【早川書房】
『鼠と竜のゲーム』

コードウェイナー・スミス著/伊藤典夫・浅倉久志訳 

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『奇想天外兵器』という本がある。1994年ごろに新紀元社から出版された本で、第二次世界大戦中にドイツなどで実際に開発が計画されていたと言われている兵器の数々を紹介している本であるが、さすが「奇想天外」という名前を冠しているだけあって、そこには例えば、翼がカッター状になっていて、敵機を切り裂くことができる戦闘機だの、某ロボットアニメよろしく、複数の戦闘機が分離・合体することができる飛行機だの、およそ現実の物理法則を無視した兵器が満載で、大いに笑わせてもらったのを覚えている。

 コードウェイナー・スミスというSF作家が思い描く未来の宇宙世界をまのあたりにしたときに、私の脳裏にまず浮かんできたのは、まさに『奇想天外兵器』を読んだときに感じた、馬鹿馬鹿しくもファンタスティク、奇妙奇天烈でありながらどこか魅力的な雰囲気であった。なにしろ、平面航法で広大な宇宙を旅する宇宙船の最大の脅威を撃退するために、猫を搭載した小艇が出撃したり、若返りの薬を産出する星の富を守るために「キットン」と呼ばれている動物の狂気の波動が使われたりする――そんな冗談のような世界の物語を満載した作品こそ、本書『鼠と竜のゲーム』なのだ。

 本書の舞台となる世界には、「人類補完機構」という、どこかのアニメで聞いたことのあるような組織が存在しており、およそ一万年という長い年月にわたって、地球と、人類の移り住んだ全惑星を支配している。本書に収められている八つの短編のことごとくにおいて、その影がちらちらと見え隠れする「人類補完機構」が、いったいどういう組織であり、何を目的としているのか――詳しいことは何ひとつ書かれてはいないが、人類が生み出した数々の文明の生成流転や科学技術の盛衰といった、非常に大きな流れを制御し、人類を導く役割を担っているらしいことは、おぼろげながら見えてくるだろう。
 だが、それとてもあくまで推測の域を出るものではなく、本書に収められた短編を読み終えても、その真相は依然として闇の中である。そう、本書の世界は、読者に予備知識を与えることを許さない。何の前触れもなく本書の世界に放り込まれた読者は、あくまで登場人物であるかのように、奇想天外な出来事を日常のこととして認識することを要求されるのである。

 8つの短編のうち、最初の4作品は、《空のむこう》と呼ばれる深宇宙を旅する人々の話が中心である。「スキャナーに生きがいはない」では、まだ平面航法が確立されていない時代に、何十年も虚空のなかで船を操縦しなければならないスキャナー ――そのあまりに過酷な精神的負荷から自我を守るために、手術で視覚以外の全感覚を遮断され、生命維持のための機械を体内に埋めこまれた人々が登場するが、そんな彼等の存在意義を奪うような新発見によって、スキャナーたちによる宇宙支配の時代が終わりに向かう様子を描いている。また「星の海に魂の帆をかけた女」は、植民惑星で生まれ育った世代の人々が、はじめて地球に帰ってくるという一大イベントのさいに起きたラブロマンスであり、船を操縦してきた船乗りミスター・グレイ=ノー=モアと、地球生まれの新進科学者ヘレン=アメリカが、広大な惑星間の距離を越えて愛を成就させた経緯を語っている。

「鼠と竜のゲーム」の頃になると、平面航法によって惑星間の距離が飛躍的に縮まり、一般市民にとっても宇宙旅行があたり前の時代になるが、その代償として正体不明の渦動――「竜」と呼ばれ、船内のすべての生命を発狂させてしまう憎悪の塊による脅威と戦わなければならなくなった。本書のタイトルでもある「鼠と竜のゲーム」では、そんな「竜」と戦う遠感能力者(テレパス)と、「パートナー」と呼ばれる猫との奇妙な関係が描かれているが、テレパスにとって本当に怖いのは「竜」ではなく「パートナー」のほうかもしれない、というオチまでついている。「燃える脳」は船長に視点を置いた話で、自らの身を犠牲にして船のすべての命を救うという話である。

 後半の4作品はある意味、「人類補完機構」の支配によって、世界が徐々に退屈なユートピアと化していく様子を描いたものだと言うことができる。ただ、たとえば「スズダル中佐の犯罪と栄光」などでは、何世代にもわたって地球外惑星の環境に適応していった結果、男の同性愛者――しかも非常に野蛮で凶悪な男しかいない惑星、という設定が出てきたりして、著者の世界観はこのあたりから「なんでもアリ」の様相を呈してくることに注目しなければならない。「黄金の船が――おお!おお!おお!」では、なんと一億五千万キロメートルという、「人類補完機構」の馬鹿でかい――まさに馬鹿でかいだけの黄金の船が登場するし、「ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち」に出てくる防衛兵器は、どこか馬鹿でありながらどうにも笑えないような代物だったりする。そして「アルファ・ラルファ大通り」にいたっては、天候や病気はもちろんのこと、人々の寿命さえコントロールできるようになった世界において、《人間の再発見》の名のもとに、古代の文化と古代の言語と、古代の災厄までもわざわざ復活させた、新しい世界を築こうとしている様子が描かれている。完全な保護によって成立した完全な世界――ユートピアの、さらにその先を表現しようとしたのは、あるいは著者がはじめてではないだろうか。

 コードウェイナー・スミスによって築かれた「人類補完機構」の世界は、一歩間違えればただのギャグ小説になってしまいかねない危うさを秘めている。だが、純粋な想像力による独特の世界を、あくまであたり前のものとして表現していった著者の勇気には、ある意味感服せざるを得ない。人間がときにふと思い浮かべる空想は、あくまで空想でしかないのだろう。だが、かつて第二次世界大戦時に、各国が『奇想天外兵器』に出てくるような兵器を考えていたのと同じように、宇宙空間で鼠と猫が追いかけっこをしたり、馬鹿みたいに巨大な案山子をつくったりするような未来が来ないと、いったい誰に宣言できるだろう。いみじくも「アルファ・ラルファ大通り」において復活した、私たちにとってはなじみの世界が、一万年後の人類にとっては神秘に満ちた世界に見えるように、著者の想像した未来もまた、数多くの神秘と不思議に満ちていたのではないだろうか。
「不思議があたりまえ」という文句はファンタジーにこそふさわしいものであるが、その「不思議」をあくまでSFという世界で、数多くの作家が夢見た未来のひとつとして完成させた本書は、やはりひとつの偉業であると言えるだろう。(2000.07.22)

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