【岩波書店】
『くらやみ城の冒険』

マージェリー・シャープ著/渡辺茂男訳 



 以前紹介したスティーヴン・キングの『グリーン・マイル』では、一匹のネズミが物語の進行上、重要な役割をはたすことになる。死刑囚のひとりによって「ミスター・ジングルズ」と名づけられたそのネズミは、ただのネズミとは思えないほどの知性と愛嬌をふりまいて、死刑囚の心の慰めとなっていくのだが、監獄や船といった閉鎖空間、あるいは地下の薄暗いところなどで、ふと気がつくと人間の視界を横切っていくネズミたち――なぜか彼らは、人が大勢いる地上の広場とかいった場所ではとんとお目にかかれないのに、ふだん人が出入りすることのないような場所にかぎってその姿を現わすのだが、もしそのことに疑問をいだいた方がいらっしゃるのであれば、「ミス・ビアンカシリーズ」と銘打たれたシリーズ第一弾である、本書『くらやみ城の冒険』を読むことをお勧めする。そこには、「囚人友の会」という世界的なネズミの会があり、ネズミたちは囚人たちの心をおだやかにするためにあえてそうした場所に赴き、「自尊心の高いねずみなら考えもしないような、ばかげた悪ふざけのお相手をつとめ」ることに精を出してくれているのだ。

 さて、今回その「囚人友の会」の総会で議題に出されたのは、くらやみ城と呼ばれる監獄のこと。流れのはげしい川の崖っぷちに建てられ、崖のなかを掘りぬいたところに地下牢を置いているその監獄は、たとえ「囚人友の会」のネズミをもってしても、囚人のところにたどり着くことさえ困難な難攻不落の場所として有名なのだが、よりによってそこに囚われている詩人を救い出すというミッションが決行されることになる。詩人はノルウェー人であり、ミッション決行のためには、通訳としてノルウェー出身のネズミが不可欠だ。そして、そのノルウェーのネズミに「囚人友の会」のミッションを伝える者として挙がってきたのが、ミス・ビアンカというネズミである。

 ミス・ビアンカは大使の息子に飼われている貴婦人のネズミで、その大使が近々転勤でノルウェーに発つという情報も伝わっている。つまり、ノルウェーまでもっとも早く移動できる唯一の可能性が、ミス・ビアンカにはあるわけだが、本書の面白さの第一にあるのは、彼女をはじめとするネズミたちのキャラクター性だ。なかでもミス・ビアンカについては、なんといっても貴婦人ネズミである。教養は高いけれど気どり屋で、おいしい食べ物を与えられることがあたり前の生活をしてきた彼女は、ネズミたちにとっては天敵であるはずのネコに対して、何の怖れもいだいていないという、まったくの浮世離れしたところがあるのだが、そんな世間知らずのミス・ビアンカが成りゆきとはいえ、ノルウェーまで赴いてミッションに適任のネズミを探してくるだけでなく、自らもミッションにくわわって、くらやみ城までついていってしまうのだから、なんともいえない破天荒ぶりである。

 ある意味でワイルドカード的な存在であるミス・ビアンカを中心に、彼女のお供をすることになる二匹のネズミ――バーナードと、ノルウェーからやってきたニルス――たちが、はたして監獄から詩人を脱出させるという、よくよく考えると人間がやっても困難だと思われる難しいミッションを、いかにしてクリアしていくのかが本書の醍醐味のひとつであるが、何より関心させられるのは、物語の中心人物がネズミであるという視点を常に意識していながらも、物語の進行においてミス・ビアンカやバーナードといったネズミとしての個性が、それぞれにもつ性格や特技を最大限生かせるような工夫がなされている、という点だ。

 たとえば、彼らはネズミであるがゆえに、その小柄な体格を生かして人目につくことなく移動し、人間を観察したり、移動手段である馬車のなかに潜り込んだりする。ネズミという視点から見たとき、彼らにとってもっとも潜り込みやすい乗り物こそが最適の移動手段ということになり、それゆえに彼らは、自動車が増えつつある現状を憂いていたりするのだが、そうした妙なリアリティーもさることながら、キャラクターの独自性という意味でもっとも顕著なのが、他ならぬミス・ビアンカである。バーナードやニルスはたしかに勇敢ではあるが、冒険においては力押しだけではどうにもできない場面はえてしてあるものだ。そんな窮地を切り抜けていくのに、彼女の機知がなによりものをいうことになる。本書は児童書ではあるが、ひとつの冒険を盛り上げていくための要素をきちんと押さえているのだ。

 ところで、そもそも今回のミッションを敢行する決議をくだした「囚人友の会」という組織、私たち人間の側からすれば、犯罪者であるはずの悪い人間の味方をするような側面があり、それはけっして褒められたものでないことにお気づきだろうか。これはもちろん、人間の感覚でいえばその通りなのだが、本書がネズミたちの物語であることを考えたとき、たとえば以下の引用がネズミたちにとって、特別な意味をもつことがわかってくることと思う。

 ねずみたちは、すべての人間が自由であることをのぞみます。そうすれば、ねずみたちも、囚人をはげますという永遠につづきそうな仕事から解放されて自由になるからです。

 本書のなかで、「囚人友の会」にとって、そしてすべてのネズミたちにとって、自由であることはこのうえない価値のあるものとしてとらえられている。それは私たちがよく知るネズミたちの性質――勝手気ままに壁に穴を開け、どこでも好きなところに出入りしては、せっかく蓄えておいた食糧をまんまとせしめてしまうという性質を鑑みれば、しごく当然のことだと言える。そして、あくまでネズミとしての視点で考えたとき、何らかの犯罪を犯して牢屋につながれた犯罪者たちが、まったくもって自由でないという理由で、彼らはネズミたちにとって同情に値する存在なのだ。そこに善悪や懲罰といった、人間にありがちな倫理観はない。そういう意味で、彼らは究極の自由のために活躍する者たちであると言っても過言ではない。

 それまでのミス・ビアンカは、衣食住に不自由することはないが、ごく小さな閉じられた世界しか体験したことがない、という意味で、このうえなく不自由な身の上だった。そんな彼女がとんでもない冒険を繰り広げるというストーリーは、そのままミス・ビアンカの自由を求める物語でもある。そしてそんな彼女がひそかに想いを寄せているバーナードとの仲がどうなるのか、という点もふくめて、おおいに期待できるシリーズである。(2007.12.24)

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