【偕成社】
『りかさん』

梨木香歩著 



 人はなぜ、人形などというものを作るようになったのだろう、とふと思うことがある。人の姿に似せてつくられながら、しかしけっして人ではありえない、人の形をしたもの――私は男で、人形とはほとんど無縁のまま今に到っているが、たとえば日本人ならまっさきに思い出すであろう雛人形や五月人形などには、その家の子供たちの健やかな成長を願う大人たちの気持ちがこめられているという。

 日本には古来から八百万の神々の信仰がある。それは、この世に存在するありとあらゆるもの――それこそお米の一粒一粒、針の一本一本にいたるまで神や精霊のたぐいが宿っていて、粗末に扱ったり、年を経て供養してあげなかったりすると妖怪になって人に悪さをするようになる、というものだ。食べ物や生活用具でさえ心が宿るというのであれば、人の姿に似せてつくられた人形には、いったいどれほどの想いがこめられているのであろうか。それでなくても女の子にとっての人形は、たんなる遊びの道具であるだけでなく、ときにはひとりの人間であるかのように話しかけたり、食事の用意をしたり、着替えをさせたり髪をくしけずったりして、知らず知らず自分の感情をそこに深く込めるものである。

「――人形のほんとうの使命は生きている人間の、強すぎる気持ちをとんとん整理してあげることにある。木々の葉っぱが夜の空気を露にかえすようにね」

 本書『りかさん』には、そんな人々の体からはみでてしまった想いを宿した人形たちが、たくさん登場する。そしてそれゆえに、本書の世界では、人形があたりまえのように感情を持ち、おしゃべりし、ときには人形の体から抜け出してあちこち走りまわったりさえする。もちろん、普通の人にはそれら人形たちの声は聞こえないし、人形はあくまで動くことのない人形でしかない。だが、りかさんという名前の古い市松人形とともに生活するようになったようこには、りかさんを通して人形たちの世界を行き来することができるようになっていたのだ。

 そもそもりかさんは、ようこの祖母が雛祭りに送ってきた人形だった。「リカちゃん人形が欲しい」と頼んだようこの言葉をどのように聞き取ったのか、祖母がプレゼントしてくれたのは同じリカちゃんでも、ひらがなの、市松人形の「りかさん」だった。ようこは最初こそがっかりするものの、りかさんの、他の人形とはどこか違った雰囲気を敏感に感じ取り、りかさんといっしょについてきた「説明書」のとおり、りかさんと接するようになる。朝の食事の用意、着替え、そして夜は自分の隣に寝かせること――ちょっとしたおままごとのようにりかさんに話しかけていたようこが、はじめてりかさんの言葉を聞いたとき、ようこの世界は一気に大きく膨れ上がるのである。そう、人間ばかりでなく、人形や自然、その他いろいろなものの雰囲気を感じ取り、そこに自分を違和感なく融け込ませ、慈しんでしまう、一風変わった、しかし心やさしく誰からも慕われる『からくりからくさ』の蓉子――その前身である子供のようこが、りかさんとともに、人形たちが引き起こすちょっとした事件を解決していく、というのが本書に書かれた物語である。

 ようこがりかさんの力を借りて垣間見る人形たちの世界は、場合によると人間たちの世界以上に多様で、そしてにぎやかだ。登場する人形たちも雛人形をはじめ、土人形、十二支の芥子人形、ビスクドール、紙雛の姉様人形など、じつに多彩な顔ぶれであり、そしてそれぞれが、持ち主の心から溢れ出た想いを受けとり、それぞれの個性と役割を果たしているさまは、奇しくもようこが感じたように、幽霊やホラーなどと結びつきがちな人形たちの存在を「変わった演し物をしている劇場」の楽しい登場人物として昇華させることに成功していると言えるだろう。

 そういう意味で、本書のタイトルに市松人形の名前をもってきたことからも解るとおり、本書は人形たちによる、人形たちの物語なのだ。そして私たち読者もまた、りかさんとすっかりなじんでしまったようこの目を通して、もうひとつの世界を見ていることに気づくことになる。

 また、前作『からくりからくさ』を読んだ人であれば、本書のなかに前作とのつながりがいくつかあることを発見するだろう。成長した蓉子が植物を使った染色を行なうようになった経緯や、彼女がのちに関わることになる人たちとの、伏線とも言うべきエピソードなどが盛り込まれている本書は、複雑に絡み合っていた前作の物語を解きほぐす役割をも果たしてくれる。そう、著者が得意としている、小さな因果を少しずつよりあわせ、ひとつの壮大な物語という名の織物をつくってしまう技は、本書においても健在なのだ。

 人形の声を聞く、人形が宿した心を感じ取る――それは一見すると非合理的でいかにも乙女チックな幻想のように思われてしまいがちだが、りかさんとようこは、人形たちを相手にしながら、じつはその人形の背後にある人々の歴史、そのとき感じた強い感情と向き合い、対話しているにすぎない。人と人とのかかわりあいは個性のぶつかりあいであるがゆえに、ときにお互いを傷つけあい、その気はないのに相手を不幸にしてしまうことがあるものだ。だが、物言わぬ人形は、ただ相手の想いを静かに受けとめ、自身の内に蓄えておくだけである。ようこの祖母は「人形遊びをしないで大きくなった女の子は、疳が強すぎて自分でも大変」と語るが、たしかに自分の気持ち、自分の想い、自分の感情をどこにも吐き出すことができず、自分だけで持ちつづけていくのは、つらいことである。強すぎる想いというのは、誰かがいくらかでも背負ってあげるべきものなのだろう。だが、心が硬くなりすぎてしまっては、それも容易ではない。

 弱みを人に握られまいという心、強すぎるプライド――誰もがいくらかは持っているそうした勝気な心は、そのままその想いを宿した人形たちにも伝播していく。冠という肩書きを無くしたままの雄雛、ようこの家に居座ってしまった背守り、かたく口を閉ざしたままの汐汲、そしてアビゲイル――頑なだったそれら人形の、そしてその持ち主であった人の心を、時を越えてりかさんとようこの心がそっと包み込み、癒していく様子は、理屈を抜きにして深い感銘を読者に与えてくれることだろう。そしてその役目を果たすのは、人形でありながら人間以上の心を宿したりかさんと、人間でありながらその垣根を軽々と飛び越えてしまうようこの、ふたりでなければならないのだ。

 不思議な不思議な力を秘めた市松人形のりかさんと、そんなりかさんと心を通わせるようことの、今後長くつづいていくことになる壮大な物語の、本書はほんの一幕にすぎない。だが、同時にすべてのはじまりでもある本書を、ぜひとも楽しんでもらいたい。(2000.11.06)

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