【毎日新聞社】
『冷血』

高村薫著 



 人が犯罪に走るのに必要なものは、感情の高ぶりとか勢いとかいった衝動的なものではなく、むしろこれから自身が行なうであろう犯罪を正当化するだけの論理である、というのは、この書評サイトをつうじて私が書いてきたことのひとつであるが、その「論理」はかならずしも万人にとって筋が通っているものとは限らない。自身の主観のなかにおいて自分が納得できるのであれば、たとえその内容がどれほど非論理的であったとしても関係がないのだ。だからこそ、私たちは凶悪な犯罪をまのあたりにしたときに、その犯人の「論理」を自分たちにもわかるような言葉にどうにかして翻訳しようと躍起になる。その試みがうまくいくときもあるだろう。だがうまくいかないこともある。そもそも犯罪者を犯罪者たらしめた理屈について――言い換えるなら人が心のなかで何を考えているかについて、同じく主観という檻に閉じ込められて一生をすごす私たちに、どれだけ理解することができるというのだろうか。

 この一家四人殺しに、いったい言葉で語られるに足る内実はあるのだろうか、と。――(中略)――仮にそうだとすれば、自分たち警察が捜査と呼び、事実の解明と呼んでいるものは、ただ社会秩序のためにその空洞を言葉で埋める行為ということになるが、空洞とそれを埋める言葉は別ものだ。

 本書『冷血』で取り上げられているのは、上述の引用にも出てくる一家四人殺し――東京都北区で代々歯科医を勤めていた高梨家夫婦とふたりの子どもが自宅内で殺害され、現金とキャッシュカード、貴金属が奪われるという強盗殺人事件のことである。発見時には死後数日が経過していたものの、その後の捜査によって、犯行時やその前後における犯人の足取りが思いのほか残されていることがわかり、粗暴で大胆でありながらもどこかずさんで行き当たりばったりの犯行という印象があるのだが、そのいっぽうで、周囲にはいくらでも金のありそうな家があるなかで、町の名士ではあるがことさら金のありそうな感じでもない高梨一家を選んでいることや、また犯行前には下見に来ていた形跡もあることから、知り合いによる計画的な犯行であることも匂わせる一面があり、犯人の追跡は予想外に難航、最終的に容疑者として井上克美と戸田吉生のふたりが逮捕されたときには、事件発生からじつに二ヶ月以上が経過していた。

 両者はともに、一家四人殺しについてはその犯行を自供しており、そういう意味において事件そのものにことさら目を引くようなところはない。第二特殊犯捜査4係として今回の事件にかかわることになった合田雄一郎をして「まるで強盗の教則本」と言わしめるような、その世界の人間にとってはありふれた強盗殺人事件のひとつ――じっさい、本書のなかで事件が発生してから容疑者が逮捕されるまでの過程は全体の半分程度であり、残りの半分は容疑者への取り調べの詳細と、最終的に刑が確定するまでが書かれているのだが、そもそも物語の冒頭には、容疑者二人が主観となって展開するパートがあり、読者には比較的早い段階で事件の犯人が推測できるようなつくりとなっている。

 被害者とのあいだに特別な関係があったわけではない、金品が目的の強盗殺人事件として片付けることが可能な事件であり、何か特殊なトリックがあるわけでもなく、また犯人が最後までわからないというミステリー的な要素があるわけでも、また犯罪そのものが目的の猟奇性があるわけでもない。にもかかわらず、本書がミステリーとして成立する要素があるとすれば、それはひとえに犯人を結果として強盗殺人へと至らしめた動機の部分であり、本書において合田をはじめとする警察関係者が最後まで頭を悩ませていたのも、まさにその部分においてである。逆に言えば、犯人の動機――犯行時に何を考え、どのような目的があって一家四人を殺害するという極端な行動に走ることになったかを追求していくことこそが、本書の読みどころとなってくる。

 まだ犯人が捕まらず、事件の概要を捜査しているさいに合田が感じた犯行のずさんさは、ある意味で正しい。犯人の二人はネットの裏求人サイトではじめて知り合ったという行きずりの関係でしかなく、高梨家を選んだのもいろいろな偶然が重なった結果としか言いようのないものがある。つまり、金のありそうなところであればどこでも構わなかったということであり、じっさいそれ以前に、彼らはユンボによるATM破壊や二件のコンビニ強盗を犯していることもわかっている。それだけであれば、金品目当てという動機は揺るがないものに思えるのだが、もしそうであれば、空き巣狙いで進入した家に家人がいたというアクシデントがあったにしろ、一家を皆殺しにする過激さを説明することができない、と警察は考える。しかも犯行後、貴金属については廃棄しているし、キャッシュカードから引き出された千二百万円についても、逮捕時にはそのほとんどが手をつけていない状態にあった。

 さらに、逮捕後のふたりに対する取り調べにおいて、彼らはどちらもあきらかな殺意について否定を続けている。それも、たんに刑罰を逃れたいという打算によるものではなく、本当にそこまで考えが及んでいなかったという態度であり、まるで自分たちの行動の結果を正しく想像することのできない子どものような幼稚さが垣間見られ、それもまた警察をいっそう困惑させる要素となっている。一家四人を虐殺するという冷酷さを裏づけるための動機が、犯人の心理のなかにさえ存在しないという、まるでそこだけがぽっかりと穿たれた暗い穴であるかのごとき空虚さ――本書がいっけんすると単純そうに見えるこの事件をとりあげた真の理由が、その空虚さのなかにこそある。

 ところで、そのタイトルからもあきらかなように、本書はトルーマン・カポーティのノンフィクション・ノベル『冷血』を意識させる作品となっている。事件発生前に、その被害者と加害者の様子を詳細に描写するといった構成や、それに反して肝心の犯行部分の描写だけが意図的に省かれているという部分もふくめ、本書はまさに日本版『冷血』という体裁となっているわけだが、留意点があるとすれば、トルーマン・カポーティの『冷血』では、強盗殺人の動機として金品狙いという点が比較的強調されており、犯人の二人組はその「目的」がはたせなかったという展開であるのに対し、本書の場合、犯人は貴金属も含めれば二千万近い金品を手に入れているにもかかわらず、そのほとんどが消費されていないという違いである。

 どちらの事件も、たんに強盗目的としては一家四人殺害にいたった過程の過激さ、冷徹さが焦点になっているのだが、本書についてはかろうじて動機づけの根拠となりえた「金品」という欲望さえも希薄にすることで、いっけん単純に見える強盗殺人事件の深い闇をことのほか強調することに成功している。そしてそれにともなって、井上克美と戸田吉生というキャラクターについても、たとえば女性に対して潔癖であったり、勤務態度の生真面目さや娯楽に対する無関心さといった、生々しい人間としての部分を感じさせないような人間像が浮かび上がってくる。むしろ取り調べが進むにつれて見えてくるのは、このふたりが出会ってから別れるまでのいっさいが、まるで青春もののロードノベルであるかのごとき、不思議な充足感である。

 子どももふくめて四人の人間の命が無残に奪われたという圧倒的な死の事実に対して、それを納得させるだけの動機づけを当の犯人側からどうしても引き出せない警察側という構図には、どんな装飾にもくるまれていないむき出しの死の形がある。ふだんニュースやメディアをつうじて毎日のように私たちの耳に入ってくる、死亡事件や事故の数々――ときには型どおりの案件として処理されてしまう事件のひとつひとつのなかにたしかに存在する死を、このような方法で読者に突きつけることに成功した本書は、まさに稀有の作品だと言うことができる。そして、合田が今回の事件に対して、解決したことへの充足感よりは、むしろ無力感や徒労感をおぼえたという事実は、そのむき出しの死を社会秩序のなかに取り込もうとする人間の行為に対する浅はかさとも結びついている。だが、人間社会のなかで生きていく以上、それでもなお私たちはその無謀とも言える努力をつづけるほかにないのだ。はたして本書は、あなたの心にどのような影響をもたらすことになるのだろうか。(2013.06.20)

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