【光文社】
『薩摩スチューデント、西へ』

林望著 



 人の心を動かすもの、それまであった自身の考えなり意志なりをあらためさせる力、というものについて、ふと考えることがある。

 よく、柔軟な発想や多様性を許容する思考が大切だ、ということを耳にするが、それは口に出して言うほど容易なことではない。なぜなら人は過去の経験なり、それまで育ってきた環境なりに影響され、またそこから得てきたものをもって、ほかならぬ自分自身の一部を形成していく生き物でもあるからだ。そしてそれは、年月を経ていくにつれてより強固なものとなっていく。それは、一面では揺るがない自我ということができるが、逆にいえば頑固で融通が利かない性格にもなる。人がそれまでの自身の在り方を顧みたうえで、それを別のものへと変えていくというのは、ある意味でそれまでの自分自身を否定することでもある。だからこそ、そうなるためには容易ならざる力が介在する必要があるのだ。

 人は多かれ少なかれ、何かにとらわれて生きている。それは言うなれば、彼らが真実だと信じ込んでいるひとつの世界であるし、またそうした世界がなくては人は生きていけないところがある。そうしたものに対して、何らかの変化をもたらすために必要なものは何なのか――本書『薩摩スチューデント、西へ』は、幕末において秘密裏にイギリスへの渡来を試みた19人の若き薩摩人たちの姿を描いた作品であるが、その多くが日本という国、それも薩摩というごく限られた場所から出たこともない者たちであることを考えたときに、本書の本質は、一種のカルチャーショックが人々の心におよぼす影響、ひとつの価値観が崩れ、あらたな視点で世界をとらえなおすというダイナミズムを描くことにあったと言うことができる。

 畠山はこの壮絶なまでに鉄壁の備えを目の当たりにして、西洋で防衛の城を築くというのはこういうことを言うのだと初めて得心がいった。
 ……なるほど、こいに比ぶっと、薩摩藩が外敵に備えると称して築いたいくつかの砲台などはまさに児戯に等しかもんじゃと言わんとならんなあ。

 鎖国政策下にあった当時の日本において、外国渡航は国禁扱い。露呈すれば死罪はまぬがれないという厳しいものであったが、先の薩英戦争においてイギリス軍隊の力をまざまざと見せつけられた薩摩藩は、およそ攘夷などというものは絵空事にすぎない、これからは欧米の技術をいかに取り入れて国を富ましていくかが肝心という判断に傾きつつあった。今回のイギリス渡来計画は、かつて幕府の遣欧使節にも随行した経験をもつ五代才助の提案のもと、薩摩藩をあげての極秘プロジェクトであり、留学生として選ばれた者たちも、表向きは脱藩者あつかいである。

 こうした厳しい条件のなか、もしかしたら二度と故国には戻ってこられないかもしれない、という覚悟をもって海を渡る決意をした男たちの物語――というと、たとえば八世紀において、仏教普及のため唐に向かった僧たちの運命を書いた井上靖の『天平の甍』といった作品を思い出すが、本書の場合、イギリスへの航海にさいしてはイギリスの貿易会社の全面的なバックアップのもと、蒸気船や鉄道といった当時最先端の技術を駆使した乗り物を用いてのことであり、そういう意味では、薩摩の留学生たちにとっては、その旅の過程そのものが、すでに大きなカルチャーショックをもたらすものでもある。

 じっさい、夜の香港を照らすガス灯や、セイロンのゴウルやアラビアのアデンに築かれた要塞、スエズ運河開通工事という壮大な計画や、ボンベイの上水道、カイロでその存在を知らされた電信の技術、マルタ島で見かけた荘厳な教会や図書館といった施設など、薩摩留学生たちにとってはまさに驚きの連続であり、それまでの認識をあらたにさせられる出来事が、船が寄港するたびにもたらされるという展開が続いていく。一等客船のなかで食するシャーベットやアイスクリームひとつ取ってみても、彼らにとってはその圧倒的な技術力の差を見せつけられることであるのだ。その驚愕の様子を、あくまで多大な資料をもとにしたと思われるリアリティをもって描いていく本書は、たとえば海外での経験豊富な五代のような人物でさえ、部屋に備えつけられた水洗トイレで顔を洗うといったエピソードに代表されるように、そのカルチャーショックのおかしさを基本的にはユーモアを交えて読み進めていく作品である。だが前述したように、本書の本質は、むしろそうしたカルチャーショックが人間にもたらす影響の大きさ、人がその圧倒的な環境の変化において、人がどれだけ従来の考えを改めていけるのか、という点にこそある。

 本書に登場する留学生たちは、かならずしも異国かぶれの者であったり、あるいは開明派に属する者だったりするわけではない。なかには畠山のように攘夷派に属するものもいれば、高見のように別の藩での暗殺事件にかかわって亡命してきた者、あるいは村橋や名越のように、当初予定していた者が藩命にもかかわらずこれを頑なに拒否したがため、急遽留学生として選ばれたといった者たちもおり、けっして一枚岩というわけではない。だが、同じ目的をもって旅をし、同じように船酔いに苦しんだり、カルチャーショックを受けたりといった経験を経て、しだいに彼らの心はひとつの意思のもとにまとまっていくことになる。そしてそれは、自分たちの国をその内側からではなく、あくまで外側から客観的にとらえていくという共通の経験があったからこそのつながりでもある。

 当時の日本は幕末の世。幕府の力が衰退するいっぽう、外国からの開国の圧力が日々強くなっていくという状況であり、言ってみれば時代が変化していくまさに過渡期にあたる。長年の鎖国政策によって世界情勢から取り残された形となる日本人たちにとって、日本という国を客観的にとらえるというのは、よほどの想像力の持ち主でなければ到底およばないことであることは、想像に難くない。そんななか、国内にいてはけっして経験することのできないさまざまな事柄に触れることのできた薩摩留学生たちは、その時代においてはもっとも恵まれた日本人であると言うことができる。そしてその経験は、当人のそれまでの思考に大きな影響をおよぼすのに充分なものでもあった。

 幕末は時代小説のなかでもとくに人気のある時代であるが、こうした留学生たちのひそかな試み――けっして容易とは言えない目的のために、人知れず尽力した者たちのことが、物語という形とはいえ、現代を生きる私たちの目に触れることができたのは、時代の閉塞感からなかなか抜け出すことのできない私たちにとって、おおいなる行幸となるに違いない。(2009.03.28)

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