【幻冬舎】
『リセット・ボタン』

伊藤たかみ著 



 自分が何年ものあいだ行なってきた努力がまったく実らない、すべて無駄になってしまった、と思い込んでしまった時期がある。今にして思えば若気の至りとも言うべき笑い話のタネのひとつであり、無駄だと思っていたことも、今の自分をつくるうえでちゃんと役に立っていることを理解している。だが、ひとつの夢を自分の手で握りつぶし、それまでの自分を全否定したときに湧きあがった感情は、今でもはっきりと覚えている。とてつもない無力感――この先、おそらく何十年とつづくであろう自分の人生という長い長い暇な時間を、いったいどうやって潰していけばいいのだろう、という、考えただけでうんざりするような感情を、私はそのとき確かに感じたのである。

 今の世の中には、当時の私が抱いていたような、どうしようもない閉塞感があちこちで渦巻いている。鶴見済の『完全自殺マニュアル』が五十万部というベストセラーになり、インターネット上で青酸カリを販売し、自殺をうながすという事件が起こる現実をまのあたりにして、いったい、いつから私たちは未来を語ることをやめてしまったのだろうか、なぜ、何をやっても変わらない、変えられないという風潮が我が物顔でのさばっているのだろうか、と思わずにはいられない。自らの命を絶つことが良いことだとは思わないし、また自殺をする人の気持ちがわかると言うつもりもないが、「自分の未来が、頑張って生きていくのに見合うほど楽しいとは思えません」と事も無げに言ってのける人に対して、「そんなことはない、未来は希望に溢れているよ」と自信をもって言うことが、誰にもできなくなってきている――それがおそらく、私たちの生きる世界の姿なのだろう。

 かつて、自分の恋人だった女性と同姓同名の名前をネット上で見つけたとしたら、あなたはいったいどうするだろうか? 本書『リセット・ボタン』に登場する小原東は、まさにそのような状況に置かれてしまった者のひとりだった。しかも、そこは自殺志願者が集まるホームページの掲示板で、さらに彼女は自殺することを希望していた。現在大学を留年中、親からの仕送りも止められてしまったが、といってアルバイトや自分のやりたい事に精を出すわけでもなく、ときどきインターネットに接続してネットの世界を徘徊する以外はただじっと時間をやりすごしているという、いわゆる無気力青年だった東は、彼女との接点を求めて、その掲示板に書きこみをはじめる。以前、自分の前から何も言わずに姿を消し、大学からも離れていってしまった恋人――萩原ミサ。だが、じっさいに会ってみると、やはりと言うべきか、新しい萩原ミサは、以前の恋人とはまったくの別人であった。

「どこかで拾った名前。ただの記号よ。別に何だってよかったの」――萩原ミサと名乗る女性は、生まれてから今までの記憶を遺書にしたためて死ぬつもりだと語る。彼女がなぜ死のうとしているのか、いや、そもそも本当に死ぬつもりなのか、本書にははっきりしたことは書かれていないし、もちろん東にもわからない。わからないが、しかし東は、ミサが集中して遺書を書くための場所として自分の部屋を提供し、その代わり家賃と二人ぶんの食費を支払ってもらうという、奇妙な提案を受け入れることになる。こうしてふたりの、期限つきの共同生活がはじまるのだが……。

 いつか、誰かがこんな小説を書くのではないか、と思ってはいたが、著者が本書を書き上げたのは、まさに時代の要請であったと言うことができるだろう。実際、自殺志願者たちが集うホームページは今も無数に存在し、たいした理由もないのに(あるいは理由にできないような理由のために)死を望む人も相当な数にのぼると言われている。現代の象徴でもあるインターネット――部屋にいながらにして世界じゅうとつながることができる代償として、時間や空間の感覚、さらには人間らしい感情や想像力までも希薄になっていきそうなネット社会、そしてその中で生きる若者たちの等身大の姿を描こうとしている本書には、人の生死という、非常に深いものをテーマにしていながら、けっして重苦しい雰囲気はなく、かえって淡々と事実だけを追っているような、乾いた印象を受ける。

 東もまた、はじめは「彼女が長く生きれば、それだけ飢えずにすむ」という、きわめて現実的な考えから彼女の提案に乗った。だが、ネットの掲示板やメールで文字だけをやりとりすることと、実際に会って会話を交わすこととは当然違うわけで、いつしか東は、理屈抜きで、ミサに生きていてもらいたいと望んでいる自分の心に気がつくことになる。

 自分から命を絶つ、ということ――人を死に向かわせるほどの力の源は、いったいどこから生まれてくるのだろう、とふと考える。それはあるいは、人々が発する言葉から生まれてくるのではないだろうか。

 無責任な言葉から始まる憎しみ。小さな無責任が連鎖して作る理解不能なもの。要するに、人の輪の裂け目を連想してしまった。そしてすべての悪い事件は、決まってこの裂け目から始まる。――(中略)――無責任な言葉は、今でも存在しているのだ。
 たとえばネット上になら、それこそ星の数ほど存在している。

 私は実際に、自殺志願者のホームページに行ったことはない。というよりも怖くて行けない、というのが正確だ。そこには本当に死にたいと思っている人の声があるのかもしれないし、ただふざけ半分で書き込まれた声もあるかもしれない。文字だけですべてを判断するのは難しい。どの言葉が真実なのかわからないまま、多くの言葉の発する力に引きずられ、いつしか本当に死にたくなるかもしれないと考える自分が正直、恐ろしいのだ。

 いつしかミサに生きることを願うようになった東は、はたしてミサの自殺を思いとどまらせることができるのか? そして、すべてが終わるとき、彼女が書き込みをした掲示板で何が起こるのか? おそらく、本書の物語が長く心に残ることはあるまい、という予感がする。いずれ、時間の経過とともに、泡となって消えてしまうことになるだろう。だが、私たちの生きる世の中は、あるいはそんな泡のような物語の積み重ねでしかないのかもしれない。あるいは、ボタン一発で「リセット」できるような程度のものなのかもしれない。それを否定できる人は、おそらく誰もいまい。(2000.08.09)

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