【新潮社】
『沢蟹まけると意志の力』

佐藤哲也著 



 私たちのなかに「何かを成し遂げたい」という意志が発生するのは、その「成し遂げたい」ことが自分には欠けている状態であり、その「何か」を補完することが、当人にとっての得となるからである。つまり、何かが「ない」と認識することが意志であるとするなら、意志の力とは、その「ない」状態を「ある」状態にするための力、ということになる。これは逆に言えば、意志の力がありつづけるかぎり、人は「ない」状態を「ある」状態にするために邁進し続けていく、ということでもある。

 今回紹介する本書『沢蟹まけると意志の力』について、そのありようを評するのは非常に難しい。いや、難しいどころか、ほとんど不可能ではないかとさえ思う。だが、「読んだ本は意地でも褒める」というモットーでこのサイトを運営している以上、私は本書の魅力を語り、そこにあるはずの良い点を紹介していかなければならない。もしそれができないとなれば、このサイトは存続し得ないし、存続させていく意味も失われる。だからこそ、私は本書を書評するのである。どうやって? もちろん、堅牢強固な意志の力でだ。

 本書の本質をごく単純に説明してしまうなら、そのタイトルにもある「意志の力」を書くことにある。だが、ただたんに「意志の力」と言っても、それはあまりに抽象的にすぎて、イメージするのが難しい。そこで、本書のなかでは手を変え品を変えて「意志の力」に具体的なイメージをあたえ、物語を構築して具象化させていこうと試みていく。そういう意味では、本書はきわめて抽象的で、曖昧模糊とした概念そのものに対して、何らかの形を与えて存在を固定させることを目的とした作品だと言うことができる。

 世の中には抽象的なものは、じつは数多くある。倫理、正義、愛、道徳――そうした抽象概念を至高のものとしてとらえ、その啓蒙のために、あるいは何らかの教訓のために、小説を書くことで表現しようという試みは、昔からなされてきたことであり、それほど特別なことでもない。もし本書が、その「意志の力」を表現するために、たとえば多大な困難を乗り越えて大きな目的を果たしたというサクセスストーリーを書いたとするなら、本書もまたそうした作品のなかのひとつとして堕していくことになっただろう。本書が特徴的なのは、「意志の力」という抽象的概念を、ある種のパロディーとしてとらえており、それを承知したうえで、確信犯的に「意志の力」という言葉を振りかざしているという点である。そして、その中心にいるのが、沢蟹まけるという存在である。

 そのタイトルにもなっている沢蟹まけるという存在は、しかし本書を読み進めていくとおのずとわかってくるのだが、けっして物語の主人公というわけではなく、ゆえに物語をあるべき方向へと押し進めていくこともない。だが、沢蟹の卵から人間の形として誕生した彼は、他ならぬ「意志の力」の申し子であり、言ってみれば「意志の力」を象徴する存在である。だが、逆に言えば彼にあるのは「意志の力」だけであり、その力を注力するための目的――意志そのものをもっていない。それゆえに、彼は本書のなかで、終始誰かに何らかの「意志」を与えられ、その意志の実現のために動かされる道化としての役割をはたすことになる。

 「意志の力」という言葉だけをとらえるなら、そこには何か人として崇高なものを読み取ることができる。私たちはけっして状況に流されるわけではない。意志の力をもって、どんな困難なことでも成し遂げてみせる――そうしたある種のポジティヴな精神論を想像しがちであるが、それはあくまで言葉がもつイメージでしかなく、私たちはしばしばそうした言葉のイメージによって印象操作をされてしまう。本書に登場する沢蟹まけるは、そうした言葉上のイメージを突き崩す存在であり、それゆえに読者はそのギャップを感じ、それまで自身のうちにあった固定観念に疑問をもつことになる。じっさい、本書のなかではいろいろな人たちが「堅牢強固な意志の力」を旗印に、何の根拠もないことを確信していたり、絶対に無理なことをあえて敢行しようとしたり、あるいは連続殺人の動機として取り上げていたりする。

 都合の良いことも、都合の悪いことも、あらゆることを「意志の力」というひと言で片づけて、はたから見ればじつにくだらないことに邁進している人たちの姿は、じつに滑稽だ。そして、なぜか株式会社マングローブによって改造手術された沢蟹まけるが、仮面ライダーよろしくヒーローものとしての利益をもたらすはずという沢蟹たちの「意志」に突き動かされて、世界最弱であるにもかかわらず正義のヒーローをさせられてしまうという状況も、じつに滑稽である。

 カニジンジャー沢蟹まけるは改造人間である。彼を改造したマングローブは世界征服を企む秘密結社である。沢蟹まけるは人間の自由のためにマングローブと戦うのだ。

 意志はないのに意志の力だけがあると定義された沢蟹まけるは、ただ状況の流されままに生きていく。はたしてその意志の力は、どんな意志を実現させるために用いられるのか。そして彼の「意志の力」をめぐって、どのような悲喜劇が繰り返されるのか。このうえなくナンセンスで、このうえなく斜め上を行く本書を読んでいて、気がつくと肥溜めに浸かっているという事態にならないよう、ぜひとも注意してもらいたい。もしかしたら、この書評こそが狸なのかもしれないのだから。(2009.04.03)

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