【新潮社】
『リヴィエラを撃て』

高村薫著 
第46回日本推理作家協会賞・第11回日本冒険小説協会大賞受賞作 

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 たとえば、戦後日本における国民的英雄のひとりとして、外国人レスラーを空手チョップで次々となぎ倒してきた力道山がいるが、昭和38年12月に起こった力道山の刺殺事件は、じつはGHQによる陰謀が絡んでいたのではないか、という非常に興味深い一説がある。この説が真実であるかどうかはともかくとして、世の中には、明らかに矛盾点をはらんでいるにもかかわらず、徹底的な調査のなされないまま、形だけ決着がついてしまったり、あるいは未解決のまま迷宮入りしてしまうような事件がけっこう多い、という事実に、あなたはどのような感想をもたれるだろうか。

 国際政治の裏で行なわれていると言われている、血なまぐさい陰謀や裏切り、多大な利権をめぐる権謀術策の数々――それらのほとんどが、私たちにとっては極めて複雑怪奇で、およそ現実的なものとして想像をはたらかせることの難しい出来事であることは、たとえば北朝鮮による一連の拉致被害者の問題が、今もなお国民の納得のいく解決を見出せずにいる、という事実を考えれば明らかだろう。人を殺せば殺人罪、人を無理やり連れ去れば誘拐罪が適用される。これが今の法治国家における単純明快な論理であるはずなのに、そこに「国際政治」という怪物がからんだとたん、単純であるはずの事件が一気に深い闇のなかへと紛れ込んでしまう。

 国民を守るべき一国の利益と信じられるもののために、個人の意思はおろか、その命までもがいともあっさりと奪われてしまうという、矛盾がさらなる矛盾を呼ぶ国際的な諜報活動を題材にした、いわゆる「スパイ小説」は、東西の冷戦が終結した今日において、以前ほどの隆盛を誇っていないというのが現状であるが、本書『リヴィエラを撃て』は、《リヴィエラ》というコードネームをもつ、得体の知れない人物による過去の暗躍と、そのコードネームに絡みとられてしまったさまざまな組織、さまざまな人物の、けっして歴史の表に出ることのない静かな戦いとその末路を書き切ることによって、まさに良質の大河ドラマにも匹敵する壮大なスケールの物語として完成させることに成功した作品だと言えるだろう。

 1992年1月、首都高速のトンネル内で、ひとりの外国人の遺体が発見された。彼の名はジャック・モーガン。彼が《リヴィエラ》なる人物に殺される、という110番通報があってから30時間後のことだった。電話の主で、彼と同居していたと思われる東洋系の女性も、自宅のアパートで射殺されており、そのアパートからは世界的なピアニストであるノーマン・シンクレアのLPが多数発見された。事件を担当した警視庁外事1課の手島修三は、何らかの理由でジャックが《リヴィエラ》を追って東京までやってきたのではないかと推測するが、事件はけっきょく被害者の身元が確認できないまま未決箱行きになった。しかし、この一組の男女の死の背景には、露見すれば間違いなく国際政治を大きく揺り動かすことになる重大な秘密をめぐって、CIA、MI5(SIS)、MI6(セキュリティ・サービス)といった情報部による、恐ろしく複雑な諜報活動が繰り広げられていた……。

 元IRAのテロリストだったというジャック・モーガンは、なぜ殺されたのか、彼が《リヴィエラ》を追っていたのはなぜか、そもそも《リヴィエラ》とは何なのか、そしてそのコードネームが関与しているという、重大な機密とは? 何もかもが謎だらけのまま、舞台が一気に14年前のアイルランドへと跳ぶ本書が扱っている題材は、文化大革命当時の中国の事情や日中の国交正常化、さらに1984年にはすでに合意に達していたとされる香港返還という歴史的事実にまつわる、アメリカやイギリス政府の外交に目を向けた空前のスケールを誇るものであり、その国際機密に迫る最大のキーである《リヴィエラ》の謎を追うというダイナミズムと、国際諜報機関をはじめとするさまざまな設定のなかに垣間見える、圧倒的な精緻さ、そのリアリティーは、読者を惹きつけるのに充分な魅力を備えたものであるが、その以上に本書が力を入れているのは、そうした国家間の思惑に翻弄されていく人々が、あくまで個人の意思として何を考え、どういった行動をとったかという、言うなれば記号としてではなく、まぎれもない人間としての生き様であることは疑いようがないだろう。

 そういう意味で、本書に登場する人物の大半が、どこかの国の情報部であったり、あるいは公務員という国家に直接仕えている身分であるなか、ジャック・モーガンだけがあくまで組織の一員ではなく、世界にただひとりしかいない「個」でありつづけた、という事実は、この物語構成において非常に重要である。なぜなら本書の本質は、国益という得体の知れないもののために、ときには個人を名もなき記号として葬り去ってしまうことを躊躇わない巨大な国家権力に対する、個人としての人間の戦いを描くという一点にこそあるからだ。
 だからこそ、本書の冒頭において国籍もわからないまま、文字どおり未決箱へと葬られてしまったジャック・モーガンは、その人間性を回復するための過去を精密に描き出される必要があった。《リヴィエラ》の策謀によって、中国から亡命してきた隣人の中国人を暗殺するという過ちを犯したあげく、自身も消されてしまったIRAの父親をもつジャック、逃亡先のイギリスで、唯一の心の拠り所であったノーマン・シンクレアが、その《リヴィエラ》をめぐる陰謀に深くかかわる人物であることを知り、結果としてIRAへと身を投じ、テロリストとしてその手を他人の血で染めてきたジャック、父が殺してしまった中国人の娘であるウー・リーアンを愛したジャック、そしてCIAに所属しながら、《リヴィエラ》にまつわる機密を暴くことにすべてをかけた《伝書鳩》ことケリー・マッカンとともに、自分の人生を狂わせることになった《リヴィエラ》の正体を知るために執念を燃やしたジャック――本書を読んでいくと、まるでジャックのそんな「個」としての激しい生き方に感化されるかのように、彼とかかわることになるさまざまな人物が、これまでの組織に忠実な歯車であることから、あくまで「個」としての生き方に目覚め、自分の考えで《リヴィエラ》の秘密へと立ち向かっていこうとするかのように見えてくる。そしてその考えがけっして思い違いでないことを、読者はジャックが死んだあとに展開する物語のなかで知ることになるだろう。

 本書は国際政治を舞台とした「スパイ小説」である以前に、ジャックという個人の物語であり、その遺志を受け継いだ者たちの物語であるのだ。そして、国家間の複雑な思惑の絡み合う諜報戦やその秘密のスケールが大きなものであればあるほど、その国家の思惑と対立することになる、個としての登場人物たちの思惑や葛藤、苦悩、そして暗い情念もまた、ひときわ大きな存在として際立つことになる。その対比の構造をあらかじめ計算にいれたうえで、この壮大なスケールの物語を構築したのであれば、それはもう見事というほかにない。

「僕は小さいころから、ときどき階段の夢を見る……。人はみな、生まれたときに自分の階段を上りはじめるんだ。僕の階段は十二で傾いて、十五で大穴が開いた。穴を開けた奴は、ずっと先の見えないところを上り続けている。――(中略)――僕の階段には《リヴィエラ》がいた。アルスターにたまたまブリットがいたように、《リヴィエラ》がいた。それだけだ。いずれにしろ長い階段のどこかで、僕は必ず《リヴィエラ》に会うよ」

 私はこれまで多くの本を読み、ここでこうして紹介してきたが、本書ほどその内容を語るのに言葉が足りない、と思わせたものはないし、そのすべてをうまく要約するだけの技量も持ち合わせていないことを認める。とにかく、ぜひ最後まで読んでほしい。そうするだけの価値はある作品である。(2003.02.18)

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