【講談社】
『ハサミ男』

殊能将之著 
第13回メフィスト賞受賞作 

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 例えば、私のハンドルネームである「八方美人男」という名前。これは、現実の私という人物が八方美人であるかどうかはともかくとして、少なくとも読書という行為に関しては八方美人であれ、という願いから、自分で名づけたものである。このハンドルネームでホームページを立ち上げてもうすぐ二年になるが、最初こそ私=八方美人男という方程式に戸惑いを感じて仕方がなかったのに、今ではすっかり自分の一部として定着しつつある、という事実にあらためて軽い驚きを覚えたりする。そしてさらに不思議なことに、私はたしかに読書に関して八方美人になりつつある――「名は体を表す」ではないが、まるで「八方美人男」というハンドルネームに、言葉を現実に変える力が宿っているかのように。

 では、本書のタイトルにもなっている「ハサミ男」の場合は、どうなのだろう。

 美少女ばかりを狙った連続殺人魔、絞殺した死体の喉に必ずハサミを突き立てていくという猟奇性、そして非常に狡猾で用意周到であり、警察の懸命の捜査にもかかわらず、いまだに犯人を特定することすらできていない冷酷な怪物、シリアル・キラー ――いつしかマスコミは彼のことを「ハサミ男」と呼び、犯人の意志とは無関係に、「ハサミ男」の名にふさわしい、残虐な殺人鬼というイメージを肉付けしていく。そして、その行為がますます「ハサミ男」という名前だけを一人歩きさせていく……。

 本書『ハサミ男』で物語を語るのは、ほかならぬハサミ男本人である。だが、本書の冒頭を見ると、「ハサミ男の三番目の犠牲者は、目黒区鷹番に住んでいた。ところで私は――」と文章がつづく。ハサミ男のことをまるで別人であるかのように語る「私」と名乗る人物は、本書を読み進めていくと、たしかにその過去においてふたりの少女を殺している殺人犯――つまりマスコミが言うところのハサミ男に他ならないことがわかってくる。「私」がハサミ男という名称に対して抱いている違和感、そして、マスコミの連中がハサミ男のことを快楽殺人者だ、サディストだ、性的不能者だと分析するたびに、そのイメージと自分との間のあまりのギャップの大きさに呆れてしまうという事実を、まずは覚えておく必要があるだろう。物語の伏線は、すでに冒頭部分からはじまっているのだ。そしてそういう意味で、本書はまるでハサミ男のように、非常に慎重かつ用心深いミステリーであるとも言える。

 本書の冒頭にもあった「ハサミ男の三番目の犠牲者」の名前は、樽宮由紀子――頭のいい女の子にあこがれをもつハサミ男のお眼鏡にかなった女子高生だ。だが、周到に彼女の生活習慣を観察しつづけ、まさに犯行を実行に移そうとしていたハサミ男が見たものは、これまで自分がやってきたのとまったく同じやり方で殺されていた樽宮由紀子の姿だった。

 思いがけず遺体の第一発見者となってしまったハサミ男。そう、誰かが自分の先を越して、自分の犯行を真似て殺人を行ない、その罪をすべて自分になすりつけようとしていることを知ったハサミ男は、正体不明の皮肉屋<医師>の助言を得て、真犯人を探し出すべく行動を開始する……。

 ほかならぬ殺人犯が、もうひとりの殺人犯を追いかける、という設定の意外性もさることながら、頭のいい女の子へのあこがれが殺人願望となるいっほう、自分自身の容姿の醜さへの憎しみが自殺願望へと発展していく、という、これまでになく屈折した狂気をかかえたハサミ男という人物の存在が、何よりも秀逸だ。じっさい、本書の中には、じつにさまざまな方法で自殺を試みては失敗し、<医師>の皮肉たっぷりの言葉を浴びせられるハサミ男が存在する。そこには私たちの思考ではとうてい理解できそうもない、「心の闇」とでも言うべきものが横たわっていそうなのだが、著者がけっしてハサミ男を特別な存在として見ていないことは、今度の殺人事件を担当することになった目黒西署の上井田警部による、「普通」の意味を問うたこんな言葉からも明らかである。

 無動機殺人の場合は、今言ったような意味での『普通の動機』がありません。――(中略)――そこで最終的に、犯人は頭がおかしかったとか、不幸な幼児体験をしたとか、そういった理由が見出される。人々は納得したいんですよ。なんの意味もなく、人を殺す人間がいるとは思いたくない。

 著者が描くハサミ男は、ふだんは小さな出版社でアルバイトをしている、ごくあたりまえの社会生活をおくっている「普通」の人間であり、ホラー映画の殺人鬼のように、いかにもという感じで狂っているわけではない。むしろ、ハサミ男が調べていくうちに見えてくる樽宮由紀子の素顔――まるで実験のようにいろいろな男と付き合い、性的関係を結んでいたという事実、複雑な家族環境のなかで、他人はおろか、自分自身の感情さえよく理解できない様子だった、という事実をまのあたりにするにつれ、まさに自分たちが考えている「普通」が何を根拠にしているのかを、もう一度考えさせられてしまうのである。そこには、人間の感情についてうまく理解することのできない人間―― 一種のサイコパスの姿がある。そして警察のほうもまた、対サイコパスのスペシャリストである犯罪心理分析官を捜査に投入し、今度こそ犯人逮捕に向けて、全力でハサミ男の行方を追う。はたして、樽宮由紀子を殺した真犯人とは誰なのか。そしてハサミ男の運命は? そのあまりに意外なラストに、きっと読者も仰天してしまうに違いない。そして、著者がしかけた巧みな叙述トリックの妙技にも。

 理解できないものがあまりにも多く存在してしまっている現代において、私たちはあらゆる意味で、理解できないものを無理やりにでも理解しようとし、無理やり名前をつけて安心しようとする。シリアル・キラーに「ハサミ男」という名前をつけ、自分たちとはまったく異なる世界の住人なのだという、願望にも近い思い込みが、いかにその人を真実から遠ざけてしまうのか、本書はあらためて思い知らせてくれる。そしてまた、私たちが住む世界がいかに「普通」という言葉がもつ魔力に毒されており、物事の真実が見えにくくなっているか、ということにも。

 ハサミそのものは、どこの家庭にも普通にある日用品だが、使いようにっては一撃必殺の武器にもなってしまう。「普通」のなかに巧みにまぎれこんだ狂気――それこそが現代の凶悪犯罪に一歩迫るキーワードなのかもしれない。

 チョキ、チョキ、チョキとハサミ男が行く
 君も彼の名簿に載っているかもしれないよ
(2000.08.04)

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