【東京創元社】
『れんげ野原のまんなかで』

森谷明子著 



 他人からのリクエストを受けて本の書評を書く、などという酔狂なことをしている私にとって、図書館はもはや切っても切り離せない重要な公共施設と化している。というよりも、本を無料で貸し出してくれ、たとえその図書館に蔵書されていなくても、同じ市内の他の図書館に蔵書があればそこから取り寄せることができたり、仮にどこにも蔵書がなかったとしても、蔵書のリクエストをすることで入手に踏み切ってくれたりする図書館がなければ、私もここまで気楽に「リクエスト書評」に応えることはなかっただろう、とさえ思っている。最近では、図書館がベストセラーを何冊も買い揃えることで本の売れ行きをさまたげている、といった出版業界側の反発も一部であるみたいだが、経済的にけっして恵まれた環境にあるわけではない、小市民たる私としては、何万冊という本を――それも、非常に高価な本や、今では絶版となって市場ルートでは手に入らなくなった古い本といったものまで、自由に閲覧や貸し出しを許してくれる図書館は、まさに桃源郷ともいうべき貴重な場所なのである。

 本書『れんげ野原のまんなかで』は、そんな私が愛してやまない図書館を舞台にした素敵なミステリーである。人口約八万人の地方都市、秋庭市のはずれもはずれ、そろそろ北の堺にさしかかろうかという辺境の地に建てられた文化の殿堂、秋庭市立秋葉図書館。見渡すかぎり一面のススキが覆う斜面の真ん中に位置するこの図書館に、図書館員の新人として採用された今居文子は、鋭い批評眼をそなえた能勢や、文子が遠くおよばない本に関する知識と読書量を誇る日野といった先輩職員や、そんな職員たちに常に一目を置く事務畑の館長、それにこの図書館を建てる土地を融通してくれた地元の名士である秋葉氏などといった面々にかこまれながら、しかし市の中心からはあんまりに離れているがゆえに利用者数が伸び悩んでいる現状を、少しばかりもてあまし気味な毎日をおくっている。そう、文子もまた本が好きであり、図書館員として図書館ではたらく身分に誇りと情熱を傾ける者のひとりなのである……。

 全部で五つの短編をおさめた連作短編集である本書では、いずれの作品においても図書館を舞台にした、図書館ならではのちょっとした事件が起こり、その謎に対して探偵役の能勢が推理をはたらかせて謎を解いていく、という形をとっている。職員の目を盗んで閉館後の図書館に居残ろうとする少年たち、洋書絵本の棚でおこった奇妙な本の並べかえと、そこから浮かび上がってくる意味不明の暗号、身分詐称によって引き起こされていた高価な美術書の盗難事件――物語の構成だけをとらえてみると、舞台こそ「図書館」という場に限定されるものの、加納朋子の『ななつのこ』や北村薫の『空飛ぶ馬』といった、日常のなかにまぎれこんだ不思議を題材にしたミステリーと同じ種類の連作短編集ということになるのだが、本書のもっとも注目すべき点のひとつは、まさに図書館ならではの謎が、図書館員という図書館のエキスパートが本や図書館の知識をフル稼働させることで、はじめてその真相を見せるたぐいの謎となっていることである。

 木瀬川、木津。普通の人ならこの紙と同じ順序で並べるだろう。だが図書館は伝統的に独特の読み方をとっており、これをキセガワ、キズと読むのだ。だから、たしかに、図書館に縁のある者ならこの配列をしないだろう。反射的に木津、木瀬川とするはずだ。

 絶対に外部に漏れてはならないはずの個人の本の貸出リストが名簿のコピーとして見つかったとき、能勢はその五十音順の並びから上述のような推測を述べるが、こうした図書館や本にかんするたしかな専門知識が物語のなかに息づいている様子は、本好きな方、とくに図書館が好きだという方であれば、おおいに納得させられるものがあるに違いない。タイトルも著者もわからないが、そのあらすじを語るだけで該当する本を言い当て、蔵書データベースも見ずに探している本を見つけ出し、そして図書館に来る人を「お客」と呼び、その個人情報をみだりに他人の目にさらすことに対して「理屈じゃなしに本能のレベルでストッパーがかかるもの」だと断言してはばからない、まさしくプロの図書館員たちがいる理想の図書館―― 一にも二にもまずは本であり、訪れる客が本を探しやすいよう、日々本棚をそろえ、状態を良好にたもつべく気を配る彼らが、自分たちの勤める図書館に向ける目は、厳しいものがあるいっぽうで、じつは底知れない優しさにも満ちている。そして本書を読み進めていくにつれて、まるで「本が好きな人に悪い人はいない」とかたく信じるかのような文子たちの優しさは、その図書館で起こる一連の事件に対しても同様にそそがれていることに、読者は気づくことになる。

 本書に登場する図書館の利用者たちは、ごく一部の例外を除くと、たいていは小さな子どもか、あるいはお年寄りばかりである。若い人たちが図書館を利用する、といった様子はほとんど描写されていない。本書を読み終えたときに私が気になったのは、そんな利用者たちの偏りだったのだが、そもそも図書館という公共施設が、どんな身分の人にも平等に本に接し、学習する機会を与えるためのものであることを考えたとき、図書館員がまず目を向けるべきなのは、子どもや老人といった弱者であるべきだ、という本書の隠されたメッセージが浮かび上がってくることに気がついた。そう、本書でははからずも探偵役となる能勢はもちろん、文子も日野もまずは図書館員としてのものの考え方をする。そして彼らにとって図書館員であることは、何より本が好きであるということ、しいてはそうした本にかかわるすべての人たちへの優しさへとつながっているのだ。だからこそ、それぞれの短編のラストで彼らが見せるさりげない気遣いは、ことのほか人の心を打つことになる。

 おれは、この本に固執して、そしてレンゲソウを険しい目つきでながめていた人間が気になっただけです。捨てようと思えばいつでも捨てられる本をずっと大事にしまっておいてくれるような人間に、図書館というのは特別なシンパシーを感じるんですよ。

 私は勤めている会社が出版業界であり、図書館の業務にかんしても人よりはよく知っているつもりでいたが、図書館ではたらく職員たちの、けっして目立つようなことはないが、誰もが気持ちよく図書館を利用できるために力をつくす「縁の下の力持ち」的な仕事について、あらためて認識させられることになった。そして何よりも、そうした人たちの力によって、この社会は成り立っているのだ、ということも。図書館員という地味な仕事を、社会的弱者へのさりげないいたわりと優しさという形で結びつけることに成功した本書は、本が好きな人であればもちろん、そうでない人であっても必ず何らかの感慨をもたらすことになるに違いない。(2005.05.28)

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