【集英社】
『風の影』

カルロス・ルイス・サフォン著/木村裕美訳 

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 私も含めて、多少なりとも読書家であると自覚している人たちにとって、いつ、どんなきっかけで、どのような本と出会うことができるのか、という命題は、けっして無視することのできない大きなものとして、私たちの前に立ちはだかってくるものである。たとえば、恩田陸の『夜のピクニック』のなかで、ある高校生が『ナルニア国物語』にもう少し早く出会っていれば、と語るシーンがあるが、子どもの頃にとくに読書らしい読書をしてこなかった私には、とくに身につまされるセリフだったことをよく憶えている。適切な時期に、適切な本と出会い、それを自分のものとして吸収していくことができていれば、はたしてそのときの自分はどれだけ変わることができたのだろう、という仮定は、読書好きな人であれば誰もが一度は考えることだ。

 物語が好きで、その物語が本のなかにたしかにあることを知ってはじめるようになった読書であるが、世の中にある多くの作品に出会いたい、という欲求とは裏腹に、私たち個人の能力にはおのずと限界があり、したがって手にとることのできる本の数も限られてくる。『本という不思議』のなかで長田弘も語っているように、本を読むという行為は読者にとって積極的な心の作用であり、誤解を恐れずに言うなら、それは人と人との出会いによく似たものでもある。ある時期に出会った人物が、その人にとって生涯の友となることがあるように、ある時期に読んだ本が、読者にとってこのうえない影響をおよぼす――だからこそ読書は興味深いものなのだが、そうした出会いというのは、生涯を通じての友と出会うのと同じくらい稀有なことなのも事実である。しかし今現在、読書を愛する人たちは、いや、かつて読書を愛していた人たちであっても、きっとそうした稀有な出会いを本を通じて体験したからこそ、読書という行為に身をゆだねたのではないだろうか。

 本書『風の影』は、まさにそんな読書好きな人たちにこそ読んでもらいたい作品である。というのも、本書における物語のはじまりは、少年と一冊の本との出会いによって引き起こされるものだからである。

 物語の舞台となるのは、1945年のバルセロナ。古書店を営む父とともに「忘れられた本の墓場」と呼ばれる場所に連れていかれた10歳の少年ダニエル・センペーレは、その迷宮のような秘密図書館のなかで一冊の本と出会う。『風の影』というタイトルのその本は、実の父親を探し求める男の幻想的な冒険譚で、その物語はダニエルの心をとらえるのに充分な魅力をもっていた。古書店の息子として本に興味をもったダニエルは、『風の影』の作者であるフリアン・カラックスとは何者なのか、そして彼のほかの作品がないものかと調べてみるが、そのうちにこの作者にまつわるさまざまな不可解な事実が明らかになっていく。

 フリアン・カラックスの著作自体は何作もあるにもかかわらず、それらが市場に出回っているどころか、ダニエルの見つけた一冊をのぞいて、すべて焼かれてしまったという事実、そのために裏で動いている人物がいて、彼が『風の影』に登場する悪魔の名前を語っていること、そしてフリアンという作家についてわかっていることがほとんどなく、その消息は現在まったく途絶えているということ――その存在が根絶されようとしている、謎につつまれた作家の真実の姿を追い求めていく、という意味で、本書はミステリーとしての色合いが強い作品であるが、そのいっぽうで、本書の語り手であるダニエル自身の成長物語としての側面も丹念に描かれており、フリアンの謎を追う過程で出会う盲目の美女クララや、16歳になって入学したイエズス会士の学校の同級生であるベアトリスとの出会いと、そこから少しずつ深まっていく関係を見るかぎりでは、むしろ恋愛小説としての要素が強いと言える部分もある。

 「忘れられた本の墓場」という、非常に象徴的な場所から、思いがけず手にとることになった、一冊の本――そこにはじめて来た人間は、選んだ一冊をひきとって、この世から消えないように守り続けるという約束事を請け負うことになっている。ダニエルのフリアンを追う行為は、まさに世界から消えようとしているひとりの作家を生きながらえさせるためのものであるが、本書が見事なのは、そうした約束事がたんなる契約とか使命とかいった大上段にかまえたものではなく、ダニエル自身のしかるべき人間としての成長とうまくシンクロしている点にこそある。本書のなかでダニエルが出会うことになる人物のひとりとして、かつてフリアンの担当編集者だったヌリア・モンフォルトという女性が登場するが、彼女はダニエルがフリアンとよく似た雰囲気をもっていると語る。じっさい、ダニエルがたどることになる人生、とくにその女性関係とその顛末については、徐々に明らかになっていくフリアンの過去と、驚くべき共通点を見せることになるのだが、そうした過去と未来とのシンクロは、ダニエルのフリアンに対する思いと、フリアンのダニエルに対する思いという形で物語を劇的に盛り上げていくことになる。

 読書は個人的な儀式だ。鏡を見るのとおなじで、ぼくらが本のなかに見つけるのは、すでにぼくらの内部にあるものでしかない。本を読むとき、人は自己の精神と魂を全開にする、そんな読書という宝が、日に日に稀少になっているのではないか

 あきらかになってくるフリアンの過去というのは、彼の意思とは無関係のところで何者かの思惑に振り回されるようなものであった。そしてそんな運命を跳ねのけ、まぎれもない自分の意思をつらぬく唯一のものとして彼の前にあった恋愛という感情は、しかし彼に幸福どころかおおいなる災いをもたらすものでもあった。もし、ダニエルにとっての『風の影』という本が「宝」であるとするなら、そうしたフリアンの暗い過去を知り、かつ自分もまたフリアンと同じような道を歩もうとしていることを知ったダニエルは、いったい何を思い、どのような決意をもたらすことになるのか。ミステリーとしての要素も多くからんでくるのでこの場で多くは語らないが、ひとつだけたしかなことがあるとすれば、ダニエルが闇に葬られそうになっているフリアンの過去を追うことで、『風の影』の著者の迷える魂を救おうとしているのと同じように、『風の影』という本もまた、ダニエルのことを理解し、彼を救うためにその力を発揮することになる、ということである。そしてそれは、他ならぬ自分自身を救い出すためのものへとつながっていくのだ。

 たった一冊の本との出会いからはじまったフリアン探究の旅は、本の中から抜け出してきた不吉な人物や今や刑事部長にのしあがった殺人鬼、そしてフリアンの愛した女性ペネロペやその父で財産家だったリカルドといった登場人物を浮き彫りにするだけでなく、探究者であるダニエル自身の身にも危険を招くものへと発展していく。はたして、謎の作家フリアンの過去に何があったのか。そしてダニエルとベアトリスとの仲はどうなってしまうのか。愛と憎しみの入り混じるバルセロナの街の物語を、ぜひ味わってもらいたい。(2006.10.29)

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