【早川書房】
『頭蓋骨のマントラ』

エリオット・パティスン著/三川基好訳 

背景色設定:

 真実というのは常にたったひとつであり、だからこそそのたったひとつの真実を追求していくという行為に対して、私たちは少なからぬ尊敬の念を抱かずにはいられないものがあるのだが、それは真実を知ることの困難さ――つまり、それがまぎれもなく真実であると証明するために費やされる労力の大きさゆえのもの、というよりも、真実が明らかにされたからといって、必ずしもそれが人々の幸福につながっていくわけではない、むしろより大きな困難や苦痛をともなうものとなりうる、といった性質に拠るところが大きい。真実はときに、何かにひとつの区切りをつけ、人々が一歩足を踏み出すための原動力となるが、けっして夢や希望といったものとひとくくりにできるわけではない、ということである。

 人間は誰しもがまぎれもない真実を前にして、それを直視できるだけの心の強さを持ち合わせているわけではない。私たちはときに、いともたやすく真実から目をそむけ、こうあったらいいなと思うこと、こうあるべきだということが真実であると信じ込んでしまう。だが、それがはたして安易な道のりであるかといえば、かならずしもそうとばかりは言い切れないものがある。言ってみれば、それは何に重きを置くかの問題である。もしたったひとつの真実を知ることが絶対的な価値観をもつのではなく、むしろ相対的なものとしてとらえる世界があるとすれば、そこで生きる人たちにとってのたったひとつの真実が、まったく異なった形をしていたとしても、それはけっして不思議なことではない。

 本書『頭蓋骨のマントラ』は、現代のチベットを舞台に展開されるミステリーである。探偵役となる単道雲(シャン・タオユン)はかつて北京で主任監察官として、おもに経済分野の犯罪捜査を担当し、共産党員にも推薦されたことのあるエリートであったが、あくまでたったひとつの真実を追い求めようとするその生真面目さが災いし、今はチベットの奥地にある強制収容所の囚人として、過酷な労働を強いられる身に落とされていた。

 そんなある日、作業現場で一体の首なし死体が発見される。状況的にはきわめて事件性の高い遺体であり、他殺として捜査されてしかるべきものであるが、州の検察官である趙は不在、しかも近日中に北京司法部からの監査が入ることになっており、この不測の事態を早期に解決する必要に迫られた人民解放軍の最高責任者である譚大佐は、かつて監察官だった単に犯罪捜査を強制することになる……。

 敬虔な仏教徒の国であるチベットという舞台に、共産国である中国の出身である探偵役の人物という、ミステリーとしてはきわめて異色の要素をもつ本書であるが、首なし死体の発見からはじまる今回の事件は、単によって捜査が進められるにつれて、その背後に複雑な関係性がいくつも見え隠れしてくるような展開となっている。じっさい、金箔に覆われた無数の頭蓋骨を安置している洞窟内で首なし死体の首が発見され、殺害されたのが休暇をとっていたはずの検察官の趙であることがわかってから、人民解放軍としても殺人事件として本格的な捜査に乗り出さずにはいられない状況となるのだが、その後も若い検察官補がおこなった独自の捜査によって、隠遁した老僧が殺人事件の容疑者として逮捕されたり、強制収容所にいるチベット人たちが死人の出た作業場での作業を拒否し、人民解放軍の部隊と一触即発の状態に陥ったり、過去に起きた殺人事件とその裁判との関連性が浮き上がってきたりと、単を取り巻く状況はますます複雑に、そして時間が経つにつれてますます悪い方向に傾いていく。

 そして、今回の事件の捜査上で何度ももちあがってくる、仏教の守護魔人であるタムディンの存在――私が本書を読みはじめたときにまず思っていたのは、なぜチベットであり、なぜ中国人の探偵なのか、という点であったのだが、物事のあらゆる現象に仏教的な意味を見出そうとするチベット人たちの思想と、殺人事件の捜査にさえ社会主義的因果関係を求め、共産国を構成する人民の更正へと結びつけようとする共産党員たちの思惑という、ふたつの相容れない思想の衝突によって、ただでさえ複雑な事件の真相がますます見えにくくなってしまっているという現実を知るにいたって、重要なのはその舞台や登場人物の出身国といったものではなく、相異なるふたつの世界をまたぐようにして起こった殺人事件の、ただひとつの真相を解明するために、探偵役の人物に求められる要素にこそある、という点である。

 単は知識人であった父の影響もあって、老子に代表される道教的素養をもっており、まさしくその素養ゆえに祖国の本質、共産国であることの本質というものをその身をもって思い知らされることになるのだが、そのいっぽうで彼は、強制収容所で出会ったチベット人僧侶たちの敬虔さ、信仰の深さに感銘を受けた人物として描かれている。言ってみれば単は、チベットと中国というふたつの世界をともによく知る人物として位置づけられており、そういう意味ではまさに今回の事件を解決するにふさわしい要素を満たしていると言えるし、じっさいに単は、ただ事件の真相を追うだけでなく、その過程においてチベット的要素と接し、それを自身の内に取り込んでいくことになる。沈黙の誓いを立てた容疑者の僧侶、鳥葬という独特の風習ゆえに存在する、死体解体を生業とする一族、秘密の聖域、ポタラ宮、そして魔人を呼び出すという頭蓋骨のマントラ――読者は現実世界におけるチベットと中国との関係について、はっきりとしたところはわからないかもしれないが、少なくとも単とともに本書の事件を追ううちに、ふたつの異なる世界、異なる価値観の衝突が生み出す悲劇と、それでもなお屈することのない信仰の強さ、ひとりの人間である以上の何かが支配する世界のたしかな息吹を感じることができるのだ。

「一度同じようなジレンマにおちいったことがあります。正義を追及するか、役人の要求どおりにことを運ぶか。その僧侶がなんと言ったと思います? われわれの人生は、真実を知るための実験に使われる道具なのだと」

 探偵が殺人事件と遭遇し、これを解決していくというのはミステリーのもっとも根本的な原則であり、そこには常にたったひとつの真実だけが隠されているものである。これまでミステリーとは、そのたったひとつだけの真実を追究すること、つまりいかにして複雑な謎を解明していくか、という点に重点が置かれることが多かったが、本書はチベットと中国というふたつの価値観をもつ国を物語の要素にくわえることで、ただたんに真実を追究する以上の何かをミステリーの分野に取り入れることに成功した作品だと言うことができる。なぜ犯罪をおかしたのか、なぜ嘘をついたのか――その動機という点に重きを置いたミステリーという意味で、本書はまさにベストな舞台をチョイスしたのである。(2006.06.21)

ホームへ