【小学館】
『ダレン・シャン』
−奇怪なサーカス−

darren-shan著/橋本恵訳 

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 世界のあらゆる地方で生み出されてきた想像上の怪物や妖怪のなかでも、おそらくドラゴンや人魚などと同じくらい認知度が高く、また今もなお大勢の人々を魅了しつづける存在として、バンパイア、吸血鬼と呼ばれる異形の種族を挙げないわけにはいなかいだろう。

 吸血鬼とは文字通り、人の生き血をすする妖怪だ。血を吸われた人間は徐々に衰弱し、やがては死を迎える。だが、死んだ後にその人間は、同じ吸血鬼として復活し、今度は人々を襲う側にまわるようになる――ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』以降、東欧を発祥の地とするこうした吸血鬼像が、日本における菊地秀行の『バンパイアハンターD』シリーズや、小野不由美の『屍鬼』をはじめとして、映画や漫画やゲームなど数多くの作品で、マイナーチェンジを繰り返しつつ登場しつづけている現実を見たとき、いったいバンパイアの持つどのような要素が、こうまで人々を惹きつけるのだろうか、ということを考えたくなるのは当然のことだろう。

 そして今、ブラム・ストーカーと同じ出身地であるアイルランドから、ダレン・シャンなる人物が、自分の名前をそのままタイトルにした作品を発表し、今もなお巻を進めている。その第1巻目が本書『ダレン・シャン−奇怪なサーカス−』である。

 本書では、それまでごく普通の少年だった主人公のダレン・シャンが、親友であるスティーブ・レナードを助けるため、バンパイアであるラーテン・クレプスリーの手下になるという契約をかわしてしまう、というもので、いわば半バンパイアというダークヒーローとしての主人公ダレン・シャンが、どのようにして生まれたかを描いた作品だ。そして本書以降の作品が、半バンパイアとしてのダレン・シャンの活躍を書くことになるだろうと予想できる以上、本書は今後続くことになる「ダレン・シャン」シリーズの導入部にすぎない、とも言える。

 そして、本シリーズにおけるバンパイアの位置づけがどのようなものであるか、ということを考えるためには、あくまで導入部でしかない本書だけでなく、シリーズを通して読んでいく必要があるだろう。著者はけっしてバンパイアを、『吸血鬼ドラキュラ』のような人類の天敵、滅ぼすべき「悪」だと考えているわけではない。そこまではわかるが、この第1巻では、バンパイアの位置づけはまだ好奇心と驚異の対象――あくまで人間の目から見た、異形のものとしてのバンパイア像しか浮かび上がってこないからだ。そういう意味で、ダレン・シャンとバンパイアであるクレプスリーとの出会いが、異形の見世物サーカスである「シルク・ド・フリーク」の中であったのは、一種象徴的である。

「おいおい、他人の話をなんでもかんでも、素直に信じるもんじゃあない。確かに我が輩の仲間は、少々食の好みが変わっとる。しかしなにも血を飲むからといって、悪魔とはかぎらんだろうが。じゃあなにか、吸血コウモリは、牛や馬の血を吸うから悪魔か、えっ?」

「こわいもの見たさ」という感情がある。分別のある大人ならともかく、好奇心の塊である子どもたちにとって、もし本当にバンパイアが存在するのだとしたら、その感情は押さえがたいまでに膨らむものではないだろうか。もちろん、最初にダレン・シャンが「シルク・ド・フリーク」を観に行ったとき、曲芸クモを操るそのフリークがバンパイアだとはわからなかったわけだが、その後、バンパイアと知ってなお、クレプスリーから曲芸クモを盗もうとたくらんでしまうダレン・シャンにとって、その時点ではバンパイアという存在は、子ども特有の好奇心と驚異の対象でしかなかったのだ。

 本シリーズの非常に興味深い点は、ダレン・シャンがその子ども特有の好奇心と驚異の対象だったバンパイアに、半分だけなってしまった、ということだ。この半分だけ、というのが大きなキーで、言うなれば人間でもない、かといって完全なバンパイアでもない中途半端な立場に置かれた彼が、半バンパイアであるがゆえのさまざまな苦難や試練に立ち向かわなければならなくなる、というのがその後の展開なのだが、その試練が半端でないのだ。たとえば2巻における、人間の血を吸わなければ死んでしまう、という試練、3巻におけるバンパニーズとの戦い、それ以降の巻のバンパイア・マウンテンでの試練、どれをとっても子どもであり、また人間としての気持ちを捨て切ることのできないでいるダレン・シャンにはあまりに過酷なものばかりであり、だからこそ、その試練に健気にも立ち向かおうとする彼の姿は、読者の共感を呼ぶことになる。

 そして、これも巻が進んでいくにつれてわかることであるが、ダレン・シャンを半バンパイアにしたクレプスリーは、けっして極悪非道な男ではない。血を吸うといっても、吸われた相手を殺してしまうことは絶対にしないし、バンパイア一族からの人望も厚い。また、子どもとはいえ、いや子どもであるからこそ、手下にしたダレン・シャンのことを気遣い、大切にしたいとも思っているし、彼との約束を律儀に守るだけの思慮分別も持ち合わせている。本書におけるダレン・シャンの、クレプスリーに対する気持ちはといえば、自分を無理やり半バンパイアにして、それまであったあたたかい家族との生活を永遠に奪ってしまった張本人であり、憎むべき存在であったが、巻が進むにつれて、不器用ではあるがバンパイアとして誠実であろうとするクレプスリーに対して、少しずつその感情を変化させていく。ふたりの関係がどのように変化していくのか、ということも、「ダレン・シャン」シリーズの最大の関心事だと言えるだろう。

 そう、クレプスリーとダレン・シャンは、もともとどこか似たところがあるのだ。悪意ある人間を仲間にすることができなかったクレプスリーと、自分可愛さに大の親友を見殺しにすることができなかったダレン・シャンと。バンパイアと、半バンパイアになったばかりの人間とがよく似ている、というのは何とも不思議な感じがするが、おそらく著者にとって、誠実であること、約束を守るということにおいては、少なくとも人間であろうとバンパイアであろうと変わりないものだ、という意識を持っているに違いない。いや、むしろ人間よりも強い力を持ち、人間よりもはるかに長生きするがゆえに、より精神的な高みを極めようとする――そんな真に高潔なバンパイア一族の姿が、シリーズを通して読んでいくことで徐々に見えてくる。

 人間の血を吸う、という行為は、人間の側からすればたしかに「悪」であるし、また『吸血鬼ドラキュラ』の、美女の血を求める、という点ではエロティックな要素も備えていたバンパイア――著者はダレン・シャンという半バンパイアを通じて、それまであった「悪」としてのバンパイア像を間違いなくくつがえそうとしている。この「ダレン・シャン」シリーズが、最終的にダレン・シャンをどうするつもりなのか、そしてどのようなバンパイア像を描こうとしているのか、今後の展開に大いに注目したい。(2002.11.08)

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