【小学館】
『催眠』

松岡圭祐著 



 ひとつの理想がある。そして、その理想を押しつぶしてしまう圧倒的な現実がある。その圧倒的な現実に逆らわないのが賢い生き方であろうし、その圧倒的な現実から逃避するのは楽な生き方だ。もし、その現実を見据えたうえで、それでもなお自分が正しいと信じる理想をつらぬこうとするなら、それはある意味愚かで、かつ苦労の絶えない生き方となるだろう。だが、それ以上にかっこいい生き方は、他にあるまい。

 本書『催眠』に出てくる催眠療法カウンセラー、嵯峨敏也は、そんなかっこいい生き方の代表選手のような人物として書かれている。<東京カウンセリング心理センター>という、日本有数のカウンセリング機関に所属する嵯峨は、たまたま見ていたワイドショーに出演していたチャネラー占い師の入絵由香が、多重人格障害である可能性が高いと判断し、個人的に彼女の調査に乗り出すことを決意する。彼女のマネージャーであり、自称催眠術師である実相寺則之とちょっとしたいさかいをおこしながらも、少しずつ彼女をとりまく環境をつかみかけていた嵯峨だったが、それもつかの間、こともあろうに日正証券の二億円横領事件の重要参考人として入絵由香をマークしていた刑事たちと、真正面から衝突することになってしまう。
 刑事たちは、日正証券の経理部部長である財津信二から盗難届を受け、刑事事件として調査をつづけてきた結果、入絵由香という人物にたどりついた。彼らにとって、彼女はあるいは横領事件の犯人かもしれない人物だ。また実相寺としては、占い師としてメディアの世界で有名になりつつある、金のなる木である入絵由香は手放したくはない存在だ。
 だが、嵯峨と入絵由香との接点は、ない。あるのは、彼女が多重人格障害かもしれない、という推測と、このまま彼女を放っておけばますます病状が悪化するかもしれない、という危機感のみである。しかも嵯峨にとって都合の悪いことに、入絵由香は<センター>の正式な相談者でさえなく、彼は何の後ろ盾もないまま、孤立無援の戦いを強いられることになる。

 はたして、入絵由香は本当に多重人格障害なのだろうか。それとも、たぐいまれなる知能犯罪者なのか?

 多重人格障害というと、今でこそ小説などによって社会的には知られるようになった名前であるが、精神医学の世界では、いまだ正式な病状として認められていないというのが現状である。<センター>の社員としても、明らかに出過ぎたマネをしていると自覚している嵯峨は一瞬、自分の行為に疑問をもつ。自分はただ、多重人格という症例を実証したいだけなのではないだろうか、と。
 だが、その迷いもあくまで一瞬のことだ。

「多重人格の疑いがあるというのは、あくまで私の仮説です。精神分裂病かもしれませんし、あるいは故意に、芝居をしているだけかもしれません。しかしいずれにせよ、黙って見ているわけにはいかなかったのです。カウンセラーとして、あの女性のためにできることがあると思ったんです。ほうってはおけなかったんです」

 本書は99年6月に映画化された。映画版『催眠』が、いつ自分にも暗示がかけられるかもしれないという、催眠や暗示、あるいは精神病ということばの持つイメージをサイコホラーのなかに巧みに取り入れているのに対し、小説版の『催眠』は、むしろ上述の言葉が持つ――というより持ってしまった負のイメージを、精神医学の立場から正しく理解させ、精神病のたぐいはけっして特異な例ではないのだ、という、ホラーというより警告の一面を押し出しており、事件そのものにもきちんとした結末を与えた、非常に読みごこちの良い物語に仕上がっている。

 テレビのコマーシャルからイメージする『催眠』をひきずったまま本書を読むと、あるいはちょっとした違和感をもつ人もいるかもしれない。だが、その違和感こそ、あるいはテレビのコマーシャルに施された「暗示」のたぐいなのかもしれない。そう、暗示や催眠は、あなたが思っている以上に世の中に浸透しているのだ。(1999.07.14)

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