【講談社】
『サイコロジカル』

西尾維新著 



 たとえば、名探偵が行動すると必ずそこで殺人事件が起こるという、探偵小説と呼ばれるものがシリーズとなったときに多かれ少なかれ抱えることになる一種のパラドックスは、現実世界においてはそうそう名探偵が名探偵として活躍できるような殺人事件に遭遇する機会に恵まれないこと、仮に殺人事件に巻き込まれたとしても、そこで捜査権を握るのはあくまで警察である、という意味で、「名探偵」を担うことができる人物が現実では存在しえないことを指していると同時に、ミステリーという点では探偵役となる人物がひとりの人間というよりも、事件の犯人を推理し、謎をすべて明らかにすることを宿命づけられた一種の記号であり、それゆえに物語の中心があくまで事件とそれがかかえる謎となってしまうことを指しているとも言える。もちろん、ミステリーには謎があり、その謎が明らかにされるときのカタルシスが醍醐味のジャンルであるが、その点をあまりに重視しすぎると、どんなに個性豊かな「名探偵」であってもけっしてひとつの人格とはなりえず、むしろ何らかの殺人事件がなければその存在すら許されない、なんとも人間味の欠けた存在に堕してしまうことになる。

 著者の「戯言」シリーズの第四作となる本書『サイコロジカル』は、ついにそのタイトルから「クビ」という言葉がはずれたという意味で、たしかにこれまでの三作とはその方向性が違ってきているのだが、サイコロジカル――「狂った論理」とでも言うべきそのタイトルの意味、そしてそのタイトルを思わせる物語の流れを考えたとき、あるいはこのタイトルこそが、本シリーズの本質をもっともうまく言い表しているのではないか、という確信めいたものがある。

 作品の内容そのものは、本書の最後に「赤い人類最強」こと哀川潤が語るように、第一作である『クビキリサイクル』と非常によく似かよった構造を成している。「戯言遣い」のいーちゃんが、「青色サヴァン」こと玖渚友の付添い人として、人跡未踏の研究施設に向かうところ、そこに多くの才人たちがいるところ、その施設のなかで密室殺人が起こり、ふたりがその事件に巻き込まれてしまうところ、そして何より、その不完全な謎解きと、最後に用意された真相解明という構成と、トリックそのものの意想外なようで、そのじつきわめてシンプルなものであるところも含め、鏡合わせのようだとさえ言ってもいいだろう。

 異なる点があるとすれば、今回の事件において玖渚友が容疑者の最有力候補となってしまうこと、事件の真犯人を見つけ出すために、実質的にいーちゃんがひとりで行動し、推理していかなければならなくなったことくらいだろうか。もっとも、じっさいには石丸小唄をはじめとした協力者がついているわけで、本当の意味でのひとりというわけではないのだが、重要なのはそこにいたるまでの経緯において、それまでなんとなくほのめかせるだけで終わっていた玖渚友の過去――五年前にいーちゃんが彼女のもとを離れてからの出来事、つまりいーちゃんがよく知らない玖渚友に対して、自身をどのような位置に置けばいいのか、そしてそのことによって、現在の玖渚友との関係がどのように変化していくのかを、いーちゃん自身が考えざるを得ない展開となっていることである。そもそも、玖渚友が今回の事件が起こる斜道卿壱郎の研究施設を訪れることになったきっかけは、彼女が過去に率いていたという《チーム》のひとり、兎吊木垓輔をそこから救出するという明確な目的があったからである。

 本書は上下巻の構成で、おもにミステリーとしての展開は下巻のほうに集約されている。では上巻はどうなっているのかといえば、おもに今後につながっていくであろう物語の方向性の確定、ということになる。それまで、自身の存在を含めてすべてを戯言によってうやむやにし、またそれこそを最大の武器としてきたいーちゃん――それは、玖渚友との関係においても例外ではなく、というよりも彼女との関係においては、むしろ彼は意図的に自身を「なんらかの役目を果たす者」という記号に押し込めようとさえしているふしがあるのだが、奇しくも上巻のサブタイトルに「兎吊木垓輔の戯言殺し」とあるように、いーちゃんの玖渚友との現状をかろうじて成立させてきた彼の戯言は、兎吊木垓輔との対話によって文字どおり葬り去られてしまう。

「きみは玖渚友のことが本当は嫌いなんじゃないのかな?」

 私はこれまでの書評のなかで、一人称で語る彼のことを、探偵役でありながら決定的に探偵役にはなりえない存在として認識してきた。じっさい、これまでの作品のなかにおいても、そして本書のなかにおいても、彼の推理はミステリーにおける完全な謎解きとしては不充分なものばかりであり、哀川潤がつねに彼の推理を補完する形でようやくすべてが明らかにされる、という形式だった。もっとも彼の場合、探偵役どころか、およそあらゆる役割、あらゆる役柄からも隔てられたキャラクターであり、だからこその「戯言遣い」であるのだが、「名探偵」であることの記号を否定することからはじまった本シリーズのミステリーとしての要素は、その否定の部分を念頭に置くことによって、これまである種のアクロバティックな――良くも悪くも禁じ手ぎりぎりのトリックを生み出すことに成功してきたと言ってもいい。

 だが、本書においていーちゃんが「戯言遣い」であることを葬り去られ、そのことによって自身の立ち位置を再確認させることが本書のテーマであるとするなら、本書はこのシリーズにおけるひとつの転換をうながす作品として、重要な位置をしめてくることになる。そもそも探偵役ですらない彼は、作品のなかで突きつけられる謎に対して律儀に探偵としての役割をはたすことから自由であり、玖渚友がそばにいる場合は、つねに「彼女を守る」という役割を何のためらいもなく担うことを最優先にしてきた。そのことについて、はたしていーちゃんが何を思い、これからどうしていくのかは、以降のシリーズを読んでいくしかないのだが、少なくとも前作『クビツリハイスクール』において、けっきょくは何も変わることのなかったことを考えると、本書はたしかに何らかの「変化」を感じさせられる内容であることだけは間違いなさそうである。(2006.01.17)

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