【文藝春秋】
『午前三時のルースター』

垣根涼介著 
第17回サントリーミステリー大賞受賞作 

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 今、あなたに問いたい。あなたの心の中に、満たされない思いはあるだろうか。

 人は多かれ少なかれ、何らかのしがらみを抱えて生きている。会社や学校といった組織、友人や恋人との人間関係、国籍、肌の色、生まれ育ったときの環境、そして血筋――社会という集団の中で生活していくのに避けて通ることのできないこれらのしがらみは、本人が意識する以上にその人の奥深いところにまで根を張り、無限にあるはずの選択肢を奪い取ってゆく。なぜなら、繰り返されていく、変わらぬ日々――今日と同じような日が、明日も、明後日も、その次も続いていくという安寧の時間は、衣食住に困るようなことがなければ、案外容易にその人の体になじんでしまうものだからだ。

 そういった日常に埋没し、まぎれもない自分自身の気持ちを見失っていく生活に、あなたは満足しているのだろうか。あるいは、満足しているふりをしているだけであって、心のどこかでは「このままでは腑抜けになってしまう」と悲鳴をあげているのだろうか。あるいは――そのような心の悲鳴すら、聞くことができなくなってしまっているのだろうか。

 本書『午前三時のルースター』に登場する、旅行代理店勤務の長瀬は、そのお得意先であるジュエリー・ナカニシの社長、中西栄吉からある依頼を受ける。孫の慎一郎をベトナムのサイゴン(現ホー・チ・ミン)に連れていってほしい――その裏には四年前、慎一郎の父で、栄吉にとっては娘婿となる男が、現地法人設立のためサイゴンの工場視察に行ったまま、行方不明になってしまったという事情があった。
 警察の捜査や、栄吉の個人的な調査をもってしても、彼がどうして消えたのか、そもそも生きているのか死んでいるのかもまったくわからない状況だったが、慎一郎には父が生きているという確信があった。ベトナムを舞台にしたドキュメンタリー番組のなかに、チラリと映っていた、見間違えようもない父の姿――しかも、その番組製作にあたった人たちの話によると、例の場面の撮影を終えた直後に、謎の組織による襲撃を受け、危うく命を落とすところだったという。

 慎一郎の父は本当に生きているのか、生きているのなら、なぜ四年間も連絡をよこさないのか、そして父となんらかの関係があるらしい組織とは何なのか――母の再婚が近づくなか、なんとか父を見つけ出し、その真意を聞き出し、できるなら連れ戻したいと願っている慎一郎と、なかば強引についてきてしまった源内とともに、長瀬は一路、サイゴンを目指す……。

 本書の全体的な印象を一言で説明するなら、もの静か、ということになるのだろうか。まるで、すべてが予定調和の中で進んでいくかのような、不思議に落ち着いた雰囲気が、本書の中には確かに存在する。もっとも、物語の内容はけっしてもの静かなものではない。サイゴン・タムソンニャット空港に着いたそうそう、長瀬が用意していたホテルや現地ガイド、その他もろもろの予約が何者かの手によってキャンセルされていたり、自分たちの後を執拗につけ回す者たちの姿を見かけたりするといった、何か不穏な空気を察知するのに始まって、ときには正体不明の組織との息詰まるカーチェイスを展開したり、組織どおしの抗争に巻き込まれたりと、むしろ動きのあるハードな場面が多かったりするのだが、それでもなお物語全体の雰囲気をもの静かな、と評するのは、本書の主要人物である長瀬と慎一郎少年の性格に起因するところが大きい。

 相手の表情や動きを敏感に察知し、ちょっとした動作から相手の感情を読み取ってしまう長瀬の、無意識のうちに相手が自分にとって都合の良い人間かどうかを判断せずにはいられない自分に対する憂鬱、そして、生まれた瞬間から会社の跡取になることを決定され、跡取として周囲の人たちにとって都合の良い人間を演じつづけてきた結果、気づいたときにはそこから逃げ出す自由すらなくしてしまった慎一郎の、「ぼくはもう終わっている人間ですよ」とさらりと言ってのける自分に対する憂鬱――どこか諦念にも似た落ち着いた雰囲気と、冷静な洞察力で父の謎を少しずつ解き明かしていく彼らの影響力は、おそらく著者の予想以上に大きなものとして物語を覆っている。そして、そんな彼らの様子をまのあたりにするにつれて、私は思わずにはいられないのだ。長瀬も慎一郎も、心のどこかでは気づいているに違いない、と。

 父親は、おそらく帰っては来ない。父親を探す今回の旅は、けっきょく何ひとつ生み出すことのない、失望の旅になるだろう、ということを。

「新しい生き方のために、過去を放り出し、自ら死ぬことを選んだ人間の墓を暴いたところでどうなる? 中には前の世界で生きていた時の残骸が残っているだけの話だ。以前とは違ってしまった者を、元の世界に連れ戻すことなど、できんよ」

 だが、それでもその「失望の旅」をしなければならなかった慎一郎は何を思い、何を感じることになるのか――父親を探すという旅の真の目的を、家族の誰にも打ち明けることができず、将来も決められたただ一本の道を行くしかない少年に、突然目の前から消えてしまった父親は、どんなふうに映ったのだろうか。本書にはこんな比較があらゆるところに存在している。様々なしがらみに身動きのとれない少年と、しがらみをすべて断ち切ってしまった父。金はたくさんありながらけっして日々の生活が楽しいわけではなく、心のどこかに憂鬱を抱える長瀬や慎一郎と、いろいろと大変な思いをしながらも、それでも自分の力で道を切り開いて生きている娼婦のメイやタクシー運転手のビエン。同じような境遇を体験しながら、性格のまったく異なる慎一郎と源内。そして、重苦しい閉塞観に覆われている経済大国日本と、混乱の極みにありながらあらゆる可能性を秘めている貧困国のベトナム……。

 宝石屋の跡取息子は、この旅のあいだだけは、少なくとも跡取息子ではなく、父親を探す健気な少年となる。満たされない思いを抱えているのは、あるいは慎一郎本人なのかもしれない、と私は思う。そして、その思いをぶつけるために、少年は父と会う。

 はたして、あなたの心の中に、満たされない思いはあるだろうか。(2000.10.13)

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