【新潮社】
『サクリファイス』

近藤史恵著 



 昔も今も、団体競技というのがどうにも苦手だ。野球にしろ、バスケにしろ、バレーやサッカーにしろ、自分のプレーがチーム全体の勝敗に影響してくるという状況が大きなプレッシャーでしかなかった。より詳しく言うなら、自分のミスでチームが負けるというのがどうしても耐えられなかった。私が中学校のときに陸上部を選んだのも、それが個人競技という要素が強いスポーツだったからに他ならないのだが、そうした感覚には、たとえば負けた責任を他人に転嫁しない潔さととれば好意的であるが、逆にいえば、自分さえよければ他人はどうでもいい、という身勝手さや協調性のなさの表れだともとれる。

 おそらく、私のなかでは良くも悪くも「自分という個人が勝つか負けるか」という要素が、大きなウエイトを占めているということなのだろう。そうした価値観は今さら簡単に変えられるようなものではないし、それはそれで仕方がないという気持ちもある。だが、それでもふと考えずにはいられなくなるときがある。チームのためにプレーすること、チームの勝利に貢献すること――それは、ときに個人の技量や努力をフイにする危険もあるが、もしかしたら個人が勝つこと以上の大きな何かがあるのではないか、と。

 黒い選手は、記録の上では勝者ではない。だが、彼は勝者と同じくらい誇らしい気持ちで、ゴールへと飛び込んだはずだ。
 背筋がぞくり、とした。ぼくはすっかり乾いてしまった唇を舌で湿した。
 この世界ならば、肩の重しを振り払って走ることができる。そう思ったのだ。

 本書『サクリファイス』のなかで書かれているのは、自転車ロードレースの世界である。私も本書を読むまでは、そんな競技があることさえ知らなかったのだが、ヨーロッパを中心に自転車ロードレースのさかんな国は多く、国民的人気も高いらしい。本書の語り手である白石誓は、日本のチーム・オッジに所属する自転車ロードレースの若手選手であるが、まだ入ったばかりの新人ということもあって、さほど目立った活躍はできていない。目立った活躍という点では、同期でチームに入った伊庭和実のほうが顕著であり、今やチームのエースである石尾豪に次ぐナンバーツーと言える存在となっている。だが、不思議なことに白石のなかに、現状に対する不満や焦りといったものはほとんど見られない。

 日本ではあまり馴染みのない競技である自転車ロードレース――おそらく、読者の大半にとっては未知の世界であろうスポーツの魅力については、本書のなかでも存分に書かれている。空気抵抗を避けるために、異なるチームの選手どうしであっても順番に先頭を走って風除けとなる「先頭交代」のルール、アタックをかけるときの心理的駆け引き、数日をかけて行われるロードレースにおける「総合優勝」と「ステージ優勝」の概念など、本書を読みすすめていくにつれて、自転車ロードレースの過酷さと面白さが見えてきて、それもまた本書の特長のひとつに数えられるのだが、この物語の核となっているのは、なにより「エース」と「アシスト」というある種の役割分担がある、という自転車ロードレースの特徴だ。

 語り手の白石は、かつて陸上競技の中距離選手としてインターハイ優勝の経験もあるほどの選手だったのだが、彼にとって一番になることは、ただの重圧でしかなかったという過去をもっている。勝つこと、勝ち続けること、そしてそのことに寄せられる多くの人の期待――そういった想いの重さに押しつぶされそうだった白石は、ある日テレビで見た自転車ロードレースの、アシスト役の選手の存在を知ることで、そこに希望を見出した。チームのアシストは、エースの選手を勝たせるために、自身の順位を落としてでもエースをサポートする。それは、勝ちたいと望む選手にとっては踏み台にされることの苦痛しか感じられないことであろうことは、私たちにも容易に想像できるのだが、白石にとってアシストとは、何より「勝たなくても許される役」という意味で、重要なものだった。そして、本書のタイトルにもなっている『サクリファイス』という言葉が、自転車ロードレースにおけるアシスト役の選手の担うべきものとして、読者のなかで自然と結びつくことになる。

 なるほど、それはたしかに間違いではない。だが、本書のタイトルに込められた意味は、それ以上に深いものがあることを、ここで断っておかなければならない。なにしろ著者の近藤史恵の作品は、「情報の断片によって導き出された思い込みが、物事の真実をかえって遠ざけてしまう」という点こそが真骨頂であり、それは本書のなかでもきちんと継承されている。

 チーム・オッジの要であるエースの石尾――冷酷なまでに勝ちを狙いにいくその姿勢は、ときに多くの人々の反感を買うものでもあったのだが、物語が進むにつれて、そんな石尾に関する不審な噂が白石の耳に届くようになる。かつて、次期エースと目されていた若手選手を故意に事故にまきこみ、再起不能にしたという話、今度は伊庭や白石をつぶそうとしているのではないか、というチームメイトの憶測、そして実際のレース場で目撃されたという、自転車の細工――次々と出てくる事実が積み重なって、語り手のなかに少しずつ問題の人物への疑惑が深まっていく、という展開は、同著者の『賢者はベンチで思索する』にも見られたものであるが、物語は終盤近くになって、まさにあっと息を飲むような展開を迎えることになる。

 ツール・ド・ジャポンの最中に、外国のさる有名なチームが日本人の選手をスカウトしたがっているという情報が入り、自転車ロードレースの本場で走りたいという伊庭や白石の渇望をはじめ、登場人物の揺れ動く心を描くさまが変わらずキレのある本書であるが、本書を読み終えた私があらためて思うのは、登場人物たちの自転車ロードレースに対するそれぞれの思い入れの強さであり、深さである。白石は勝つことに固執せず、それゆえに悪い意味で欲のない、嫌味な人物のようにとられがちであるが、順位とかいったものを気にせずに、自由に走りたいという思いは人一倍強いところがあるし、伊庭は逆に、勝ちたい、チームのエースとして活躍したいという意思に貪欲だ。長年石尾のアシストを勤めてきた赤城は、石尾の勝利こそがすべてだという思いをもっている。ただ、エースである石尾の思いという点だけは、物語の最後まではっきりとしない。それこそが本書のミステリーとしての要素にもつながってくるのだが、本書を最後まで読み終えた読者であれば、きっと『サクリファイス』というタイトルの、もう一段階深いところにある意味を、汲み取ることができるはずである。

 それぞれが競技に強い思い入れをもち、それらが複雑に絡み合ってときに大きな喜びとなることもあれば、大きな悲劇を生むこともある。そしてその思いが純粋なものであればあるほど、喜びや悲しみも大きなものとなる。はたして、石尾がその胸に秘めていた自転車ロードレースへの思い、そしてエースとして走ることの思いがどのようなものであったのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2008.03.08)

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