【幻冬舎】
『蜜蜂のささやき』

橋口いくよ著 



 小学校の時の卒業文集を見ると、「将来の夢」という欄に、当時の私は「医者になりたい」とコメントしていた。
 大学4年の春、某私立大学の文学部に在籍していた私は、会社の資料請求のはがきを書きながら、平凡なサラリーマンにはなりたくない、と心のどこかで思っている自分の声をどうすべきなのか、悩んでいた。

 医者になりたいと思っていた小学6年の私も、平凡なサラリーマンへの拒否反応を示していた大学4年の私も、その考えの底辺にあったものは同じだろうと、その「平凡なサラリーマン」への道を選んだ今の私は思っている。それは、自分だけは特別でありたい、自分は周囲の「その他大勢」とは違うのだ、という強い自己愛である。

 家庭という閉じられた環境において、子どもは特別な存在だ。基本的に両親は無条件に子どもを愛してくれるし、子どももまた、その愛を無条件に信じることができた。だが、年を経て、行動範囲が家庭の外へと広がっていくうちに、自分という存在が、じつは特別でも何でもない、という事実に気づくことになる。

 本書『蜜蜂のささやき』に登場する柿元千歳は20歳の女子大生であると同時に、深夜ラジオのパーソナリティとしてはたらく女性でもあるが、その心はずいぶんと屈折している。ごくありきたりで普通であること――本当は、誰よりも自分がそのことをよく知っているにもかかわらず、なんとしてでもその事実を否定しようとするあまり、特別な自分という虚構の像にしがみつくようにして生きている彼女の心は、タレントオーディションを受けはじめた中学生のときから変わっていないと言うことができる。華やかな、誰からも注目を浴びる「特別な人間」たちのいる芸能界――平凡な人間にだけはなりたくない、でも自分が何になりたいのか、何が欲しいと思っているのかわからない彼女にとって、芸能界とは、永遠にまわりからちやほやされる子どものままでいることのできる、社会公認の「家庭」のように見えていたのかもしれない。

 自分はいったい何者なのか、自分と他人とはどう違うのか、というアイデンティティへの目覚めは、たいてい家庭の外に広がる厳しい現実と直面することで生じる。他に置き換えることのできない、まぎれもない自分自身――だが、それが一歩間違えると、たんなる自己愛で終わってしまうのは、昨今の少年犯罪における、あまりにも安易な動機(「人と違うことをしてみたかった」「人を殺せば有名になれると思った」)を見てもあきらかである。アイデンティティの獲得と、自己愛とは、似ているようでまったく別物なのだ。

 そして、柿元千歳は今、ラジオパーソナリティという自分にしがみついている。それは、その場所が夢の実現にもっとも近い場所である、というよりも、その場所を失ったが最後、もはや平凡でありきたりな自分と向き合うほかない、という強迫観念から来るものである。せっかくこれまで努力して築いてきた、現在のささやかな地位――しかし、その土台にあるのが、安易な自分探しから生まれた「平凡」の拒否である以上、千歳のその思いは自己愛の域を出るものではないのだ。

 そういう意味では、千歳は自己愛にしがみつくことで、逆に自分を見失っていたと言うことができるだろう。本書はそんなふうに、本当の「自分探し」から目をそむけていた千歳が、ありきたりで平凡な自身の姿と真正面から向かい合う、ゼロ発信の物語なのだ。そこから何が生まれてくるのか、それが彼女にとっての成長を、あるいは大人になることを意味しているのかはわからない。ただ、ひとつだけ言えるのは、本書の物語の終わりは、たんなる終わりではなく、はじまりでもある、ということだ。

 こんなにさめた気持ちなんて楽だけど、つまらない。でも、どうやったら気持ちが高ぶるのか、楽しくなれるのか、方法がわからない。そんなふうになれるほど追いかけるものがない。私には今までしがみつくものしかなかった。そして、しがみついたものでさえ、絶対に欲しいものではなかった。だから追いかけかたがわからない。

 厳しい現実と直面したときに、人はどのようにしてその現実を受け止め、前へ進んでいくのか――その現実を一度に受け止めることのできない人々が、その解決方法のひとつとして「引きこもり」という手段を選ぶことを考えたとき、芸能界を社会公認の「家庭」と位置づけ、そこを目指すことで永遠にちやほやされたいと考える千歳の姿は、じつは「引きこもり」へと走る人たちの心と驚くほど類似しており、そういう意味で、現代の若者たちの抱える心の問題を見事に切り取ってみせた作品だと言えよう。

 かつて、「平凡なサラリーマン」にだけはなりたくない、と考えていた自分がいた。だが、その「平凡な」という言葉が、じつはまったく意味のない、表層的なものであることを、今の私は知っている。人はその存在自体がひとつの個性であり、その個性がぶつかりあうことで悲喜こもごもの無数のドラマが生まれてくる――それが、この社会を構成する「個人」が生きる現実であると知ったとき、人ははじめて自分だけの世界から抜け出し、世の中と向き合うことができるのかもしれない。

 特別な人間など、この世には存在しない。同じように平凡な人間というのも、いない。そのことに気づかせてくれるこの青春小説は、ちょっと悲しいけれど、どこかホッとさせるものを、読者に与えてくれる。(2002.03.16)

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