【新潮社】
『さぶ』

山本周五郎著 



 その人が今置かれている境遇が幸福であるか、あるいは不幸なものであるかというのは、周りによって決められるものではなく、あくまでその人がどう思っているかに因るものである。そういう意味において、人はその気になれば、どんな境遇においても幸せを感じとることができる、ということになるのだが、実際問題として、誰もが本当にそのときそのときの状況を楽しむことができるというわけではない。どんなにどん底な境遇においても、そこから何らかの楽しみを見つけ出し、幸せを感じとれるほど強い人間はごくわずかで、その人にしても、最初からそんなふうに気持ちを切り替えることができるというわけでもないはずだ。

 人間ひとりひとりは、ちっぽけで弱々しい存在にすぎないし、ちょっとした境遇の変化によって容易に打ちのめされ、絶望してしまう。たが、それでもなお生きつづけることを選択しつづけることができれば、いずれ時間がその出来事を思い出に変え、物事をもう少し客観的にとらえることができるようになっていく。そうやってはじめて、不幸だったその出来事が自分の心にどのような作用をおよぼしていったのかが見えてくる。そしてそのとき、自分の周りには、多かれ少なかれ自分を支えてくれた人がいたという事実に気づくことになる。

 そのとき、自分のそばに誰がいてくれたのか、というのは、ときにその人のその後の人生を大きく変えてしまうほど重要な要素になりえるものであるが、自分の境遇を不幸だと思い込んでしまっている場合、その人の意識は自身の不幸な境遇という枠の中に閉じこもってしまいがちであるがゆえに、自分の周囲に誰がいるのか、といったことにまでなかなか目が向かないものである。本書『さぶ』は、江戸下町を舞台としたふたりの青年の人情と成長を描いた作品であるが、物語自体は間違いなく栄二という、手先が器用で要領もよい男前を中心に動いているところがあるのに、タイトルにはもうひとりの青年である「さぶ」――栄二とは対照的に、どこか愚鈍でけっして頭が切れるというタイプではない、どちらかといえば人から馬鹿にされてばかりいる冴えない青年の名前が冠されている、という点にこそ、本書がもっとも伝えたいテーマが込められている。

 栄二とさぶは「芳古堂」という、表具や経師にかんする老舗に奉公している同い年の職人見習いであるが、このふたりがどのような関係かという点については、本書の冒頭においてはっきり示されている。奉公先でいじめられて、駄々っ子のように泣きながら店を飛び出していくさぶと、そんな彼を見るに見かねて追いかけていく栄二――そこにあるのは、同い年でありながら、まるで栄二を兄貴分、さぶを弟分とするかのような関係であるが、それ以上に彼らを強く結びつけているのは、お互いに似たような境遇のもとで生きていかなければならない、というある種の仲間意識ともいうべきものである。それは、どちらもこのうえなく貧しい身の上――おそらく、身売り同然に奉公先に出され、厳しく修行していかなければならないという身の上であり、また何の後ろ盾も、頼るべき力もない弱い立場の人間として、この世を渡り歩いていかなければならないという共通点から生まれてくるものである。栄二もさぶも、何より似たような境遇を生き抜いていくために、損得関係や打算とは無関係に励ましあい、心を分かち合う相手として、お互いを必要としていたと言うことができる。

 愚直なところはあるが、それゆえに表具の商売には欠かせない糊づくりにかんしてだけは定評のあるさぶとともに、いずれ自分たちの店をもつことを夢みていた栄二だったが、物語はその後、「芳古堂」の得意先で起きた窃盗の罪を問われてしまい、栄二は自身の身の潔白をはらすこともできないまま、石川島の「人足寄場」へと送られる、という展開を見せる。世間の冷たい仕打ちや、弱い者が強い者によってなすすべもなく痛めつけられるような世の中の悪意に翻弄されていく、というテーマは著者お得意のパターンであり、本書においても栄二は無実であるにもかかわらず、その事実を誰にもわかってもらえないという現実、ほんのちょっとした境遇の変化が、これまでたもってきた人間どうしの関係をいともあっさりと壊してしまうという現実に打ちのめされ、人が変わったようになってしまう。自分をこんな目にあわせた者たちへの復讐にこだわりつづける栄二――それは、彼自身には何の罪もなく、ただ物事の真実を問いただしたいという気持ちから生じたものであるがゆえに、読者を哀しく、切ない気持ちにさせるものがある。

 物語当初の雰囲気からすれば、ある機を境にして何もかもが大きく転換していく本書であるが、じつはこうした変化が大きければ大きいほど、そのなかで変化しないものの存在が貴重な光を放つようになる。そしてその中心にいるのは、栄二ではなくさぶである。本書のなかには、じつの親であっても、その貧しさゆえに娘を女衒の手に売り渡してしまうという、世の中の理不尽さを強調するようなエピソードもあるが、そんななかでひとつだけ変わらないものがあるとすれば、それはさぶに代表されるような、人が人を思う心のありようだと本書は語る。真面目に働いてさえいれば、その努力はむくわれるという「人足寄場」のシステム、そこにいる人たちの、多かれ少なかれ栄二と似たような境遇、そして何より、栄二の心情がどうであれ、彼を思う気持ちの変わらないさぶの純粋さ――本書のテーマは、まさにこうした物語だからこそ説得力をもつものである。

 栄さんがどんなに頭がよくって、腕がどんなによくったって、それだけではどこでも立派な職人になれるってことはないと思うわ――(中略)――芳古堂があり、さぶちゃんがい、おすえちゃんと云う人がいたことは消しようがないでしょ

 本書は栄二という人物の変わりゆく心と、その人間としての成長を描いた物語であることはたしかだが、その変化の要になったのは、何よりさぶという人物の変わらない心があったからこそのものでもある。人はその気になれば、良いほうにでも悪いほうにでも容易に転がっていく。だが、それでもなお変わらないものもある、というのは、彼らにとって大きな救いだったに違いない。そして、そういう意味では、本書の中心にいたのは、自分のことをぐずでのろまだと言い、栄二の足手まといになることを怖れ、そして栄二がもっともつらいときに、彼の力になろうと尽くしてきたさぶという人物なのである。(2006.12.10)

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