【早川書房】
『復活の地』

小川一水著 



 形あるものはいつか壊れる、というのが、私たちの生きるこの世の理ではあるが、もしその人にとって大切なものが理不尽な理由で壊されてしまったとしたら、そのような理など何のなぐさめにもならないことは言うまでもない。取り返しのつかない失敗、元どおりにはならない関係、生き返ることのない死者――その喪失感と、そこから生じる大きな悲しみは、ときに残された人々から生きる力を奪い、その歩みを止めてしまうことにもなりかねないのだが、少なくともその命が燃えつづけているかぎりは時間も止まることなく過ぎ去っていくし、そうである以上、いずれ再び歩き出さなければならないときがやってくる。

 何かにけづまずいて転んだとして、大声で泣き喚けば、あるいは誰かが起こしてくれるかもしれないし、慰めてくれるかもしれない。そうした力を得て立ち上がる人もいる。だが、もし誰も救いの手を差しのべてくれなかったとしても、いつまでも泣き喚いているわけにはいかない。いずれ、自分の力で立ち上がり、もう一度歩き始めるしかないのだ。そんなとき、私は人間というものの強さと弱さというものについて、あらためて思いをめぐらさずにはいられなくなる。人の心は脆く、儚い。だが、人の命の輝きというものは、驚くほどの強靭さを見せることがある。それは、壊れたものを別のものに取り替え、取り返せないものをそのまま自分のものとして受け入れて、何度でも立ち上がり、歩き続けるための強靭さである。そして、そんな人間の強さと弱さのなかに、さまざまな人間ドラマの要素が満ちている。

 今回紹介する本書『復活の地』は、じつにさまざまな物語的要素をふくんでいるが、何よりも語るべきことは、本書が大規模な震災と、そこからの復興というひとつの大きな流れをつうじて、このうえなく重厚でリアリティあふれる壮大な世界を構築することに成功した作品だということばかりでなく、そのなかに心揺さぶられる人間ドラマを織り交ぜることにも成功した、という点である。

 本書の舞台となる惑星レンカは、つい三年前に惑星統一をはたしたばかりのレンカ帝国によって統治されている星であり、他の星間列強諸国と肩を並べるべく、星外へとその勢力をのばそうとしている国であるが、その帝都トレンカに大規模な地震が発生、レンカ高皇の住まう皇宮や国会議事堂をはじめとする国家中枢機能は大半がマヒ、市民数十万が死傷するという大惨事となった。それは、壊滅的といっていいダメージを帝都にあたえる災厄となったが、その対策のために奔走する人物がいた。セイオ・ランカベリーは帝国が最後に占領した南方のジャルーダ総督府の一官僚にすぎなかったが、総督の地位にいた上司が震災に巻き込まれて死亡、彼の遺志を受けて災害救助活動を指揮することになる。「帝国を守れ」という遺志をはたすために……。

 文庫本で全三巻というボリュームの本書であるが、こんなふうに物語のあらすじを要約してしまうことは、ともすると本書の大きな特長であるダイナミズムを削り取ってしまう危険があると言わなければならない。なにしろ、最初の一巻目のほとんどすべてが、震災時の被害の様子やその救助活動の詳細を、それこそ瓦礫の下に生き埋めになった人々や大規模な火災に逃げ惑う人々の様子まで描いていくことに費やされているのだ。そして、そのまっただなかで孤軍奮闘するセイオの姿を追っていくことで、私たち読者は一気に物語世界のなかに入り込んでいく。大震災という未曾有の事態は、それ自体がひとつの興奮すべき非日常であり、それがどのような形で収束していくのか、という点で、大きなドラマをはらんでいるのだが、そのなかで、セイオといういわくつきの人物を、ミクロからマクロの「災害対策」「災害復興」の道を歩ませていくことで、文字どおり「帝都の再生」という壮大な物語を描かせていく、というのが本書の骨子である。

 中枢のマヒによってただでさえ後手後手に回りがちなのに加え、猛烈な勢いで拡大し、変化していく情勢を前に、帝都庁をはじめ、警察や消防などの対応も混乱の極みにあるなか、セイオは帝国元老の地位にあるクノロック公爵の肝いりで、唯一の皇族の生き残りであるスミルの権威を借りて、強力な災害復興組織「帝国復興院」を設立、上から下へと指示をとばすのでなく、あくまで現場で動いている人々の指示を吸い上げ、できるかぎりのサポートをしていくという体制をつくりあげていく。そんなセイオを突き動かしているのは、「弱きものを助ける」という、まったくの私心のない使命感であり、そうした断固たる態度と行動に、天軍少佐のソレンスや、行方不明の高皇に代わって摂政の座についた、まだ十代の少女スミルの心は少しずつ動かされていく。

 セイオもスミルも、言ってみれば大震災という大きな不幸によって、ほぼ否応なく帝国を左右する重大な立場に就くことを余儀なくされた人物である。そういう意味で、ふたりとも当初は大震災と同様、その心が大きく揺れ動き、また自身も困惑している状態だと言える。とくに、スミルにかんしては、震災がなければただ忘れられた皇位継承者として、奥地で静かに暮らすだけの存在でしかなかったのだ。しかも、権威として頼ってくるはずのセイオの態度は傲慢きわまりなく、自分に対して敵意さえいだいているところがあり、それを隠そうともしない。そしてセイオ自身についても、災害対策から本格的な帝都復興に向けて奮闘をつづけるものの、そのあまりに高潔な性格が災いして、政府や軍部だけでなく帝都市民からも反発を招くことになる。そもそも帝国復興院という組織自体、有能な者たちをできるだけ自由に動かせるよう、不満や意見を一手に引き受けるというものであり、ただでさえ損な役回りをさせられるところではあるのだが、それに加えて陸軍での不穏な動きや、あらたに首相となったサイテンをはじめとする政府の思惑、さらには他の星間列強諸国の干渉や、制圧したはずのジャルーダ王国の叛乱など、まさに予断を許さない状況が震災後もつづいていく。そして、復興へと向かっている帝都をさらに揺るがす、第二の震災の予兆……。

 本書が帝国の復興というマクロ的視点で描かれた作品であることは、この書評の冒頭でも述べた。そして、それに尽力するセイオやスミルの人間的成長と、ほのかな恋愛という要素も絡めたドラマでもあることも、本書を読み進めていくとわかってくる。だが同時に、本書がその震災に巻き込まれた多くの市民を詳細に描いたように、帝都で生きる人々というミクロの視点からの復興を描こうとしている点も、見逃すことはできない。それは震災によって孤児となった少女ネリに代表されるような、草の根運動ともいえる「篤志人」たちによるボランティアの活動や、あるいは「トレンカ彙報」の記者ヘリトやグリンデルといった、その土地に根ざした報道機関の活動などのことであるが、それらの人々の、ひとつひとつの小さな物語は、ただたんに本書の世界観にリアリティをもたらすためのものではなく、震災からの復興という、物語の大きな流れのなかでどのような意味をもつことになるかという点で、じつのところ本書最大のテーマと結びつくことになる。こうしたマクロとミクロの流れが、物語の最終局面において自然な形で絡んでいくところなどは、まさに驚嘆すべき展開であり、文庫本三冊分の長さを感じさせない興奮を読者にもたらしてくれる。

 レンカ帝国は、他の星間列強諸国とくらべれば、その技術においても財政においても、まだまだ未熟な国にすぎない。本書における「帝都の再生」という点について、それぞれの登場人物が、それぞれの信念にもとづいて行動を起こし、それゆえに対立し、衝突していくというダイナミズムを追いながら、はたして真の意味での「帝都の再生」とは、帝国を復興させるとはどういうことなのかを問うている本書のなかには、まぎれもなくひとつの世界が完成していると言っていい。そしてそれゆえに、キャラクターたちの言葉ひとつひとつが熱く、また感動を呼ぶことにもなる。

 人間ひとりひとの力は、けっして大きなものではない。だが、そのひとりひとりのもつ命の強靭さは、ひとつの目的のために動き出したときに、ともするとこれほどまでの底力を発揮するものなのかとまさに驚嘆させられる。ぜひともその熱い生命の躍動を感じとってもらいたい。(2008.02.26)

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