【新潮社】
『博士の愛した数式』

小川洋子著 
 第55回読売文学賞/第1回本屋大賞受賞作



「1−1=0
 美しいと思わないかい?」

 私がクルト・ゲーデルという名の数学者のことを知ったのは、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』というSF短編集を読んだときのことだった。彼が発表したふたつの定理は「不完全性定理」と呼ばれるもので、ある数論の無矛盾性の証明は、それをより厳密に行なおうとすればするほど不完全さを露呈してしまい、またそれゆえに数論の公理はけっして数論の無矛盾性を証明することができない、というものである。これが何を意味するのかと言えば、たとえば「1=2」というおかしな結果に出くわさない、という保証をとりつけることは、人間には誰もできないということであり、数学が常に内部矛盾をかかえた、不完全な世界であるということの証明なのである。

 数学という学問は、国語などとは異なり、そこにはただひとつの、明確な解答が存在するものだと思ってきた。それは一面では真実であり、現実として人間はこれまでの歴史のなかで、さまざまな数式を発見し、そのことを証明してみせた。ゲーデルの不完全性定理は、完全な世界であると思われてきた数学が、けっきょくは「正しいと信じるしかない」学問であることを証明してみせた、という意味で、大きな衝撃であったろうことは、想像に難くない。私たちは神ではなくあくまで人間なのであり、その人間が生み出した数学もまた、人間同様に不完全なのものなのだ。その数式がどれほど美しく、完璧な姿をしていようと、それは幻想にすぎない――そのように考えたとき、私たちははじめて本書『博士の愛した数式』のなかで展開される世界の儚さを理解するのではないだろうか。

 本書の中に書かれているのは、派遣家政婦である「私」と、彼女の10歳になる息子「ルート」、そして派遣先の離れに住んでいる老人「博士」の三人によって密やかに築きあげられていった、ささやかな生活の様子である。「博士」はイギリスのケンブリッジ大学の博士号をとったほどのすぐれた数論専門の大学教授であったが、47歳のときに巻き込まれた交通事故で脳に損傷を受け、それ以来、80分しか記憶を保つことができなくなってしまっていた。つまり、その日どれほど親しくなったとしても、80分経つと、博士にとってその人物は初対面になってしまうのだ。そのため、博士を相手にする者は何度も同じことを繰り返し説明しなければならず、また何度も博士から同じようなことを聞かなければならない羽目に陥ってしまう。

 もっとも、「博士」の記憶に障害が起こるのは、彼が事故に巻き込まれた1975年以降の記憶に限られており、ゆえに喋り方や歩き方さえ忘れてしまうような重度の障害ではないし、1975年以前の記憶はまったくの健全である。そして、「私」と「ルート」がそれまでの家政婦とは異なり、「博士」ときわめて良好な関係を保つことができたのは、彼の持つ膨大な数学の知識に対する彼自身の思いと、「私」や「ルート」の思いが、畏敬の念という意味できわめて似通ったところがあったからだ。

 見てご覧。この素晴らしい一続きの数字の連なりを。220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。――(中略)――神の計らいを受けた絆で結ばれ合った数字なんだ。美しいと思わないかい? 君の誕生日と、僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェーンでつながり合っているなんて

「私」の息子の頭のてっぺんが、ルート記号(√)のように平らであることから「ルート」と呼び、「どんな数字でも別け隔てなくかくまって、ちゃんとした身分を与えてやる」賢い心が詰まっていると褒め称える。マイナス1の平方根といった虚数に対して、「とても遠慮深」く、「目につく所には姿を現さない」数字だと説明する。本当に正しい数論の証明は、一部の隙もなく完全に調和していると説き、「世界の成り立ちは数の言葉によって表現できると信じていた」博士――およそ数学というものが、まるで小説や詩の世界のように美しく、愛すべき存在であるかのように表現されているのは本書の大きな特長である。著者のこうした数学に対する志向性は、 たとえば『凍りついた香り』のなかでも見られるのだが、著者の作品の中で大切なのは、そのいっけん完璧で調和のとれた数学の知識が、人々の関係を強く結びつけるいっぽうで、じつはちょっとしたことで脆くも崩れ去ってしまう、きわめて危うい均衡のうえに成り立っていることを示すためにも使われているという点であろう。

「博士」がことあるごとに「私」の靴のサイズや誕生日、生まれたときの体重などさまざまな数字をたずねてくるのは、それが彼にとっての他人と交流するための、唯一の手段であるからだ。1975年以降の記憶を他人と共有できない「博士」は、その耐え難い事実を覆い隠すために数の話をし、数によって他人との関係を結ぼうとする。いっぽうの「私」や「ルート」も、「博士」にその悲しみを思い出させないために、何度でも彼の話に耳を傾け、また阪神タイガースにはまだ江夏がいて、完全数である背番号28を背負っている、という嘘をつきつづける。お互いがお互いに遠慮しあいながら、密やかに流れていく時間――そこにあるのは、けっして真実の世界ではない。数学という、美しくも幻でしかない約束事によってのみ守られた、脆く儚い世界なのだ。だが、そのガラス細工のような世界の、なんと美しいことだろう。

「物質にも自然現象にも感情にも左右されない、永遠の真実は、目には見えないのだ。数学はその姿を解明し、表現することができる。なにものもそれを邪魔できない」

 クルト・ゲーデルが「不完全性定理」を発表したのは、1931年のこと。当然、「博士」はこの定理のことを知っていたと考えるのが普通だろう。だが、それでもなお、彼は数学が表現する目に見えない「永遠の真実」の形を信じ、愛した。そして、「博士」が「神様の手帳」にすべての真実が記されているのを信じたように、ゲーデルもまた、神の実在を証明するために論理を展開したという意味では、両者は同じものを目指していたのではないかと思わずにはいられない。

 たとえ、なにひとつ記憶を共有することができなくとも、数式は誰が解いても同じ答えを導き出す――それが、ただの「約束事」にすぎないとしても、その約束事によって支えられている大切なものが、この世界にはたしかに存在するのだ。(2004.02.17)

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