【講談社】
『聖の青春』

大崎善生著 
第13回新潮学芸賞受賞作 



 何かたったひとつのことを極めたものの姿がこのうえなく美しいと感じるのは、その「たったひとつのこと」だけを選択することが、それ以外の無数にあったはずの可能性を必然的に放棄することになるという覚悟をともなうものであったからに他ならない。何かを極めるために、それ以外の余計なあらゆるものを削ぎ落としたあとに残るのは、いびつさではなく機能美だ。それは、より速く走ることを追求されて生まれたサラブレッドの走る姿が美しいのと、よく似ている。そしてその美しさというものは、中途半端なものからはけっして生まれてこない。中途半端な極み、中途半端な覚悟からは、中途半端な美しさしか出てこない。むしろ醜さのほうが際立つことさえある。だからこそ、何かを極めるというのは、誰にでもできるものではないのだ。

 「魂を削るような」とか「命をかけた」とかいう修飾語自体は、物語などのなかではわりとよく見かけるものではあるが、私たちが生きて生活しているこの現実の世界において、そうした言葉がそのままあてはまるような生き方をしている人は、そうそうお目にかかれるというわけではない。今回紹介する本書『聖の青春』というタイトルにおいて、「聖」は「ひじり」ではなく「さとし」と読ませるのだが、それは本書が29歳という若さで亡くなった棋士、村上聖の生涯を描いたノンフィクションだからである。そしてこの彼の、あまりに苛烈であまりに純粋なその生き様、将棋に対するひたむきさは、まさに上述の修飾語にふさわしいものであるという確信がある。

 聖にとって、将棋は大空を自由自在に駆け巡らせてくれる翼のようなものであった。
 ――(中略)――聖が手に入れた将棋という翼は、多くの子供たちが抱くはかなく泡のように消えてしまう夢とは違い、それは簡単には折れない翼だったのである。

 幼くして腎ネフローゼという難病を患い、それが引き起こす重篤な疾患に苦しみながらも、驚異的な集中力と超人的な意志の強さで将棋の世界を駆けあがり、名人位を得ることにその人生のすべてをかけた村山聖――本書を手にする私たち読者は、彼が若くしてこの世を去ってしまうという宿命を知っており、また当時日本将棋連盟で将棋雑誌編集者となり、将棋の世界のことをよく知る著者の言葉は、プロの棋士になるということの厳しさについて熟知している。しかも、村山聖が名人を目指した当時の将棋界は、羽生善治をはじめとする若き強豪たちが何人もしのぎを削るという激動の時代であり、その頂点にはわずか21歳で名人位を手にした天才、谷川浩司がいた。

 21歳までに初段をとらなければ退会しなければならないなど、奨励会の過酷な年齢制限のなかで、ひたすら敵を倒し、勝ち続けていくことを強要される将棋の世界を知るにつれ、読者は村山聖が自身に課した「名人になりたい」という夢の、まるでエベレストのように立ちはだかる困難な道のりに戦慄せずにはいられない。しかも、彼には常に病との闘いという大きなハンディをかかえてもいる。そのあまりにも峻厳で、途方もないように見えるはるかな高みを、まるで血反吐を吐きながら続けるマラソンのごとく、しかしけっして立ち止まることなく走り続けていく姿は、安易に「感動」といった言葉を使うのがはばかられるほどの凄まじさがある。じっさい、本書のなかで彼は何度も入退院を繰り返しているし、あまりの高熱にどうしても体が動かせなくなるようなこともしょっちゅう起きている。彼にとって、そうした事態はまぎれもない命の危機につながるものである。だからこそ、私たちは問いかけずにはいられなくなるのだ。いったい、何が村山聖をそこまで駆り立てるのか、と。

 その疑問は、当然のことながら著者自身にも課せられたものである。本書のなかで何度か一人称として登場し、村山聖とけっして浅くはない関係をもっていた著者にとって、将棋の才能という一面からして、彼のなかに稀有なものを見ていたことは、本書を読んでいけばおのずと見えてくる。天才肌の羽生善治とはまた違った意味での将棋のセンス、独特の感覚で盤上を読み、直観的なひらめきで驚くべき一手をひねり出す村山聖の将棋は、「怪童」と呼ばれるにふさわしいものであるのだが、それ以上に本書には、彼自身の人間としての魅力に溢れていることに読者は気づく。

 名人になるという夢のために、さらに将棋の腕を磨きたい、もっと多くの棋士と対戦し、勝ってさらに上を目指したい、とにかく強くなりたいという胸焦がれるような欲求。だが、そのいっぽうで、絶えず病に悩まされ、幼少の頃から死が身近にあるような環境に育ったがゆえに、誰かを打ち負かして前へ進むことへの躊躇、自分の爪であれ髪であれ、小さな虫であれ、伸びようとしているもの、生きているものをむやみに切ってしまうことはしたくない、という限りないやさしさ――村山聖という人物には、常にそうした大きな矛盾があり、それが彼の強さであると同時に弱さにもなっている。言葉を飾ることも、場の空気を読むことも知らず、またそうした駆け引きめいたことを学ぶ時間すら、将棋を指すこと、将棋で勝つことに費やしてきた村山聖は、それゆえに純粋なまでの感情を相手にぶつけてくる。そして、そんな彼のむき出しの強さと弱さが、多くの人を惹きつけていく。

 師匠として村山を受け入れながら、病弱な彼の代わりにパンツすら洗ったという森信雄をはじめ、病で倒れた村山を車に乗せて対局の場に連れていってくれた三谷工業の職員、彼のわがままを受け入れ、させたいことは何でもさせてやろうと決意した家族たち、良きライバルであると同時に、同じ夢を目指す多くの棋士たち――村山聖の生き様は、このうえなく過酷なものでありながら、弱さゆえに多くの人たちに支えられ、また自身も誰かを支えて生きていくという、まぎれもない人間として生の形がある。

 多くの矛盾と葛藤をかかえながら、短いとわかっている自身の生を最後までひとつの目標のために燃やし尽くした村山聖の生涯は、壮絶のひと言に尽きる。だが、それはけっして草一本生えない荒地のような人生ではなく、人と人との密な関係によって紡がれた、壮大なタペストリーのような人生だった。幼くあると同時に老成し、対戦相手を倒したいという強い意思を持ちながらも、小さく弱い者たちへのやさしさをもつ彼の両極面、その矛盾を、巧みな隠喩をもちいて自身が感じるままに表現していくことに成功した本書に、読者はきっと感動し、涙を流すことになるという確信が私にはある。(2008.10.12)

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