【早川書房】
『夏の王国で目覚めない』

彩坂美月著 



 ミステリーというジャンルは、それこそ「読者への挑戦状」という言葉が象徴するように、もともとゲーム性の高い読み物である。物語のなかで生じてしまう殺人事件に対して、いったい誰が、どのようなトリックを用いて殺人を実行しえたのか、そのすべてのヒントを提示したうえで、その気になれば読者にも推理が可能であることが、本来的なミステリーの条件だと言える。だからこそ「ノックスの十戒」といったミステリーの基本的なルールが定められたりするのだが、たとえば私のような並の頭脳しか持ちあわせていない読者には、探偵に成り代わって謎を解き明かすことなど到底できず、あくまで物語として読み進めてしまうという姿勢でミステリーと対峙するし、それでもけっこう面白く読めてしまう。

 だが、先日私がためしに挑戦してみた書泉グランデの「本屋迷宮からの脱出」のように、自分自身があくまでミステリーの登場人物であるかのような臨場感を演出する場が与えられれば、何が何でも自力で謎を解きたいという欲が生まれてくるのもたしかである。そうした経緯もあるからだろうか、ミステリーのなかには殺人事件のリアル性にこだわるよりも、むしろこうしたゲーム性をあえて強調することで物語を盛り上げていこうと意図された作品も多い。たとえば米澤穂信の『インシテミル』や千澤のり子の『マーダーゲーム』といった作品がそれに該当するが、今回紹介する本書『夏の王国で目覚めない』もまた、そうした傾向をもつミステリーのひとつである。

「うん、そう。初めこのゲームは、たったひとつのパイを巡って他人と競い合うことが目的だった。完全なゼロサムゲームだ。でも今は、ゲームの性質が変化していると思う」

 本書のなかで企画される「仮想遊戯」とは、「ジョーカー」を名乗る主催者考案の殺人劇であり、参加者はその劇の登場人物のひとりとなって、「コマンド」と呼ばれる台本にしたがって役を演じながら、同じく参加者のひとりとしてまぎれこんでいる犯人役を特定し、事件の真相を解明するというもの。本書の主人公である天野美咲は、「九条茜」という人物になり、一年前に事故死として処理された作家、羽霧泉音の死の真相を解く者のひとりとして今回のゲームに参加を表明することになるのだが、本書の大きな特長のひとつとして、この「仮想遊戯」を成立させるための周到な設定と、その展開の巧みさが挙げられる。

 たとえば彼女が今回の、いかにも胡散臭そうなゲームに参加した理由のひとつとして、彼女が強い共感とともに敬愛するミステリ作家、三島加深の存在がある。じつは今回のゲームのプレイヤーとして選ばれたのは、インターネット上に設けられた、三島加深について語る裏掲示板にたどり着いた者たちのみであり、いずれも三島加深の大ファンであるという共通点がある。しかもこのゲームの勝者には、三島加深の未発表作品の原稿を進呈するという特典がついており、そういう意味でこのゲームの主催者は、ゲームの参加者をたくみに選別しているところがあるのだ。

 詐欺の方法論のひとつとして、対象を選別する段階というものがある。たとえば詐欺行為をはたらく者たちが、あえて胡散臭そうな格好をしている場合があるが、これはそうした格好をしていて、なお騙されてくれそうな人たちを選別するために、あえてそうした服装をしているというものである。つまり彼らにとって、怪しい服装を怪しいと感じる用心深い人たちは、最初から相手にしていないし、むしろ興味をもたれては困るのだ。本書に登場する三島加深は、その経歴や年齢、性別にいたるまでがいっさい不明の謎の作家であるが、美咲が発見した裏掲示板は、そこに到るまでの過程において三島加深への敬愛の度合いが試される仕掛けが施されており、それゆえにそこにたどり着いた者たちは、自分こそが三島加深の理解者であるという自負心をおおいにくすぐられることになる。

 ジョーカーの「仮想遊戯」は、そんな人たちに向けて発されたゲームである。謎の作家を敬愛するあまり、秘密の掲示板にたどり着いてしまった七人は、すでにその時点で「仮想遊戯」に参加するであろう者たちとして、選別されていたのだ。勝利者にあたえられるという未発表作品の原稿は、いわばダメ押しのための要素である。だが、それでも本書を読み進めていくことで見えてくるのは、今回のゲームにおける不確定要素の多さであり、さらに言うなら、主催者の意図が何かという疑問点である。逆に言うなら、そうした要素に対してどれほどの整合性、説得性を示すことができるのかが、本書にかぎらずゲーム性のきわめて強いミステリーの読みどころであるのだが、本書についてはそのあたりのバランス感覚の絶妙感が際立っている。

 たとえば、このゲームの内容についてはあくまで「殺人劇」とだけ書かれている。そして参加者の目的が事件の真相と犯人を探ることであり、参加者は計七名、またそのなかにひとり犯人役がまぎれている、とまで明記されている。ゲームの性質上、犯人役をプレイヤーが担うことは考えにくいとしても、今回のゲームを成立させるためには最低でも六人の参加者が必要であることは容易に想像できる。本来であれば、ネット上でしか交流のなかった相手と数日をともにするというシチュエーションは、よほどの理由がなければありえないはずなのだ。これがリアルを考えたときの不確定要素のひとつであるが、そのあたりの説得性については上述のとおりである。

 さらに本書の見事なところは、「殺人劇」の内容として架空の事件を提示した点にある。一年前に別荘で起きたという作家「羽霧泉音」の死――参加者に割り振られたキャラクター設定は、いずれもその事件当時に別荘に集まっていたメンバー(=容疑者)であり、またストーリーもその事件の真相に向けて進行していく。この時点で、読者たる私たちは、「殺人劇」=羽霧泉音の死というふうに思い込んでしまうのであるが、用意された寝台列車における密室からのメンバー消失、さらには別のメンバーが殺されてしまうという展開に到るにおいて、私たちは「殺人劇」の意味合いを大きくとらえ間違えていたことに気づくことになる。それが上述の引用における、「ゲームの性質」の「変化」である。ゲームだと思っていた「殺人劇」が、リアルな「殺人」に変化すること――これはその手のミステリーにおける常套的な展開なのだが、その展開をここまで意想外に演出できた作品は珍しい。

「少なくとも今のオレにとっては、三島加深の未発表作を手に入れることがゲームの目的じゃない。推理劇の真相を当て、無事にゲームを終えることだ。これ以上、誰も死なないことだ」

 いくつかの点で説明のつけられないところがあるものの、それを補って余りあるミステリーのゲーム性へのこだわり――さらにはそうした要素を逆手に取るかのような展開は、一読に値するものである。「仮想遊戯」という名のゲームがつれていく、その意想外な結末にぜひとも注目してもらいたい。(2013.06.26)

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