【角川春樹事務所】
『RED RAIN』

柴田よしき著 



 物語のなかにおける人類滅亡の危機というシナリオは、比較的よく見受けられる作品のテーマで、その規模の大きさゆえに物語のメインテーマとなることの多い要素でもある。たとえば、巨大な隕石や彗星が地球に衝突する、温暖化や環境ホルモンなどによる環境の激変、未知のウィルスや細菌の蔓延――少し前であればコンピュータウイルスによる都市機能の麻痺や、核戦争の勃発といったものがあったし、最近では高野和明の『ジェノサイド』のような新人類の存在といったものも挙げられるのだが、より具体的な驚異として迫ってくるそれらの危機と、地球規模における人類という位置づけを考えたときに、この壮大なシナリオにはふたつの側面があることに気づく。

 ひとつは人類が立ち向かい、乗り越えていくべき大きな障害としての側面である。これは隕石の衝突などが典型的だが、人類や地球の事情とはまったく関係のないところから、突如として浮かび上がってくるという意味で、完全な天災として扱われる危機であり、人類は大抵、国や宗教といった違いを乗り越えて団結し、未曾有の危機をなんとか回避していこうと動くことが多い。そこにあるのは人類の存在に対する無制限の肯定の意思であり、人類はこの危機を乗り越えてさらに進歩をつづけていくことが前提となっている。

 そしてもうひとつは、その危機の遠因が他ならぬ人類自身によって引き起こされたものという側面だ。たとえば未知のウィルスの場合、人間による環境破壊によって、それまではごく一部の地域に封鎖されていたウィルスが世界規模で広がってしまうというものであり、たいていは万物の霊長などと驕り高ぶった人類の、自然に対する傲慢さや愚かさが強調されるパターンである。そこには当然のことながら、今の人類のあり方が本当に正しいのかという疑念がある。今回紹介する本書『RED RAIN』についても、分類するならこちら側ということになるが、本書で人類が立ち向かうことになる「滅亡の驚異」が、本当に人類のあり方に遠因があるのかどうかという点そのものがテーマとなっているところがある。

「何があったって……誰に何と言われたって、あたしはこの仕事を止めない。Dを市民生活の中に野放しにしておくことは絶対出来ないのよ。そのままにしておいたら、人類は滅亡する」

 二十一世紀なかばの近未来を舞台とした本書のなかで、人類は未知の宇宙物質である「D物質」がもたらす人間の変質作用という世界的な問題と向き合わなければならなくなっていた。その宇宙物質は、西暦二〇一五年に地球へと接近し、地球との衝突を避けるために人類の手で破壊された小惑星がもたらしたもので、一部の人間に超人的なパワーと狂暴性を付加し、紫外線とD物質を自ら撒き散らしながら人間を襲う怪物へと変えてしまう。まるでウィルスのように感染者から蔓延していくD物質が、どのような人間に影響をおよぼすのかはまったくの不明であるうえに、感染者に影響が出はじめるまでに長い潜伏期間があるという状況は、言うなればそれまで家族の一員だった者たちが、ある日突然「Dタイプ」へと変化してしまうという危機的状況が日常と化してしまうことを意味していた。

 本書の主役と言えるシキ・キミハラは、Dタイプへと変化した人たちを平和裏に保護することを目的とした「Dプロジェクト」を推進する特別警察官のひとりであるが、本書冒頭で襲いかかってきたDタイプをLヒートで射殺するシーンは、その仕事内容の危険性もさることながら、じっさいにはDタイプの保護というよりは、その駆除こそがメインの目的ではないかというひとつの疑念を読者に想起させる。そしてシキ自身もまた、その可能性について心のどこかで疑問を感じているふしがある。なぜなら、じっさいに「保護」されたDタイプは、環境上はきわめて快適な生活が保障されていながら、例外なく数ヶ月と生きていられないという事実を知っているからである。

 物語は、冒頭で射殺された女性Dタイプが産み育てていたはずの赤ん坊が行方知れずになっていることを知ったシキが、ひとつの可能性――赤ん坊がすでにD物質の感染者であり、Dプロジェクトに反対する組織によって庇護されているという可能性もふくめ、その赤ん坊の行方を追うという流れになっていくのだが、ひとつ注目すべき点があるとすれば、本書の舞台となる世界、とくに日本という国の衰退ぶりを強調するようなシーンの多さである。

 すでにして小惑星の接近やD物質の感染といった「人類滅亡の危機」が盛り込まれている本書であるが、それ以外にも環境ホルモンによって人間の体は少しずつ変調をきたしており、情緒不安定、異常な排他性、体内時計の機能不全による夜間不眠症、痛覚の鈍化とそれにともなう暴力行為の増加、あるいは性欲の減退や妊娠しない卵子による極端な少子高齢化などの問題が、物語の合間に差し挟まれる形で書かれている。また、酸性雨の有害性が高くなった結果、人々を降雨から遠ざけるための作戦として、定期的に雨雲に赤茶色に着色した砂を混入し、赤い雨を降らせるという作戦が日常化しており、それがこれまでの農業のあり方を大きく変える経緯ともなっている。

 赤い毒性の雨が降り、それが河川の底を赤く染める近未来――このイメージのインパクトは、「青い水の惑星」という地球のイメージを覆すには充分なものがあるのだが、何よりも本書のタイトルである『RED RAIN』が、他ならぬこの着色された酸性雨を指し示すものであるという点が、本書を評する重要なポイントとなってくる。そう、物語のメインとなるのは「Dタイプ」と呼ばれる吸血鬼でありながら、じつはそうした要因とは関係のないところで、すでに人類滅亡の危機はゆっくりと、しかし確実に進展していっているのだ。そんなふうに本書の物語をとらえると、また別の面が見えてくることになる。

 確かに、第四段階の変化が訪れればDは非常に危険な状態になるだろう。だがその危険性は、おまえ達がこの社会で、あの赤い雨を浴びながら生きていることそれ自体が抱いている危険性と、いったいどれほど違うというのだ?

 二十世紀末に世間を賑わせたノストラダムスの大予言で、私たちがイメージしていた「人類滅亡の危機」は、もっと劇的な――それこそ一瞬で世界がひっくり返るかのような劇的な変化をともなうものだった。だが、2000年問題すらあっさりと乗り越えた今の私たちには、むしろゆっくりと滅亡しつつある黄昏の世界を生きているのではないか、というイメージのほうがしっくりくるものがある。はたしてD物質がもたらす人類の変質は、いったい何を意味するものであるのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2012.07.30)

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