【早川書房】
『サラマンダー 無限の書』

トマス・ウォートン著/宇佐川晶子訳 

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 人はなぜ本を読むのか、という問いかけに対する答えは無数にあるだろうが、少なくとも私自身について顧みたとき、そこにあるのは一種のロマンの追求だと言うことができるだろう。
 人の命には限りがある。それに対して、出版業界では今もなお一日に数百点という本が新たに刊行されている。まさに本の氾濫ともいうべき現状において、どれだけ強く望んだとしても世の中に生み出されたすべての本を読破することは不可能だ。同じように、世の中のすべての本を収集し、手元に置いておくことも無理だろう。私は読書が――本の中に書かれた物語に触れるのが好きな本バカであるが、不可能であると理解していてなお、私はあらゆる物語を読んでみたい、という欲求を今もなお抑えることができない。私にとって読書とは、無限に等しい物語の洪水のただなかにあって、なお尽きることのない物語への欲望を満たそうとする、傍から見ればきわめて愚かな行為である。だが、そもそも人間というのは、そうした無為な挑戦に命をかけたりすることのできる生き物であり、だからこそ人間は時として、愛すべき対象となりえるのではないだろうか。

「“わたしは軽いが”」と伯爵は抑揚をつけていった。「“人を運びさるほどに強い。わたしは小さいが、わたしの中では無数の眠りがめざめるのを待っている。わたしは無言だが、わたしの言葉は遠くまで達し、けっしてつかえない”」
「本のことですね」フラッドはしばし考えてから言った。

 本書『サラマンダー 無限の書』という不思議な物語を書評するのに、さしあたってこうした引用からはじめてみるのも良いかもしれない。1759年、あるフランス軍中佐が、ケベック包囲戦によって焼け落ちた書店の奥で見つけた女性の語る物語を聞く、という形ではじまる本書は、「始まりも終わりもない無限に続く本の作成」をめぐる物語を描いたものであるからだ。

 ロンドンの印刷職人ニコラス・フラッドは、入れ子人形のようにいくつもの本がおさまっている本や、鏡でできた本といった世にも奇妙な珍本ばかりつくっていたが、その作品のひとつがスロヴァキアのある伯爵の目にとまり、その腕を買われて城に招かれることになった。壁やベッドや本棚がたえずからくりによって動き回り、あらゆる部屋という部屋の境界線が消えてしまった珍妙な城の城主である伯爵は、世の中のあらゆる珍しい本の収集家であったが、その集大成として「始まりも終わりもない無限に続く本」の作成をフラッドに求めたのである。だが、フラッドの心は稀代の書物の作成よりも、むしろ伯爵のひとり娘であるイレーナのほうに向けられていた。ふたりはやがて愛し合い、ひそかに関係を結ぶにいたるが、その事実を知った伯爵によってふたりは引き裂かれ、フラッドは地下の独房に閉じ込められてしまう。

 それから11年の歳月が過ぎ、ふたたび独房の扉が開いたとき、そこにいたのは伯爵ではなく、男の子の服を着たひとりの女の子だった。「わたしの名前はパイカ。あなたの娘です」……。

 言うまでもないことかと思うが、本には必ず始まりと終わりがある。物語にしても同様だ。それはひとつの書物、ひとつの物語を別のそれと区切るための、いわば境界線である。「始まりも終わりもない本」ということは、その境界線を取り払った本ということであり、あらゆる物語の要素を内にふくんだ、時間を超越した本、まさに「無限の書」ということになる。パイカによって救い出されたフラッドは、独房の中に閉じ込められていたあいだ、空想の中でのみおこなっていた「無限の書」の作成を現実のものとするために、仲間とともに航海に出ることになるのだが、本書のひとつのテーマとして、「無限の書」に象徴される永遠への挑戦、というのがある。

 およそ、この世界にあるもので、永遠にその形を保ちつづけるものなど存在しない。自然にあるものは常に生まれては死んでいき、人の手でつくられたものも、いずれは時の風化作用によって崩れ去っていく運命にある。だが、それでもなお人間は、永遠という輝きを望み、手に入れたいと願わずにはいられない。本書のなかには、たとえば伯爵のつくった、人の力がなくとも惑星の軌道のように動きつづけるからくり仕掛けの城や、あるいは人と同じように複雑な仕事をこなすことのできる自動人形のルートヴィヒなど、永遠を喚起する要素が無数に存在する。フラッドたちが探し求める「無限の書」の作成のために必要な道具――ひとりでに文章が立ち現われてくる魔法の活字、まるで生き物のように息づいているインク、あまりに薄すぎて最初のページをめくることのできない最上質の紙といったものも、境界線によって固定されることを超越した道具ばかりである。そして、そうした数々の不思議な要素について、本書はけっして多くを説明しようとはしない。どこか幻想的な、いかにも誰かの語りによって紡ぎ出される物語的な雰囲気に満ちた本書であるが、それらの多くが、永遠という非現実的な要素によるものであることは間違いないだろう。この物語を読みすすめていくためには、なにより読者の想像力が必要となってくるのだ。それゆえに、本書は読者を選ぶ作品だという言い方もできる。

 本を夢想してごらん。どんなに荒唐無稽で、ありえないことでもいいんだ。夢想すればその本は存在する道を見つけるだろう。たとえ千年待たなければならなくてもね

 ヴェニス、アレキサンドリア、広東、そしてロンドン――世界の都市をめぐって集められた極上の材料から、いったいどのような本ができあがるのか? もちろん、それこそが本書の大きなテーマであるが、リアリティのための説明をはぶき、多くを読者の想像力にゆだねることで成立する本書の性質は、むしろ受け止めかたによってさまざまな物語が立ち現われてくると言ったほうがふさわしい。そう、本書は「無限の書」をめぐる幻想譚であると同時に、無限と有限との対決の物語であり、仲間たちとともに苦難を乗り越えて旅をする冒険譚であり、また行方不明になった母親を探し求める少女の成長物語であり、フラッドとイレーナの壮大な恋物語でもあるのだ。パイカたちを中心とするメインの物語に付随するかのように、いくつもの小さな物語が挿入され、さらにメインの物語も明確な時間の流れを意識させないものであるため、読者によってはその印象が大きく変化していくことになるだろう。そうした部分の周到なしかけのほどこしかたは、見事というほかにない。

 本書の訳者あとがきによると、タイトルにある「サラマンダー」とは、少女パイカの象徴だということが書かれている。水の中で呼吸することができ、火で手をあぶっても火傷ひとつ負うことのない、皮膚病もちのパイカというキャラクターの特異な性質を考えれば、それはいかにも的を射た指摘であるが、こと本書を「永遠への挑戦」の物語としてとらえたとき、炎の中で永遠に生き続けるという伝説の生き物、火蜥蜴サラマンダーの象徴であるパイカこそが、じつは「始まりも終わりもない無限に続く本」の完成形ではないかと思えるのだ。一組の男女の燃えるような情熱から生まれたひとつの命――あるいは私たちは、すでにひとつの永遠を手に入れているのかもしれない。(2004.01.29)

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