【講談社】
『聖アウスラ修道院の惨劇』

二階堂黎人著 

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 今でこそ「日常の謎」といった、人死にが発生しない形のミステリーや、あるいは東川篤哉の『謎解きはディナーのあとで』などのように、殺人事件そのものが極端にデフォルメされた形で扱われたりするミステリーも多くなっているが、そもそも殺人事件というものが、ふつうの人生を歩んでいる人たちにとってともすると生涯縁のない、きわめて稀な出来事であることを考えると、私たちにとっての殺人事件とは、ある意味で究極の「非日常」に属している現象だと言うことができる。

 非日常とは、たとえば旅行や祭といったイベントも含まれているが、殺人事件の場合、それに遭遇する人の大半が何の心の準備もなく巻き込まれてしまうたぐいのものである。そして犯人が明らかにならないかぎり、その「非日常」はいつまで経っても終わることのないものでもある。言ってみれば、多くの人たちにとっての殺人事件とは、恐怖の象徴となりうるものなのだ。ましてやそれが、不可解きわまりない殺され方をされていたりすれば、それが与える恐怖の度合いはさらに高くなる。

 つまり、そうした殺人事件をあつかうミステリーというのは、本来的にホラー的な要素を内に含んでいるジャンルでもあると言うことができる。特殊な因習の残る村といった舞台、首なし死体や密室殺人といった超常的な要素、あるいは見立て殺人などに付随する、殺人の連鎖をほのめかすものなど、ミステリーをミステリーたらしめる要素というのは、謎が解明されない限りはわけのわからない混沌としたものであり、人々の恐怖をことさら引き立てるものでもあるのだ。そしてそうした要素を存分に発揮しているミステリーが、今回紹介する本書『聖アウスラ修道院の惨劇』である。

「――しかし、これだけは断言します。修道院内の女性たちも、この我々と同様、全員敬虔なるキリスト教徒です。その中に、神父を殺して首を切るような、そんな悪魔のような人間などいるはずがない。ええ、私はそう信じています」

 長野県北部、野尻湖畔にある「聖アウスラ修道院」は、本来の修道院としての機能と、学校法人として女学院を運営する機能を併せ持つ修道院であるが、そこの女生徒が聖堂の塔から墜落死するという痛ましい事件が発生した。彼女が墜落したとされる塔の部屋が内側から閂のかけられた状態であったことから、警察側では女生徒の自殺として処理されたものの、彼女の体には顔を中心にあきらかに刺傷とわかる多くの傷があり、それらの痕跡は今回の事件が他殺であることを物語っていた。

 本書における探偵役を担う二階堂蘭子は、死亡した女生徒の友人からの手紙を受けるという流れで、今回の事件の真相究明に乗り出すことになるのだが、《推理小説研究会》に所属する一ッ橋大学の学生という、社会的地位の確立されていない身分であること、にもかかわらず、名探偵としての手腕がある程度世間的に認知されているようなところがあること、さらには警視庁内に高い地位についている親戚がいて、警察関係に対してかなり無理をとおすことが可能であるといった、殺人事件の真相を追う探偵としては理想的な立場にあることを挙げておく必要がある。

 ごく常識的なことを考えるのであれば、天下の警察がその捜査において、学生の素人探偵に対して便宜を図るといったことはまずありえないことなのだが、本書の世界にかんしては、そのあたりの常識についてある程度の「約束事」を前提として、あえて話を進めているところがある。それは言うなれば「名探偵」――ミステリーにおける探偵が実在するという「約束事」である。そして、その約束事がどのようなものであるかと言えば、難解な不可能殺人、下手をすれば怪奇現象として処理されてしまう事件が発生し、その事件の真相をあきからにしていくという、まさにミステリーの王道としての約束事ということになる。

 じっさい、本書では女生徒が密室となった塔の部屋の窓から墜落死するという事件が起きているが、それ以外にも満開の桜の枝に逆さまに吊り下げられた首なし死体や、謎の暗号を思わせる文書、さらに物語が進んでいくにつれて明らかになる、ヨハネ黙示録をもとにした見立て殺人としての様相など、ミステリーファンにはたまらないであろう要素がふんだんに使われている。また事件の舞台となる修道院についても、キリスト教の歴史的資料が保管されていると言われる「文書庫」の存在や、いわくつきの言い伝えの数々、隠し扉を開くための大がかりな仕掛けや地下に広がる迷宮など、いかにも怪しげな雰囲気に満ち満ちており、殺人事件の舞台としての役割を充分にはたしてくれている。

 蘭子の活躍を記述するとともに、おもに事件に対するミスリードをさそうワトスン役として登場する二階堂黎人の存在もふくめ、本書の大きな特長となっているのは、まさにこのミステリーとしての雰囲気にこそあると言っていい。それも、ただの殺人事件ではなく、警察の捜査力だけでは手におえない、禍々しさすら感じられる猟奇的な殺人事件がもつ独特の雰囲気であり、それはかつて江戸川乱歩やヴァン・ダインといった、往年のミステリー作家たちの世界が醸し出している雰囲気でもある。さらに言うなら蘭子自身、本書のなかで自分の興味を惹くような事件にしか関わらないことを明言してさえいる。そして彼女にとっての「興味を惹く事件」とは、まさに上述した猟奇的殺人事件ということになる。

「私は、調査を始めたらけっして途中ではやめません。必ず謎のすべてを解き明かします。それがどんなに悲劇的なもので、また、誰かにとって都合の悪いことでもです。――(中略)――そのリスクだけは、覚悟しておいてください」

 本来であれば神聖なる修道院で起こった、まるで悪魔の所業であるかのような連続殺人――はたして犯人は本当の悪魔なのか、あるいは自分が神の代弁者であると信じる狂信者なのか? 二転三転する意想外な真実、そしてラストで明かされるとんでもない真相もふくめ、ミステリーとしての要素をふんだんに盛り込んだ本書をぜひ堪能してもらいたい。(2013.08.29)

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