【朝日ソノラマ】
『サラマンダー殲滅』

梶尾真治著 
第12回日本SF大賞受賞作 



 人間とは、なんと愚かな生き物なのだろう。同じ地球という惑星に暮らしていながら、自分勝手な欲望や偏見、価値観の違いといったもののために、時に激しい憎悪を燃やし、争い、傷つき、あるいは傷つけられ、そして死んでいく。人類の歴史は戦争の歴史だ、という言葉をふと思い出す。確かに、科学技術は戦争によって進歩してきたのかもしれない。そしてそのことによって、私たちの生活は格段に便利なものとなった。だが、それを操るはずの私たち人間の心は、常に置きざりにされているのではないだろうか。もし、人類の歴史が憎悪をもってしか語ることのできないものであるならば、それはあまりにもむなしく、そしてあまりにも哀しむべきことだ。

 本書『サラマンダー殲滅』に登場する人々のたどる運命を考えると、そのことを意識せずにはいられなくなる。どこにでもいるような平凡で、だが小さな幸福に包まれた生活をおくっていた神鷹静香を、突如襲った悲劇――後に「ヤポリス・サースディ」と名づけられる、汎銀河聖解放戦線によるテロ活動によって夫と娘を失い、心神喪失に陥ってしまった静香の心を回復させるため、静香の父は彼女に精神的外科手術を施す決意をする。汎銀戦への憎悪を植えつけること――だが、意識を取り戻した静香のなかにいたのは、以前の彼女ではなく、狂おしいほどの憎しみに燃える復讐の戦士だった。そして、ここがすべての悲劇へのはじまりでもある。

 一介の未亡人にすぎないたったひとりの女性が、その本拠地さえさだかではない凶悪なテロリスト集団の主席エネル・ゲを殺す――常識的に考えても、そのような復讐を遂げることなどできるはずがない。だが、静香は目の前に待ち受ける修羅の道を進むため、文字どおり鬼神となる決意をする。それは、心も身体も、大切な記憶のすべても、そして人間であることさえも捨てて戦いつづけるという、壮絶なまでの決意だ。

 人為的に植えつけられた憎悪――だが、人としての理性ややさしさといった心の枷が機能しないがゆえに、その憎悪は鎖から解き放たれた獣のごとく静香の真っ白な心を支配した。憎しみという感情は、おそらく純粋であればあるほどその秘めたる力を発揮することになるのだろう。自分がなぜ汎銀戦に復讐しなければならないのか、という目的を見失って、それでもなお戦うことをやめない静香の姿は、凄まじいという以上に哀れでさえある。

 静香の復讐に手を貸す代わりに、静香との婚約をとりつけた契約軍人の夏目郁楠、静香を一流の戦士へと鍛えあげるドゥルガー、奇妙なめぐりあわせで静香たちと行動をともにすることになるラッツオ、そして静香と同じく汎銀戦に対する憎しみを抱き、ずっと機会をうかがっていたグレム財団の総帥サタジット・グレム――静香の協力者、静香の敵、そしてわき役に近い人たちも含め、本書には多くの個性溢れる登場人物が出てくるが、恐ろしいことに、これらの登場人物のすべてが、静香の憎悪というただ一点でもって結びつけられた結果として登場してくるのだ。出会い、別れ、そして成長――物語としては充分過ぎるほど魅力的な要素を内に秘めながら、主人公とも言える静香の心は、成長するどころか徐々に憎悪によって蝕まれていく。静香の憎悪を中心にして、まるでブラックホールのようにありとあらゆるものを吸い込みながら、物語は淡々と流れていく。この物語が終わったとき、あとにはいったい何が残ることになるのだろうか。

 人が人を憎む、ということ――それがたとえ、他人によって植えつけられたものであったとしても、最愛の夫と娘を理不尽なテロによって失った静香にとって、汎銀戦への憎しみはごく正当な感情である。だが、人を憎むという感情が、そんなにも大切なのだろうか。夫との結婚、娘の誕生、そして三人で過ごした日々の生活――静香にとっては唯一残された過去の思い出であり、憎しみを緩和させる希望でもあった記憶のすべてを捨ててまでも、復讐を遂げなければならなかったのだろうか。
 物語のなかで、静香は夏目に、昔自分が飼っていた猫の話をする。そして、夏目にこんなことを話す。

「私、どんどん私でなくなっている。自分が神鷹静香であることも不確実になっている。少しずつ、自分の心の中で何かが失われていくのがわかるんです。――(中略)――私、怖いんです。だから、私の心の中がまっ白になってしまう前に、誰かに、私がかつて神鷹静香であったということを知っていてもらうための記憶を話しておきたいんです」

 何もかもが失われていく、という方向に向かう物語――本書はおそらく、SFというジャンルでなければ成立することすらできないたぐいのものだろう。今はただ、最後まで生き残った人たちが、少しでも幸せに暮らしてくれることを祈るだけだ。(1999.08.30)

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