、その購入費を補償してくれるという保険のことだ。あきらかに供給過多に陥っている今の出版業界において、人々が本を購入しないのは、本の出版点数があまりに多すぎて、何を買うのが適切なのかわからないという事情もあるのではないか。つまり、金を払ってつまらない本をつかまされるというリスクが、人々の本の購買意欲を殺いでいる要因となっているのではないか。であれば、そのリスクを何らかの形で軽減することができれば、必然として人々はより本を買うようになる――「読書保険」という発想は、そうした私の安易な思考実験によって生まれてきたものである。

 とはいえ、今はインターネットによってさまざまな情報が氾濫している時代、もしかしたら、私の知らないところですでにそうした保険か、あるいはそれに類するものができているのではないか、と思い、検索サイトで検索をかけてみたところ、ひっかかったのが今回紹介する本書『まじめ半分』である。言ってみれば著者のショートエッセイ集なのだが、そのタイトルの中に、ズバリ『読書保険』というタイトルのものがある。だがその内容は、私が想像していたものよりもはるかに思慮深いものであった。

 言うなれば読書には傷害・養老保険のような価値もあるのであって、病中・老後のレジャーを確保するためにも若いうちに読書習慣を身につけておいたほうが便利のようだ。――(中略)――しかもいったん習慣となってしまえば、あとは満期を待つまでもなく電車の中でも、トイレの中でも、ベッドの中でも毎日毎日欠かさず快楽の配当を受けることができる。

(『読書保険』より)

 ここでいう「読書保険」とは、本の購入費を補償するということではなく、若いうちから読書するという行為そのものを、人生という長いスパンでとらえたときに、安あがりな娯楽として成立させるためのものとしてとらえているのである。つまり、読書することがそのまま掛け金であると同時に、配当金としても支払われるという構図である。たしかに人生をつうじて長く楽しむものとして、読書は他の趣味と較べれば金も労力も少なくて済む娯楽と言えなくもない。だが、ここで著者の思惑にはまってはいけない。そこには人が読書そのものに飽きるという可能性が丸々抜けてしまっているし、また歳をとるとともに衰えていく体力は、本を読むというスタイル――同じ姿勢で長時間本に向かうという行為そのものに必要な体力にも大きく影響する。視力の衰えという問題だってある。

 そう、本書における「読書保険」とは、私の考えたそれと同様、何の根拠もないジョークのひとつにすぎないのだ。だからこそ本書のタイトルは『まじめ半分』となるわけだが、この半分だけある「まじめ」の部分が、ことのほか物事の真理を鋭くとらえている場合があるからこそ、本書はやっかいで面白い。そしてここでいう「やっかい」とは、そこに書かれている事柄をジョークとして無視することができない、という意味である。

 たとえば『ブラザーの言語学』における、新制中学で出会った英語教師から教えてもらったもっとも印象深いこととして、「ブラザー」という英語に相当するうまい日本語はない、という知識を挙げている。そこには、日本語圏で生きる人たちと、英語圏で生きる人たちとでは、世界は異なる区切られ方をしているということであり、じつはそうした認識こそが外国語を、ひいては外国を理解するうえで重要なことだと示唆している。それは逆に言えば、「ブラザー」を単純に「兄弟」と暗記することだけが勉強ではない、ということであり、そのあたりのテーマは、『私の"踏み台理論"』をはじめ、いくつかのエッセイの主題にもなっている。

 教育には、知育、徳育、体育の三つの柱があるはずだ。その中の知育だけに重点を置いて、無闇やたらに引き伸ばす。受験のためにのみ必要で、ほとんどほかの目的には役立たず、時には害にさえなりかねないものを詰め込んで、たとえペーパー・テストだけの力があがったところで、学童たちの学力が向上したことにはならないだろう。

(『私の"踏み台理論"』より)

 こんなふうに書いていくと、本書がいかにもお堅い内容のエッセイのように見受けられるかもしれないが、そのお堅い内容を大上段に構えるのではなく、斜に構えたふうに切り出していくのが本書の大きな特長だと言える。何よりお堅い内容というのは、著者がもっとも忌み嫌うもののひとつだ。じっさい、本書のなかにはお馬鹿なテーマのものも多いし、カマボコの話をしていたはずが、なぜか社会問題に変わってしまうといったものもある。あるいは書かれた時期が時期だけに、いささか古い内容のものもあるが、それでも本書における著者の、いささかひねくれた物事の捉え方は、今の時代だからこそ必要とされるものがある。それを言葉で説明するのは難しいのだが、あえて言うなら、物事の常識にこだわらない視点だ。

 その典型的な例が、『リトマス試験紙』というエッセイだ。リトマス試験紙とは、酸性であれば赤色に、アルカリ性であれば青色に変わる試験薬のことだが、かつて科学者になることを目指していた著者は、子どものころに我流でやっていた実験のなかで、リトマス試験紙が明確な赤や青に変わるわけではなく、ときには赤紫や青紫といった、どちらなのか判断しにくい微妙な色を示すことを知っている。そこには、物事は常に明確な回答があるわけではなく、もっと複雑で微妙な「のりしろ」のような領域があるということであるが、そうした知識は単純な勉強だけでは得られないものでもある。だが、今の時代においてそうした「のりしろ」の存在を考慮に入れるというのは、何より世のなかをうまく生きていくために、存外大切なものではないか、と私などは思わずにはいられないのだ。

 私の考えた「読書保険」とは、本を購入することに対してあくまで損得という理屈を適応することから始まっているが、本書のそれは、本を読むという姿勢が金銭以外の積立金となるという考え方から来ている。そしてそこには、どのような本であれ楽しむということを前提としているところがある。本書には人生を「正しく」生きるのではなく、「より良く」生きるためのヒントが、たしかに存在している。(2013.09.22)

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