【新潮社】
『関ヶ原』

司馬遼太郎著 



 1600年、「天下分け目の合戦」とよく称される関ヶ原の戦いについて、あなたはどの程度のことをご存知だろうか。徳川家康と石田三成、このふたりの武将を中心に、文字どおり各地の諸大名が東軍と西軍とに分かれて衝突したこの大合戦は、結果としてはたった半日、家康率いる東軍の大勝利で幕を閉じたというのが歴史的事実であるが、家康と三成の実力差や当時の世間の庶民感情などといった要素をトータルに考えたとき、どう見ても三成に勝ち目はなかった、ととらえるのが一般的であるらしい。

 徳川家康は当時、関八州に255万石という膨大な領土を持ち、長く戦国時代をたくみに生き残ってきた実力者であり、また豊臣家五大老の筆頭を勤めるほどの大大名であるのに対し、石田三成は豊臣家の執政官にすぎず、所領はわずか19万余石、知略はあるものの基本的には文官であり、家康がたくみに人心に取り入り、人望を集める術を心得ていたのに比べ、規律や人としての義といったものにうるさい、いかにも官僚的思考の持ち主だった三成は、世間では「横柄者」として嫌われていたという。さらに、豊臣政権晩年の朝鮮出兵やキリスト教禁止令といった政策に反感を持っていた庶民たちは、豊臣家の天下が今後もつづくよりも、徳川家による新しい時代に期待を寄せていた、という事情もある。
 じっさい、三成側についた大名の大半が、裏で家康となんらかの形で内通していたということであり、合戦そのものが小早川隊の裏切りによって大勢が決したのは有名な話である。あきらかに、利は家康にあった。「勝てば官軍」の世界において、負けるとわかっている戦いをあえて挑むのは無謀以外のなにものでもないはずである。

 だが、それでもなお歴史的事実として三成は家康に立ち向かい、「天下分け目の合戦」は起こり、そしてわずか半日で決着がついてしまった。関ヶ原の戦いが起こった背景について少しでも知識がある人であれば、なぜ三成は家康を敵にまわして戦うという、暴挙ともいうべき道を選んだのか、というのは当然出てくるべき疑問だろう。『関ヶ原』という、あまりにもストレートなタイトルを冠した本書を読み終えたとき、天下を二分する戦に至るまでの過程において繰り広げられた、さまざまな人間模様、政治的駆け引きを、まるで世界を俯瞰するかのような鮮やかさで再現してみせた著者の力量に感服しながらも、やはりこの人は「孤高を駆ける男のロマン」を外せない作家でもあることを再認識することができた。それはひとえに、石田三成の義を重んじ、不正を憎むという人物造形、豊臣家の存続を願った亡き太閤の意思を、愚直ともいうべき誠実さで最後までつらぬいたその人生が、なによりも雄弁に物語っている。

 司馬遼太郎というと、たとえば『竜馬がゆく』の坂本竜馬や、『燃えよ剣』の土方歳三、あるいは『梟の城』で太閤秀吉の暗殺を謀る老忍者・葛籠重蔵など、世俗的な利害や打算といったものとは無縁の、独自の信念とも言うべき確固とした価値観を持ち、それのために殉ずるだけの苛烈なエネルギーを注ぎつづけることのできる男たちに、とくに大きな愛情を傾けるという特長がある。まるでハードボイルド小説の主人公のように、たとえそれが世の隆盛から見てどれだけ愚かな行為、時代を逆行するような行為であったとしても、あくまでおのれの信じるべき道をひたすら突き進んでいく――その清廉潔白な登場人物像に惹かれるという読者も多いことと思う。

 本書における石田三成は、ひたすら「義」の人であったというとらえかたがなされている。正義か不義かですべての物事を判断し、しかもその考えを自分だけでなく他人にも押しつける。世の中が節操節義で動くと信じて疑わなかった三成は、不幸なことに――不幸だと言っていいだろう――あまりに頭脳が明晰でありすぎた。それゆえに他人の不正がどうしても目についてしまう。その最たる人物こそが家康だった。秀吉の死後、太閤と交わしたはずの約定をことごとく無視して天下取りのための布石を巧妙に仕掛けていく家康の態度は、他人はどうあれ三成にはとんでもない「不義」であり、なんとしても正さなければならない事柄でもあったのだ。逆に言えば、そうした正義を前面に押し出すような人物でなければ、あの家康と真正面から張り合うことなどできなかった、ということでもある。

 先にも述べたように、利は家康にあった。だが、義は三成にこそあった――こういう対立構造を仕立て上げることで、著者のなかではじめてこのふたりは対等な関係として釣り合うようになった。そのとき、読者は本書のなかで起こる「天下分け目の合戦」が、家康側が勝つという歴史的事実を前提としたものではなく、ひとつの壮大な人間ドラマとして展開されていくのを目の当たりにすることになるだろう。その巧妙な人物解釈と状況認識は、見事というほかにない。

 同僚からどれだけ疎まれ、憎まれ役を背負いながらも、それでも不正は不正として糾弾していく姿勢を終生崩すことのなかった三成と、そんな頭でっかちな観念主義になかば呆れつつも、それでもなお主人の目指す正義の実現のために尽力をつくした島左近、「正義の擁護者」という立場をよそおいつつ、私利私欲でしか人は動かないという人間の性をたくみに利用して天下取りのために磐石の策を講じていく家康と、その主人を演技者に、なかば娯楽のように権謀術策のかぎりを尽くす参謀役の本多正信――この二組の争いを中心にして、じつに数多くの人たちが、さまざまな人間模様を描いていく。三成から受けた友情をけっして忘れず、合戦では何倍もの敵を相手に奮闘しつづけた大谷吉継、頼みもせぬのに三成の動静を探る密告者の役を買って出て、家康にとり入ろうとした藤堂高虎、ひたすら三成への憎悪を募らせて家康に組する道を選んだ加藤清正、そうした対立を横目で見つつ、漁夫の利を得るごとくひそかに九州で力をつけて天下を狙っていた黒田如水、いったんは家康側につくものの、豊臣家から受けた恩を忘れることができずに離反した田丸直昌や、どちらにつくべきか最後まで迷ったあげく、合戦のさなかに三成を裏切った小早川秀秋など、枚挙にいとまがないほどであるが、そこにあるのは、たしかに「とほうもない人間喜劇」であり、また「悲劇」でもあると言えよう。

 ご存知のとおり、歴史のうえでは家康が合戦で勝利をおさめ、その後300年にもわたる江戸時代の礎となった。本書で言うなら「義」は「利」の前に敗れ去った、ということになるのだが、それが歴史というものの厳しさであるとはいえ、やはりどこかやりきれないものがあるのもたしかだろう。そういう意味では、石田三成という敗者を「義」の人として描いた著者の功績は、やはり大きいと言えよう。(2003.12.08)

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