【文藝春秋】
『松本清張傑作短篇コレクション(上)』

松本清張著/宮部みゆき編 



 宮部みゆきが「責任編集」という形で、じつに260編にもおよぶ松本清張の短篇から「傑作集」としてセレクトしたものを編纂した『松本清張傑作短篇コレクション』は、全部で上中下の3巻ひとつづきで刊行されたものであるが、今回紹介する上巻では、かなり以前のものから晩年のものまで、全部で10作品が掲載されている。

 もちろん、何の芸もなく、ただ松本清張の短篇を並べているわけではない。本書は全部で4つのテーマによって構成されており、それぞれのテーマが松本清張という「社会派推理小説」作家としての側面に触れることができるようになっている。第一章「巨匠の出発点」では、芥川賞受賞作である『ある「小倉日記」伝』と、ミステリー作家としての原点ともいうべき『恐喝者』の二作、第二章「マイ・フェイバリット」は宮部みゆきお勧めの短篇、ということで、『一年半待て』『地方紙を買う女』『理外の理』『削除の復元』の四作、第三章「音が聞こえる、絵が見える」では、当時の流行歌がキーとなるミステリー『捜査圏外の条件』と、贋作づくりを扱った『真贋の森』の二作、そして第四章「日本の黒い霧は晴れたか」では、驚くべきことに短篇ではなく、長大なノンフィクション作品である『昭和史発掘』と『日本の黒い霧』のなかから、それぞれ二・二六事件と「レッド・パージ」に関する部分を抜粋する、という体裁をとっている。このあたりのセレクトの仕方が、ただの短篇集や傑作集とは異なる、いかにも一作家らしい柔軟な発想を思わせる。

 すべての短篇に対して、宮部みゆきの「前口上」と称する丁寧な解説文がついており、さながら宮部みゆきを案内役に、めくるめく清張ワールドを探索するかのような形となっている贅沢な本書について、それ以上の書評をすること自体、野暮な行為だと言えなくもないのだが、本書を読み終えてあらためて認識させられたのは、松本清張という作家が、人間が生きていくこと――いみじくも宮部みゆきも前口上で述べているように「どうやったって生き難い世の中を生きてゆく」姿を、あくまで客観的な立場を崩すことなく追求していたこと、そしてそのための手段が、たんなるミステリーという分野の小説を書くことにとどまらず、評伝やノンフィクションといった新しい分野に次々と手を伸ばす、ひとつの原動力となっていた、という点である。

 物語のなかで殺人事件が起こり、探偵役となる人物がその事件の謎を解き、犯人をあきらかにしていく、という流れはミステリーの基本であるが、本書に収められた短篇集を読んでいくと、松本清張の視点がいわゆる「犯人は誰なのか」というベクトルではなく、むしろ「なぜ犯人は殺人に手を染めたのか」というベクトルに向けられていることは、いずれの短篇においても、犯人が物語の中心に据えられていることからわかってくる。『恐喝者』や『捜査圏外の条件』、『真贋の森』では、ずばり犯人が人称の中心となっているし、『一年半待て』や『地方紙を買う女』にしても、途中で視点は切り替わるものの、その人物の目を向けた先には必ず犯人の姿がある。ここにおける探偵の役割は、犯人が残した謎を解きあかすというよりは、むしろ犯人という「ひとりの人間」の、生きた足跡を追う役割を担っていると言ってもいい。前回紹介した山田宗樹の『嫌われ松子の一生』でも述べたように、犯罪者となった人の一生を追うことによってしか、犯罪の動機を真実理解することはできないのである。

 本書に出てくる犯人像はほぼ例外なく、ほんのちょっとした不運や手違い、あるいはそのときの時代の流れに不条理にも振り回され、自身の人生において追いつめられた結果として犯罪に手を染めてしまうという形を踏襲し、そうした状況を物語の冒頭で、あるいは最後で著者は必ず書き込んでいく。もちろん、完全犯罪を狙った『捜査圏外の条件』や、審理不再認という盲点をついた『一年半待て』など、犯罪のトリック性を重視した作品や、『ある「小倉日記」伝』や『削除の復元』といった、時代に埋もれた真実を探っていくという作品もあるが、その底辺にあるのは、ときには犯罪をもおかしてしまう愚かな、しかしそれゆえに愛すべき「人間」の存在である。松本清張にとって、ミステリーを書くことは、あくまで人間を書くこと、もっと詳しく言うなら、人の心に巣食う闇や黒い情念といった、負の感情に迫っていくための手段のひとつでしかなかったのではないか、という思いは、本書の第四章で紹介された抜粋のなかで、過去の歴史の裏側に隠された闇の部分を徹底して掘り起こしていく、という松本清張の姿勢を見ることによって確信へと変わっていく。松本清張は、宮部みゆきが言うところの「汚いこと、ズルいこと、目を背けたいこと」に対して、真正面から向き合っていく道を選びつづけた作家であり、それだからこその「巨匠」であることを、私たちは知ることになる。

 ところで、存在感のある登場人物を描くといえば、宮部みゆきの作品においても同じことが言える。そういう意味では、松本清張と宮部みゆきは、よく似た傾向の作家だと言うことができそうである。じっさい、犯罪者の心理を深く掘り下げていく作品傾向は、『火車』や『クロスファイア』などにも現われているものであるが、その原点に松本清張の影響があったのだとすれば、それはいかにも納得のいくもののように思われる。「社会派推理小説」作家である以前に、人間の営みのなかにひそむ光と闇を見つめつづけた、松本清張の偉業の片鱗を、ぜひとも楽しんでもらいたい。(2005.01.13)

ホームへ