【草思社】
『瀬戸内を泳ぐ魚のように』

雲井瑠璃著 

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 本を読んでいると、自分にとってあたり前だと思っていたものが、じつはほんの数十年前まではあたり前でも何でもなかったという事実とぶつかって、少なからず衝撃を受けたりすることがあるのだが、こうした体験は、私たちが知らず知らずのうちに陥ってしまっている偏見や常識といったものを客観視する、という意味において重要なものである。なぜなら社会のなかにあまりに浸透しすぎて人々の意識にすらのぼらなくなった偏見ほど、タチの悪いものはないからであるし、そうした偏見を利用しようとする存在――おもに、その時代の権力を握る者たち――の意図にも気がつきやすくなる。

 何も知らないままに誰かの都合によって踊らされるというのは、自分の意思で考えたり選択したりしなくていい、そのことに何ら責任を負わなくていい、という意味では楽な生き方ではあるが、けっして賢い生き方ではない。その愚かしさの最たる例が、日本では太平洋戦争における敗戦ということになるのだろうが、今回紹介する本書『瀬戸内を泳ぐ魚のように』という作品を読み終えたときに、私のなかに漠然と浮かび上がってきたのは、そうした何かに踊らされることのない人々の姿と、その支えとなったものが何だったのか、ということである。

 戦争は人生における大小さまざまな危機のように、個人の力では避けることができなかった。そしてその結果、困難な立場に立たされたときにこそ人間の真の力が現れるのだ。

 本書の性質について一言で説明するとしたら、それはある一族の物語、ということになる。その「あとがき」にもあるように、現在イギリスに在住する著者が、日本から呼び寄せ、生活をともにしてきた母親の生涯について語った断片的な逸話を、自分の子どもたちのために小説として書いたのが本書であり、そういう意味では著者の母親、つまり本書のなかでは「晴子」として登場する女性が物語の主人公ということになるのだが、本書の視点はかならずしも晴子にだけ向けられているわけではない。晴子が属する三輪家はもちろん、母方の家系である白井家や、ときには親族の結婚相手の逸話にまで話がおよぶこともあり、また物語の冒頭は晴子の祖父であり、木谷村の大地主であった正兵衛と、その息子真太郎の嫁となる彩子の父親で、実直な医者でもあった貞一の時代にまで時代は遡る。

 春子の祖父母の時代といえば明治の頃、日露戦争の趨勢が話題になっていたような時代である。そこから大正、昭和へと時代がくだり、舞台も瀬戸内海の木谷村から九州、東京、さらには満州へと移り変わっていく本書は、太平洋戦争の敗戦からその復興にいたるまで、まさにある一族から見た近現代の日本の様子を描いた作品という色合いが強いものとなっている。そのあたりの事情については、日本について知識以上のことを知らない、イギリス生まれの著者の子どもたちが、日本についてよりよく知るための物語という側面もあるのだろう。だが、その側面は私たちにとってもけっして無意味なものではない。なぜならそこには、たんに「古き良き日本」という懐古趣味的な日本の姿だけでなく、良い面も悪い面も脚色なく描いていこうとする著者の意思が感じられるからである。

 歴史というのは得てして戦争の勝者によって書き綴られるものであり、そこからはその時代をたしかに生きていた名もなき人たちの思いや感情といったものは打ち消されてしまう運命にある。本書はあくまで三輪家と白井家の歴史であり、けっきょくは個人の主観に拠っているのだが、当時は大地主であった三輪家にしろ、江戸時代から代々医者を輩出してきた白井家にしろ、たんに狭い土地のなかに縛りつけられるように生きることに満足せず、より広い世界を知りたいという探究心をもつ気質がうかがえる。そして、そうした気質が晴子にとってこのうえない教育環境となっていたのもたしかである。じっさい、晴子は学校での成績は優秀であり、それだけでなくとっさのときの機転にも富んだところのある才女として描かれているところがあり、一族も彼女が男であればと惜しんでいたことが何度も書かれている。

 そう、本書に書かれている日本とは、晴子のような才女がその才能をぞんぶんに発揮することが許されない時代だったということである。家を守るものとしての役割が第一にあった、およそ封建的な時代というのは、戦後の高度経済成長期の時代に育った私たちのような世代の人たちにとっては、まるで遠い過去の時代のことのように思えてしまうのだが、けっしてそうではないということが、本書のなかには書かれている。しかしながら、本書にはそうした事実に対する意見や感情的なものは極力抑えられているところがある。そこにあるのは、ただそういう時代だったのだという姿勢のみであり、それゆえに戦争をはじめとする激動の時代に翻弄されながらも、家族としての絆、一族となった者たちのつながりを大事にしていこうというその生き方に心打たれることになる。

 本書ではあくまで淡々と書かれているが、満州で敗戦を迎えてから日本に帰国するまでの経緯をはじめ、戦争時と敗戦後の混乱のなかを生き抜いてきた晴子たち一族の経てきた体験は、壮絶の一言に尽きるものがあるのだが、そこにある「とにかく生き延びる」という生き方は、ともすると今の平和慣れしてしまった私たちにもっとも必要な精神なのかもしれない、とふと思うことがある。戦争状態にあることや、命の危険にさらされるような生活が良いなどと思うことはないのだが、「とにかく生き延びる」ことが何よりも大切なはずなのに、それ以外の部分――たとえば金をもうけることやテストで良い点を取るとかいった部分――に生きる価値を見いだしているような傾向に、どこか抵抗があるのはけっして私だけではないはずだ。少なくともいじめや破産といった理由で自殺してしまうような世のなかを見ていると、私たちの生きる力は想像以上に弱くなっているのかもしれないと思うことがある。

 時代は常に移り変わり、それにともなって価値観や常識といったものも変化を余儀なくされる。本書のなかで晴子が経験したのは、その変化の激震そのものである。おそらく、私の親や祖父もある程度は似たような体験をしたであろうことを物語にした本書――そういう意味では、けっして目新しいものがあるわけではない。だが、予期せぬ事態を目の前にして、それでも心折れることなく生きていくために必要なものが、本書のなかにはたしかに描かれている。(2013.06.29)

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