【新潮社】
『李陵・山月記』

中島敦著 



 中島敦の『山月記』といえば、人間が虎に変化してしまうという一種のファンタジー的な作品として、たとえばカフカの『変身』などとともに記憶している方も多いのではないだろうか。今回紹介する本書『李陵・山月記』は、中島敦の代表作ともいえる『山月記』と『李陵』のほか、『名人伝』『弟子』の四作を収めた作品集であり、いずれも中国古典を題にとった作品ばかりであるが、これらの作品を読み終えてあらためて思うのは、いずれの作品においても何かを深く思索せずにはいられない登場人物たちの志向こそが、著者の作品の中核を成しているというひとつの事実である。

 たとえば上述したように、『山月記』では李徴という才知あふれる男が一匹の人喰い虎に変身してしまい、たまたま勅命による使いの旅をしていた古き友人との出会いをきっかけに、その顛末を語るという話である。李徴は県の官吏としてその将来を約束されていたにもかかわらず、「詩家としての名を死後百年に遺そうとし」て詩人としての道を歩みはじめるものの、なかなか思うように名を成すことができないまま、時が経つにつれて募ってくる焦燥と貧困、そして自身の才能に対する絶望のはてに、気がつくと野山を駆け回っている今の姿に気づいたと語る。それは、あくまで李徴がそれまでたどってきた人生を要約したものであって、そのことと彼が虎に変化したこととの関連性は何ひとつないと言ってもいい。というよりも、およそどのような理屈をつけたとしても、常識的に考えて人間が別の動物になる、などということはありえないわけであるが、物語のなかでその「ありえないこと」に見舞われた李徴は、残された人間としての意思でこの理不尽な出来事に無理やり因果関係を築き、なんとか納得できる理由を求めて思索をめぐらせることになる。

 同じように自身の身におきた大きな不幸について、深く思索をめぐらせる作品として『李陵』がある。李陵は漢の国を脅かす匈奴討伐の願いを時の皇帝である武帝にゆるされて北征し、勇猛果敢に戦いに挑むも、内通者の手引きによって彼の軍は壊滅、自身も捕虜となるが、彼らのあくまで強き者に礼をつくすという気風や、武帝が彼の家族に対しておこなった処刑への恨み、そして国から離れることで見えてくる漢という国の思い上がりや腐敗の構図などの要因が、しだいに李陵の祖国への忠誠心を薄れさせていく。いつしか、彼は匈奴の人間として匈奴とともに生きる道を選んでいた。

 李陵が深く思い悩むことになるのは、同じように匈奴にとらえられ、しかしけっして彼らに組することを肯んぜずに厳しい捕虜生活をつづけている蘇武との出会いによるものだった。ただ純粋に祖国への、そして武帝への忠誠心を貫いていこうとする蘇武の態度に接した李陵は、自身のなかに打算的なものの考え方があることに気がついてしまうのだ。そして気づいてしまった以上、彼ははたして自分が精神的に匈奴に降伏してしまったことが正しかったのかどうか、考えずにはいられなくなってしまう。

『山月記』の李徴にしろ、『李陵』の李陵や、彼を弁護したため去勢という辱めの刑を受けることになった司馬遷にしろ、いずれも才知あふれる人物であり、本来であれば世間でそれにふさわしい名声や財を得てしかるべき者たちであるにもかかわらず、彼らはいずれも不遇の身をかこち、その理由を求めて深い思索への道へと入り込んでいってしまう。だが、たとえどれだけ考えをめぐらせたとしても、そこに待っているのはけっして出ることのない解答を追い求める泥沼のような疲弊感でしかない。そしてそれは、明晰な頭脳をもつ才人であればあるほどより深みにはまっていくたぐいのものである。

 『弟子』に登場する孔子もまた、自身の説く道を実践する諸侯を求めて国から国へと放浪しつづけていく、という意味ではけっして恵まれた境遇にはない才人であるが、彼の弟子のひとりである子路の視点から書かれたこの作品における孔子は、もはや才人というよりは聖人の域に達した人物として描かれており、孔子自身の深い思索についてはほとんどとりあげられることはない。そして、彼の代わりにその不遇を嘆き、その理由を求める役目をはたしているのが子路である。彼は「邪が栄えて正が虐げられる」という「ありきたりの事実」にどうしても納得できないのと同じように、師である孔子の境遇にも納得しようとしないのである。

 天についてのこの不満を、彼は何より師の運命に就いて感じる。殆ど人間とは思えないこの大才、大徳が、何故こうした不遇に甘んじなければならぬのか。家庭的にも恵まれず、年老いてから放浪の旅に出なければならぬような不運が、どうしてこの人を待たねばならぬのか。

 孔子をして「純粋な没利害性」をもつと評される子路の性質――その愚直なまでに何かひとつのもののために準じようとする精神は、『李陵』の蘇武に通じるものである。そこには何かを深く思索するというよりは、むしろ感覚的なもの、直感的なものの考えに重きを置くようなものがある。それは、あるいは信仰心ともいうべきものかもしれない。『名人伝』において弓の名人を目指す紀昌が、おのれの信じるがままに師のもとに弟子入りし、言われるままに修行を積み、その結果としてついには弓を射ないばかりか、弓の使い方すら忘れてしまうような境地に達してしまうという話で、よくよく考えてみると本末転倒もいいところであり、さながら木偶の坊のようになった紀昌に対して私たちは「何が名人なのか」と首をかしげることになる。だが、ある人物に対して「どんなことができるのか」ということをもって、その価値を推し量ろうとする、いかにも人間臭い思索がいったいどれほどのものであるか、という点については、本書の作品を読んでいけばおのずとわかってくることである。

 本書解説によれば、著者は第二次世界大戦中にこれらの作品を著し、それゆえに自己というものに対する疑惑や恐怖がそこに見出すことができるとあるが、たしかに自身の不遇について深く思索せずにはいられない登場人物たちがいるいっぽうで、そうした思索以前の部分に重きを置き、外からの評価に縛られることなく生きる登場人物たちへの、一種の憧れがあるようにも思えるのは、はたして私だけだろうか。人間が人間であるがゆえに陥らずにはいられない「考える」ということ――それを肯定する気持ちと、しかしちっぽけな人間の思索がどの程度のものなのか、という否定する気持ちに、心が引き裂かれてしまいそうなほど揺れ動いている様子が、本書にはたしかに見てとれる。そのせめぎあいの果てに、著者は何を思うのか、そんなことをつい思索してしまうのが、中島敦という作家の作品なのである。(2006.08.06)

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