【早川書房】
『宇宙探査機迷惑一番』

神林長平著 

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 たとえば、石持浅海の『この国。』では、日本がシンガポールのような一党独裁体制によって統治されている世界が書かれていた。ジョー・ウォルトンの『英雄たちの朝』からつづく三部作は、イギリスがナチスと手を組み、ファシズムが台頭している仮想歴史が展開されていた。山田宗樹の『百年法』に到っては、人類が事実上の不老不死を手に入れた世界での物語である。いずれも、私たちが共通認識としてもっている(あるいはもっていると錯覚している)世界とは少しばかり異なる状況が展開されており、それゆえに私たちは、そこに書かれているものがフィクションであると認識することができるのだが、そうした方面における才能が皆無の私にとって驚くべきなのは、そうした奇抜な世界設定を、世の作家たちはいったいどうやって思いつくものなのか、ということである。

 上述のようなパラレルワールド的設定は、じつは時間跳躍をあつかったSF作品ではおなじみのアイディアのひとつだ。「あのときああしていたら、世界はまた違った歴史を歩んでいたのではないか」という仮説は、過去に時間跳躍できるようになれば実現させることが事実上可能となる。そのさい、跳躍者の認識する歴史そのものが唯一の世界として改変されるのではなく、まるで道が二股に分かれるように、元々の歴史と改変された歴史のふたつの世界が平行して存在していくのではないか、というのがパラレルワールドの発端となっている。そしてそんなふうに考えたとき、私たちが唯一無二のものとして捉えているこの世界も、じつは無限に存在するパラレルワールドのひとつに過ぎないのではないか、という仮説が出てくるのも不思議ではない。パラレルワールドの存在が確認できないのは、たんにそれを認識する感覚や、それを理論化するだけの知識を持ち合わせていないだけのことなのだ、と。

 さて、ここで問題となってくるのは、仮に世界が無限に並列しているのだとして、それらの世界はいったい誰の認識によって知覚されたものなのか、という点である。量子論をもちだすまでもなく、あらゆる事物は私たち人間が言葉で定義することで、はじめて認識することが可能となる。ドラえもんのひみつ道具のひとつである「もしもボックス」が、まさに仮想世界を「生み出す」機械であり、のび太なりドラえもんなりが「こんな世界があったら」と宣言しないかぎり、そもそも存在しえなかったのと同じように、パラレルワールドにしても、「誰か」に認識されて、はじめてその存在が確定されることになるはずである。今回紹介する本書『宇宙探査機迷惑一番』について、まず押さえておくべきことはこの点である。つまり、平行世界を渡り歩く物語、ということだ。

 物語は当初、「迷惑一番」と呼ばれる言語発生器を主体とするパートと、地球連邦軍の月面基地に所属する<雷獣>迎撃小隊のひとり、小樽大介中尉を語り手とするパートのふたつが交互に入れ替わるような形で展開していく。「迷惑一番」とは、「迷走する人工惑星一番機」の略であり、その上位には「マーキュリー」というシステムがいる。それらは水星軍で開発された、多元並行宇宙を横断して探査するためにつくられた機械として登場するのだが、そのさいに月面基地に正体不明の物体として補足され、<雷獣>迎撃小隊の駆る迎撃機「晨電」と対峙するという事態となる。

 いっぽうの大介側のパートでは、かなりシュールなシーンが展開される。なにしろ迎撃機の外部視野ディスプレイに映っているのは、巨大な「?」マークなのだ。しかも他の迎撃小隊には、別のもの――たとえば巨大な「!」だったり、あるいは「モアイ」だったり――が映っているらしい。じつはそれこそが「迷惑一番」がいる多元並行宇宙探査機だったりするのだが、敵である水星軍の兵器と勘違いされたその探査機は、危機回避のために別の平行宇宙への跳躍を実施、迎撃小隊の五機もまたそれに引きずられるようにして平行宇宙に跳ばされてしまう。

 迎撃機の一機が正体不明の物体と衝突し爆散した――と思ったら、蠅たたきになってひっぱたかれた。月の裏側に日本語の文章で小説めいたものが羅列されていた。月面基地に戻って精密検査を受けてみると、医師から「きみたち、死んでるよ」と診断された。迎撃機「晨電」の設定をはじめ、かなりSF的な世界が展開されていながら、大介たちが体験する事柄はあまりに現実離れしたものばかりであり、まるでギャグ漫画のような内容であるばかりか、なぜそんなふうになったのかの説明もない。ただひとつだけ明らかなのは、自分たちが「迷惑一番」とともにパラレルワールドに意識だけが跳ばされてしまい、しかもその世界では軍隊が民営化されようとしている、ということだけである。そしてそうなったそもそもの要因は、「迷惑一番」が迎撃小隊の敵性行為に対抗する手段として、「地球連邦軍が能天気な連中ばかりの世界」へと逃げ込むことを選択したからに他ならない。

 「迷惑一番」はそもそも多元並行宇宙を渡り歩くためにつくられた機械であるが、大介たちはそうではない。無数のパラレルワールドを意識できない人間が、パラレルワールドを渡り歩くはめに陥ってしまうというのは、ある意味で大きな悲劇だ。なぜならそのことを意識できるのは、他の世界での意識を持ち込むことに成功した大介たちのみであり、他の人たちにとって世界とは、自分たちが意識しているただひとつの世界がすべてであるからだ。仮に大介たちが真実を語ったとしても、まず受け入れられることはないし、下手をすれば狂人扱いされるのがオチである。しかも、彼らがもといた次元の世界に戻れる可能性は、かぎりなく低い。だが、そうした悲壮な状況でありながら、その悲壮さがどこか軽いノリとなっているのは、彼らが「能天気小隊」と呼ばれるほどの能天気さの持ち主であるという設定のせいである。そして、それを補強するかのように、彼らはしばしば「能天気」という言葉を繰り返す。

 だが、彼らが「能天気」なのは、もともとの性格ゆえのことなのだろうか。あるいは、それもまた「迷惑一番」の認識によって生じたものなのだろうか。

「――この宇宙はマーキュリーが侵入したときは何も存在しなかったのかもしれん。この世界はマーキュリーが創造しつつある世界だろうと思われる。和泉禅禄がやろうとしたことは――意識のない宇宙にマーキュリーという意識を送り込むことではないのかな」

 本書のタイトルが大介たちの小隊の名前でなく「迷惑一番」となっているのは、ある意味でこのうえなく正しい。なぜなら本書の世界――マーキュリーが意識することではじめて確定された世界の主人公は、思考する言語発生器であり、その生み出される言葉によって世界を都合の良いように改変していく「迷惑一番」に他ならないからだ。はたして「迷走する人工惑星一番機」は、そしてそれに巻き込まれた大介たち「能天気小隊」は、まるで小説内のフィクションのごとく放り込まれた並行宇宙で、いったいどんなふうに世界を認識することになるのだろうか。(2013.10.24)

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